INSTANT KARMA

We All Shine On

お焚き上げ ~さよならダウンタウン

ごっつええ感じ」企画評価(5段階絶対評価

 

「Mr.オクレを探せ!」(5月4日オンエア)

 吉本の事務所に謎の留守電を残して失踪し、白人女性と共に富士急ハイランドに逃げ込んだMr.オクレをダウンタウン等が捜索する。

評価:オクレのキャラクターを除けば取り立てて笑う要素がなく、企画そのものが面白味に欠けた。E。

 

「まことに一発ギャグを!」(5月4日オンエア)

 個性の強いメンバーの揃っているシャ乱Qの中でどうも影が薄いドラムの「まこと」の相談に応じて、彼のために起死回生の一発ギャグを考えるレギュラー陣。

評価:まことのとぼけたキャラクターを生かそうとメンバーが奇抜なギャグを考える過程の面白さを狙った企画の意図そのものは成功しているが、素材の限界もあって強烈に笑えるというわけではない。C。

 

松本人志スーパー記憶術」(5月11日オンエア)

 松本が100人の素人にあだ名をつけ、顔とあだ名を全員一致させる。

評価:松本一人にすべてがかかっている企画だったが、随所に見事なひらめきを見せ、地肩の強さを示して、一歩間違うと退屈この上ない企画を最後まで飽きさせなかった。骨折のため動けない浜田のツッコミもいつもながら松本をうまくサポートしていた。A。

 

「点数をつけよう」(5月18日オンエア)

 物や特技など、無作為に選んだものに各界の著名人10人(赤塚不二夫筒井康隆など)が点数をつける。

評価:企画そのものは安直なので、審査員を務める各界著名人とダウンタウンとの絡みがポイントだったが、お互いに距離を縮めることができなかった感は否めない。ゲストの芸も空振りが多かった。D。

 

「ごっつレギュラー選考面接試験その1」(6月1日オンエア)

 「ごっつええ感じ」のレギュラー獲得をかけて、メンバーが面接官となって候補タレントを面接する。今回の候補者は笑福亭鶴瓶

評価:先輩芸人を正面からいびるという、ダウンタウンにしかできないギリギリの企画。吉本の幹部を真似た松本の演じる冷酷な面接官がリアルで、容赦なく浴びせる鶴瓶への厳しいコメントが背筋の寒くなるような笑いを生んでいた。A。

 

「ごっつレギュラー選考面接試験その2」(6月8日オンエア)

 メンバー面接2回目。今回の候補者はガッツ石松。喋り、物真似、漫才、演技力、アドリブ能力などを審査する。

評価:前回と同様の趣旨だが、相手がガッツ石松ということもあって、DTのツッコミも鶴瓶の時のような鋭さに欠けた。C。

 

ダウンタウンの間に入りまショウ」(6月15日オンエア)

 今田、東野、板尾、蔵野のレギュラー陣が「ダウンタウンの間に入る」ために様々なゲームを行うが、今田だけ間に入ることができない。ふてくされた松本と浜田をとりなそうとするメンバー。収録現場には緊迫した空気が漂う。

評価:「メンバーいじめ」ネタの新たなバージョンで、これまたダウンタウンにしかできないギリギリの企画。どこまでがマジでどこからが演技かの境界線が見えない緊張感が最後まで持続した。今田の好演(半分本気?)が光る。A。

 

「ごっつプロレス開幕第一戦 ダウンタウンが橋本と対決!」(6月22日オンエア)

 日本プロレス界に風穴を開けるべく旗揚げした「ごっつプロレス」。開幕第一戦の相手はチャンピオン橋本。お膳立ては整っているのに、ダウンタウンの2人はなんだかんだと理屈をつけてリングに上がろうとしない。

評価:前回に引き続き、ダウンタウンが性格の悪いわがままな大物タレントを演じる(そのまま?)。緊迫感は前回には及ばないが、DT(特に松本)の引き出しのバリエーションは多様で、見るものを次々に新たな笑いへと誘う。今田、板尾、東野等もしっかり脇を固めていた。B。

 

山田花子プロポーズ大作戦」(7月6日オンエア)

 シャ乱Qつんくが好きだという山田花子が女としての魅力を磨くために様々なゲームに挑戦する。

評価:ダウンタウンが楽をするためとしか思えない安直な企画。こういうのが続くと彼らの今後が危ぶまれる。E。

 

「すれ違いにらめっこ」(7月6日オンエア)

 変装したメンバーが2組に分かれてオープンカーに乗り込み、すれ違う瞬間にお互いを笑わせるというもの。

評価:最後まで笑える場面がなかった。悪い意味で内輪で遊んでいるだけ。E。

 

