INSTANT KARMA

We All Shine On

ぼくとビートルズ

時として、この世にはまさに究極と言えるものが生み出されることがある。

そう言い切ることに何の不安もないし、わざと大げさな言い方をしているつもりもない。なぜなら、それこそがザ・ビートルズだからである。

彼らが我々の目の前に登場してから五十数年(何と五十年である!)が過ぎたが、状況が変わる兆しは全く見受けられない。その地位を継ごうという野心を抱いた者たちが、あまりにもたくさん現れては消えていき、今ではもう、ビートルズ以上に偉大で素晴らしい存在はほかにないということが、人々の共通認識となっている。

ジョン・ウィンストン・レノン、ジェイムズ・ポール・マッカートニージョージ・ハリスン、リチャード・スターキーは、今もなお強い影響力を持ち、一つの文化事象としてあまねく認知され、その存在と作品は現在進行形として、現代の我々の生活の中に織り込まれている。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴというリバプール出身の四人の若者は、1960年代という、これまた止まることを知らなかった十年間において、その核心部分を動かす原動力だったのである。

 

マーク・ルイソン「ザ・ビートルズ史」「はじめに」より

※このルイソン本によれば、1940年の今日(11月11日)は、アルフとジュリアの間に10月9日に誕生したジョン・ウィンストン・レノンの出生届が提出された日である

 

昨日のつづき。

 

<CD2>

01.    ヘルプ !

中学の英語の教師がイギリスから来た中年男性で、ちょっと(かなり)神経質な人だった。その人の授業は「LL教室」(今でもあるのだろうか?)で受けることになっていて、全員の机にテレビが置かれていた。

その教師は授業の前に曲を流すのが好きなようで、大体2曲のいずれかだったのだが、そのうちの一つが「ヘルプ!」だった。MVとかではなく、ただ画面上には、ポップコーンが弾ける様子が映るだけで、誰のなんという曲かも画面からは分からなかった。

中学一年生でこの曲を知っている生徒はほとんどいなくて、初めて聞いた生徒たちは、「カッコええ曲やな」と言い合っていたが、ビートルズの曲だ、と断言した者はいなかったように思う。もちろんぼくも分からなかったが、曲自体は、教師がかけるもう一曲の方が好きだった。

それはジョン・デンバーの「カントリー・ロード」だった。歌詞の中に「イエスタデー」と言う言葉が聞こえるので、初めて聞いた時「これがあの有名な『イエスタデー』か!」と言ってる奴がいたのを覚えている。

02.    悲しみはぶっとばせ 

この曲はバッタモンの「ビートルズ・バラードベスト20」というアルバムに収録されていて、曲名だけは知っていたが、実際に聴いたときは、あんまりバラードっぽくないなあと思った気がする。

なぜ曲名だけ知っていたのかというと、「レット・イット・ビー」を聞いてビートルズの魔法にかかったぼくは、「ビートルズ」という単語が出てくるものを片っ端からチェックし、新聞にその言葉が出てくると、切り抜いて保存していたからで、新聞広告に「ビートルズ・バラードベスト20」というのを見つけ、曲名も書いてあったので、切り抜いて、そこに書いてある曲をとりあえず全部聞くことを目標に生きていたからである。

03.    恋を抱きしめよう 

ぼくの娘は小学生でビートルズに出会い、この曲と「涙の乗車券」がお気に入りだと言ったが、その30年前にこの曲を聞いたぼくはそれほど良いと思わなかった。

どうも「中期ビートルズ」はしっくりこなかったようで、ぼくにとってのビートルズ初期衝動は後期ビートルズ(レット・イット・ビー)と初期ビートルズ(ハード・デイズ・ナイトまで)で占められていた気がする。

もちろん今は(以下略)

04.    デイ・トリッパー 

これもピンとは来なかった。冒頭のリフに痺れる人はギター少年(少女)への道を歩むことになるのだろう。中期ビートルズに特有の、メンバーが「模索している感じ」が単純素朴な坊やだったぼくにはどうも素直に受け止められなかったのだろう。

05.    ドライヴ・マイ・カー 

これも素晴らしくキャッチーな曲で、誰もが好きになるはずの曲なのだが、「ひと捻り加えてる感じ」が純真なローティーンだったぼくにはしっくりこなかった。この曲は、本格的にビートルズに出会う前に、友達の家で見た「イエロー・サブマリン」のアニメで見た記憶がある。確か夕方の時間にテレビシリーズを放送していたのだ。そのときは「何だか気持ち悪いな(アニメーションが)」という印象しかなかった。

06.    ノルウェーの森(ノーウェジアン・ウッド) 

青年の鬱屈した感じを漂わせているこの曲も単純素朴なぼくには(以下略)

岩谷宏の「ビートルズ詩集」を買って、それを見ながらビートルズを歌って、ボロボロになるまで使い込んだ。ビートルズの歌詞には何かとんでもなく深いものが込められている気がしていた。

