INSTANT KARMA

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Ending Bell

佐藤愛子90歳で書いた最後の小説という『晩鐘』を読んだ。

図書館で何気なく本棚を眺めているときに、ふと手に取って読みたくなった。

佐藤愛子といえば、心霊関係に凝って江原氏や美輪氏とつきあっていて90歳過ぎて何がめでたいとふんぞりかえっているおばあさん作家(もうすぐ100歳?)というイメージだったのだが、この小説は面白かった。

作家くずれの典型的なダメ男となり果てる元夫・畑中辰彦との関係を、巧みな時間操作の中で描く。読み進めながら現代版「あらくれ」のような作家・藤田杉の魅力に惹きつけられる。私小説の傑作に数えてよいのではないか。

畑中辰彦の生き方を見ていると、詩人の尾形亀之助を思い出す。資産家の親の金とコネに頼って生きるしかない理想家でロマンチストでダメな男。同人誌を立ち上げて皆が畑中の金で飲み食いする様子などそのまま尾形に重なる。どうしようもなさの中にも時折見せる人間的魅力のようなところもしっかり書けていて、徹頭徹尾感傷的な所のない筆致が清々しい。

晩年の畑中の、それまでさんざん迷惑をかけた元妻のところにひょっこり現れ、何の反省も見せずに昔どおりに食事をして帰っていく様子や、金に困ると藤田杉のもとに使いをやって何のかんのと理由をつけてせびる。杉も杉でそんなダメ男に性懲りもなく金を渡し続ける。このあたりの男女の機微というのは人生経験の乏しい自分には今もってまるで理解不能である。

それでも、生活力のある妻(元妻)に甘ったれる男の気持ちはこちとらも弱いところのいっぱいある同性として分からないでもない。だが、情も完全に尽き果て、もはや何の未練も感じないのに、そういう男に金を渡し続ける女の気持ちが分からない。しかし古今東西の文学作品はそのような物語で溢れているし、今の世の中を見てもそのような事例は四六時中目にしている。

観音信仰とか聖母マリアという思想はこういうところから生まれた(つまり男の勝手な幻想)のかなと思った。