「メカライオン対ライオン」(7月13日オンエア)

 メカライオンと本物のライオンを戦わせる。

評価:低俗なだけで何の面白味もない。金の無駄。最悪の企画。E。

 

「ごっつレギュラースカウトキャラバン第3弾 八代亜紀編」(7月13日オンエア)

 八代亜紀のリアクション、ギャグ、変装芸などを審査する。

評価:ツッコミが甘く、これまでの中で最もつまらないものになっている。D。

 

仮面ライダーと遊ぼう」(8月3日オンエア)

 藤岡弘を鬼にして鬼ごっこをする。シリーズ化される。

評価:レギュラーの苦しむ表情が見物らしいが、たいして面白くはない。D。

 

「エキセントリック少年ボウイのテーマ」

 8月位から番組の冒頭とエンディングに流されるようになったテーマ音楽。テーマだけで実際のストーリーはない(今のところ)。ナンセンスでシュールなギャグが散りばめられた歌詞は松本の真骨頂とも言えるもので、久々に笑える歌を聞いたという感じ。皆でわいわいやりながら作っていく様子が目に浮かぶようである。ただ毎週毎週2回ずつ繰り返し流されると少し辛いものがある。しかしこれは視聴者の頭にたたき込む目的があったことが後に判明する。後からじわじわ来る笑い度B。

 

「エキセントリック少年ボウイ エンディング・テーマ」

 番組の最後に流れるようになったエレジー。メロディーはもろ四畳半フォークで、ひねり度合いはそれほど高くない。C。

 

「エキセントリック少年ボウイCD発売記念 3番をつくろう」(8月30日)

 CDの発売を記念して、3番の歌詞を皆で作ろうという大喜利の企画。企画の制作過程をそのまま放送しようというもので、それなりに面白かった。個人的には「〇〇〇なのはエキセントリック少年ボウイ いるからさ」のお題に対する答が一番面白かった。B。

 

「板尾レポーター おかんの寝起きどっきり報告」(8月30日)

 板尾創路が久し振りに実家に戻ってハンディカメラでおかんの寝起きをレポートする。以前彼の実家で親父と相撲を取るという企画があったが、ここの父親は松本によれば少し「イタい」。今回も仕掛人であるにもかかわらず板尾が部屋に入った時には親父は爆睡していた。何とも言えない笑い度B。

 

「写真にらめっこ」(8月23日)

 城南電機の宮路社長を被写体に、2チームに分かれて写真で笑いを競う。ハイレベルな争いだったが、浜田・今田・板尾チームの発想がやや上回っていたような気がする。それにしても宮路社長もよくやる人だ。半ば呆れつつも爆笑度A。

 

「頭頭(とうず)」

 企画・構成・出演松本人志によるビデオ。最初から最後まで意図的に笑いの要素を除外してある。父親を老人ホームに入れるかどうか悩んでいる溶接工(松本)とその一家、その弟2人の日常を描く。このビデオの主役は松本考案になる「頭頭(とうず)」という変わった食べ物である。人間の形をした海産物の頭部を切断し、髪の毛をむしって食べるというグロテスクな食べ物。頭のてっぺんの部分の髪の毛は甘く、側面は苦い。八百屋やコンビニでも売っている。

 何気ない日常生活の中に潜む醜い部分や残酷さが赤裸々に、しかし淡々とさりげなく描写され、その日常の風景の一部として完全に同化した「頭頭(とうず)」という食べ物がある。この極めてグロテスクな物体に何の違和感も覚えず過ごす人々。

 登場人物は、皆全く普通の人間でありながら、どこか歪みを抱えていることを感じさせる。しかしその歪みははっきりとは描写されない。夫の父親を老人ホームに入れることを要求する妻。おじいちゃんを慕っているように見えて、老人ホームに入ると聞かされるや否や自分の部屋ができたと喜ぶ息子。コンビニで働きながらOLのヒモのような生活をしている弟(今田耕二)。小学校の教師をしている独身の弟(板尾創路)。

 妻、息子の身勝手さ、残酷さは分かりやすい。弟(今田)の持つ歪みは兄弟との会話の端々や車をバックでぶつけてしまう場面などに描写されている。もう一人の弟(板尾)の歪みが一番分かりにくいが、板尾の存在そのものがそれを表現している。希有な役者である。溶接工(松本)は悪人ではないが、結果的に老人を死へと追いやる直接の原因となる言葉を告げたのは彼である。