中でもこの曲の歌詞は、ぼくに初めて「文学性」というものを感じさせたといえるかもしれない。そもそもなんで「ノルウェーの森」なんだ?という拭い去れない疑問があった。

それが分かったときに初めて大人になれるのかもしれないと思っていた。

07.    ひとりぼっちのあいつ 

一度耳にしたら頭から離れない曲で、これも幼少期に「イエロー・サブマリン」で使われていたのが出会いだったと思う。考えてみると、この頃の「中期ビートルズ」こそが、本当の「ビートルズそのもの」だと思う(意味不明)。青年期に特有の暗さとか迷いみたいなものが曲に込められていて、それはまだ毛も生えていないガキには理解できない悩みであったのだ。

小学生の頃に通っていた書道教室が普通の家で、先生(おばさん)の息子が家の二階で時々ギターを爪弾いていて、先生がその度に二階へ駆けあがって息子を叱っていたのを思い出す。長髪でタートルネックで二階の部屋で独りギターを弾いていたその謎の「息子」がぼくにはジョンの姿に被っていた。

08.    ミッシェル

これは「イエスタデイ」と並ぶポールの名バラードで、文句なしに大好きだった。ビートルズを好きになり始めの頃は、ポールの曲を聴くたびに、「どうしてこんなに美しいメロディーが作れるのだろう」と激しく感動していた。しかもこの曲にはフランスの歌詞まで入っている! なんてお洒落なんだ! わけもなく友達にポールってすごいなあ! と吹聴して回りたくなったものだ(そんな友達はいなかったのだが)。ある時期まで、ポール・マッカートニーこそがぼくにとってのビートルズであったのは間違いない。

09.    イン・マイ・ライフ 

この美しい曲がジョンによって書かれたというのは意外だった。確かに歌っているのはジョンなのでポールの曲ではないのだろうな、とは思っていた。しかしその頃に買ったハンター・デヴィスの「ビートルズ」という本の改訂版あとがきの中で、ポールが「イン・マイ・ライフを書いたのはぼくだ」と主張しているのを読んで混乱したのを覚えている。間奏のピアノ(ジョージ・マーチン)を聴いて、「バロック」というのがこれか、と独り合点したことも思い出す。

10.    恋をするなら 

このジョージの曲は、武道館のライブの映像でジョージがにやけながらギターを弾いて歌っているのを見た印象が強い(『コンプリート・ビートルズ』で見た)。ハッキリ言ってジョージの歌は下手だな、とそのときには思った。しかし耳について離れないギターリフなのは確かで、家にあったおんぼろクラシック・ギターの残骸のようなものでこの旋律をなぞってみた記憶が微かにある。

11.    ガール 

これも「憧れの悩めるお兄さん」ジョンの切ない曲だ。歌詞が深い、と思っていた。舌打ちしたり息を吸い込んだり、こんな歌い方ってあるんだ、と純な思いで感心した。

「ラバーソウル」の中で「ミシェル」の次に好きな曲だったかもしれない。

12.    ペイパーバック・ライター 

純粋にかっこいいロックで、「カッコいい!」と思った第一印象でこれを超えるビートルズの曲は記憶にない。ただし歌詞が早口なので歌いにくいという難点はあった。

13.    エリナー・リグビー 

クラシックの素養がある人はこの曲を好きになりがちだよね。ぼくが好きになったお嬢様(ただ通学途中で一緒になるだけの圧倒的片思い)はビートルズの曲ではこれが好きと言っていた気がする。ぼくは正直曲の複雑さについていけなかった記憶がある。ただポールの天才性は子ども心にもビンビンに伝わってきた。

14.    イエロー・サブマリン 

アニメの主題歌として知っていた。たしか学校の授業とかでも取り上げられていた気がする。子ども向けの曲だな、と子どものくせに思っていた。

15.    タックスマン 

この曲の良さが本当に分かったのは大人になってから。

16.    ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ 

ブラスの音のカッコ良さを知った曲。ポール・マッカートニーの天才さに呆然とする。

17.    アイム・オンリー・スリーピング 

ジョン・レノンという人間が好きになってからは、ジョンの書く曲はどれもたまらなく好きになるものだ。逆に言えば、ポールに心を奪われている間はあまり聞けない曲だった。

18.    ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア 

こんな曲を聴かされたら、身も心もポールに捧げます、と言いたくなる。「アンド・アイ・ラブ・ハー」に始まって、「イエスタデイ」、「ミッシェル」とどんどん音楽的に高度になっていく、と音楽のことなど分かりもしないのに思っていて、この曲に至ると、怖いくらいに完成度が高くなって、逆にあまり聴けなかった。月に一度くらいでいいか、みたいな感じ。まあ「イエスタデイ」は半年に一度でいいか、とか。

綺麗すぎる女性とは毎日会いたくないという感じ(共感は求めない)。

19.    トゥモロー・ネバー・ノウズ 

これはほんと、初めて聞いた時は勘弁してよジョン、と思った。

いったい何処へ連れて行くつもりなんだ? と。

「コンプリート・ビートルズ」というドキュメンタリーでこの曲が流れる場面は、「リボルバー」のジャケットがグルグル回って、トリップ感を演出していたが、純な子ども心に恐怖心すら覚えたものだ。

やがて成長して精神世界にハマった二十代の頃はこの曲を作ったジョンにひたすら畏敬の念を抱くようになるのだが――

 

以下次号