INSTANT KARMA

We All Shine On

Beautiful Planet

「お前は偶然というものを信じるかね」と聡明な父親は言った。

「偶然という言葉は、人間が自分の無知を糊塗しようとして、尤もらしく見せかけるために作った言葉だよ。

偶然とは、人間どもの理解を超えた高い必然が、普段は厚いマントに身を隠しているのに、ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまった現象なのだ。人智が探り得た最高の必然性は、多分天体の運行だろうが、それよりさらに高度の、さらに精巧な必然は、まだ人間の目には隠されており、わずかに迂遠な宗教的方法でそれを揣摩しているにすぎないのだ。宗教家が神秘と呼び、科学者が偶然と呼ぶもの、そこにこそ真の必然が隠されているのだが、天はこれを人間どもに、いかにも取るに足らぬもののように見せかけるために、悪戯っぽい、不まじめな方法でちらつかせるにすぎない。人間どもはまことに単純で浅見だから、まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく見える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで飛びつくが、一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払うにすぎない。こうして人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶発時のほうに、あらわに印されているのだから。」

三島由紀夫「美しい星」

父親が火星人で母親が木星人、長男が水星人で長女が金星人であることにある日突然気がついてしまった一家が、世界人類を核戦争による滅亡の危機から救うために、フルシチョフに書簡を送り、講演活動を行うなどするが、それを阻もうとする悪魔的な宇宙人と対決する。

というのが三島由紀夫の小説「美しい星」のあらすじである。これが純文学作品であると聞いても笑ってはいけない。

この小説の最大の見せ場は、人類を救済しようとする「善玉」宇宙人と「人類なんて滅亡してしまった方がいい」と考える「悪玉」宇宙人が対決し、論争する場面である。

三島はこれを書く時、ドストエフスキーの「大審問官」を意識したに違いないと思う。

たしかにこの対話は鬼気迫る場面に仕上がっている。だがそこで語られている内容は、あまりに観念的で、心に響いてこない。これは三島のすべての小説に言えることで、小林秀雄は当の三島との対談において、微笑みながらズバリ核心を着くようなことを本人の前で言っている。

小林「きみの中で恐るべきものがあるとすれば、きみの才能だね。

三島「……。」(笑)

小林「つまり、あの人は才能だけだっていうことを言うだろう。何かほかのものがないっていう、そういう才能ね、そういう才能が、君の様に並はずれてあると、ありすぎると、何かヘンな力が現れて来るんだよ。魔的なもんかな。きみの才能は非常に過剰でね、一種魔的なものになっているんだよ。ぼくにはそれが魅力だった。あのコンコンとして出てくるイメージの発明さ。他に、君はいらないでしょ、何んにも。。(中略)つまり、リアリズムってものを避けてね、実体をどうしようというような事は止めてね。何んでもかんでも、君の頭から発明しようとしたもんでしょ。(中略)あのなかに出てくる人間だって、(中略)あの小説で何んにも書けてもいないし、実在感というものがちっともない」

「文藝」昭和32年1月号

三島はこんなことを言われて、表面では笑っているが、内心どう思ったのだろうか。

この13年後に三島をあの自殺に追いやったのは、小林がこのとき三島に含ませた毒のせいだったのではないかと思う。