 人間の持つどうしようもなさ、日常の中に潜むグロテスクさに目を向ける松本の視点はある意味でビートたけしのそれに酷似している。映像の撮り方そのものにも彼の影響がどことなく感じられる(松本はたけしの映画を高く評価している)。このビデオ作品は小品に過ぎず、本格的な映画には内容としても及ばないが、松本が本気で映画を撮ったらどうなるかは何となく想像できる。

 ビデオの最後には松本、今田、板尾による雑感的フリートークが収められている。松本はこのビデオはあくまでも視聴者の期待を裏切ることを狙ったと言う。笑いを意図的に除外したのはこのためである。「笑いにならない笑い」を目指したと彼は言う。

 このビデオを見るかぎり、笑いとは正反対のストーリーである。しかし、松本が言いたかったのは、「この現実を見て笑うことができれば、笑いにできないものは何もない」ということであったのかもしれない。松本はこのビデオ完成の記者会見の時「人生にハッピーエンドはあり得ないと思っている」と発言している。

 一番最後に松本が中華料理屋で、五目そばとして出された「頭頭(とうず)」を見て「何で髪の毛入ってんねん!」と怒鳴る場面でこの物語は終わる。松本はこれを「1時間かけてボケて最後に自らツッコむ高等テクニック」と評している。■


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ビジュアルバムについて

 

 「ごっつ」以後の松本の活動の中で最も特筆すべきは、1998年から1999年にかけて発売された一連のコント・ビデオ「ビジュアルバム」の制作だろう。

 テレビというコント作品発表の場を失った(「ごっつ」の後には「一人ごっつ」が残されたとはいえ、時間枠や予算の限界のため十分な制作活動ができず、コントの発表は早々に放棄された)彼が時間も資金も潤沢に投資することのできるビデオという媒体に目を向けたのは自然なことである。

 このビデオの出来には松本自身かなり満足しているようで、「よいスタッフに恵まれた」と色々な場で語っている(これは「ごっつ」で陥ったスタッフ不信への裏返しとも取れる発言である)。

 実際その中身は確かに素晴らしい。現在の松本が持てる力をすべて出したと言ってよいのではないかと思う。あの立川談志にすら「見事なイリュージョン。これを見て俺は間違ってないと思った」と言わしめたほどである。気鋭の喜劇作家三谷幸喜も脱帽している。

 これらの作品は、「寸止め海峡(仮題)」と並ぶ「松本人志ワールド」の最高傑作として後世に残るだろう。ただ、完成され過ぎていて見る者に緊張を強い、テレビのコントのような力を抜いた(ポップな)面白みに欠けるという声もあるのは確かだが…。では、しばらくこの傑作コント群について順に論じていくことにしよう。 

 まず、第一巻「約束」。個人的には全三巻を通じて最高の出来だと思う。「俺の実力を見せつけたる」という松本の気負いがここでは(テレビでのように)空振りすることなく、そのまま力強さの印象を見る者に与える。テレビという制約の多い場を離れた彼の自由と喜びに溢れた創造性が存分に発揮されている。個々の作品の充実度、全体の流れ、構成も文句なし。

 「システムキッチン」は「ビジュアルバム」の始まりを飾るにふさわしい快作。ここでは現在テレビでは見ることのできない松本の「引きの芸」を堪能することができる。「引きの芸」の定義は色々とあるが、その中には「通常ではとうてい笑いにつながらないような場面を笑いに転化させる才能」が含まれる。松本はまさにその天才である。

 ただしこれは見る側にも特殊な感性が要求される点で一般的な「受け」にはなりにくい。しかしその「不可能」を「可能」にしたのが松本人志表現者としての最大の業績であろう。それは彼が見る者の感性を変化させた(「進化させた」のかどうかはまた別に論じる必要がある)、さらに言えば「意識を変えた」ということである(DTはよく「客を教育する」という表現を使う。)。

 「システムキッチン」は見る者に対する挑戦状でありマニフェスト(宣言)であると評した人がいるが、これを見て面白いと思うかどうかで笑いへの感性が決定的に問われるリトマス試験紙的な特性を持つという点で、確かに象徴的な作品であると言える。

 前置きが長くなってしまったが、コントそのものの内容について見ていこう。不動産屋に若者(30過ぎ位)がマンションを探しに来て、二人が物件について相談している場面から始まる。(映像はまるで映画のように処理されており、独特の効果を上げているが、とりあえずそのことについては深く触れないでおく。)

 この場面の最初の方で早くも、不動産屋が分裂症的な人格の持ち主であることが明らかになり、松本の笑いを見慣れた者にとっては、これが彼得意のアブノーマルな人格を扱ったコントであることが分かる。

 つまりこのタイプのコントは明確な「落ち」を持たず、松本扮する異常人格者の多種多様な「異常」「脱論理的」「破天荒」「不条理」なパフォーマンスで笑いを誘う展開になっている。平たく言えば「わけがわからん」ことに対する笑いである。(このタイプのコントはシュールレアリスムの自動書記のようなもので、演っている本人にもまったく先が見えず、松本によれば「続けようと思えば延々と続くし、終わろうと思えばいつでも終わることができる」。)

 しかし、この最初の場面(不動産屋の中)ではまだ松本の発言はかろうじて論理性を保っている。浜田が一人暮らしするつもりなのか(同棲するつもりではないのか)、芸能人やロックミュージシャンではないのか(うるさい物音を立てたりしないか)を確かめることは、ややしつこい嫌いはあるが、不動産屋としては理解できる質問である。乱暴にメガネを放り投げたり、急にタメ口になったり、微妙な「異常さ」を感じさせる部分はあるが、全体としてまだ決定的に「異常者」と決めつけることができるほどではない。

 次の場面は、二人が目当ての物件に向かって歩いていくところである。ここで交わされる会話がまた微妙なところを突いている。しかしここでもまだ明確な「脱論理」は生じていないことに注目してほしい。
 そして、いよいよ第三の場面、マンションの中に入る。このマンションの場面はさらにいくつかの場面に分割される。

 それまでくすぶっていた不動産屋(松本)の脱論理性が最初に否定できない形で明らかになるのは、風呂場のシャワーを指さして浜田が「カランって、どういう意味なんですかね」という意味のことを冗談めいた口調で尋ねた時である。ここではまだ若者(浜田)は不動産屋(松本)と普通のコミュニケーションが可能であると素朴に信じている。

 しかしそれに対する松本の答えはその(すでに危うくなっていた)信頼を無惨にうち砕く。曰く、「丁寧語やね。」しかもその言葉は(あたかもコミュニケーションを頭から拒絶するかのように)吐き捨てるように発せられる。見る者は、これを合図として、松本の言動が加速的に脱論理化に向けて進んでいくことを予感する。

 そしていよいよシステムキッチンの場面。ここで松本の発言は一気に無重力空間へとワープする。このダイナミズムは実際に見てみないと文字では伝わらないだろうから、ここでは具体的にセリフを書き起こすことはせず、二人の「内面のドラマ」を追っていくことにしよう。

 手始めに、浜田からこのキッチンは何畳ぐらいあるのかと尋ねられたとき、松本は何ともあやふやな答えしかしない。その困惑した返答ぶりはとてもプロの不動産屋とは思えず、あたかも部屋の広さなど何が重要なのかとでも言いたげな態度である。

 引き続いて浜田にキッチンの装備の欠陥を追求されたとき、松本の困惑は一気に開き直りに変わる。それまで常に「守り」の姿勢に立たされていた松本が一気に「攻め」の姿勢に転じるのがここで、その合図が「これ、完全にシステムキッチンやからね」という説明(?)の開始である。

 しかしその説明たるや結局のところ何の説明にもなっておらず、浜田に何を尋ねられてもその場しのぎの支離滅裂な答えにしかならない。普通の客ならここで「席を蹴って」帰ってしまうところだが、一緒にマンションまで来てしまった以上、退散するわけにもいかない。

 そこで何とか松本の言うことを理解しようと努力するが、松本の説明は「飛ぶ」一方で、ついに浜田もこの男とまともにコミュニケーションすることに匙を投げ、「お前の言うことわからんわ」と松本を「お前」呼ばわりするまでになる。

 ここで、不動産屋の内面に少し迫ってみよう。システムキッチンの説明を始めたものの結果的に墓穴を掘り、支離滅裂な言い逃れでその場を取り繕い続けたり、キッチンの不備を指摘されても居直る彼の態度は、顧客の満足を引き出して契約させる不動産屋としての義務を果たそうという気持ちが空回りしたというよりは、むしろ客を挑発して楽しんでいるかのように見える。彼は誰に対してもこんな調子で接しているのだろうか。それとも何かこの客(浜田)には特別なものを感じているのだろうか。それは次の場面で明らかになるかもしれない。

 二人は次にリビングに入る。ここで二人の関係はまた不思議な変化を辿る。松本は相変わらず浜田の質問をはぐらかした後でおもむろに以下のように切り出す。正直ここまで二人の関係はお互いカリカリしていた部分もあったけれど、このリビングにきて何もかも解放されたような気がする、と。

 見る者にはいかにも唐突な印象を与えるこのセリフだが、実はその伏線は以前の場面にあったことはこの文章を読んできた人には分かるだろう。つまりこの時点で、この不動産屋の関心は始めから商売ではなく浜田そのものにあるということがはっきりするのだ。だから松本は立て続けにビジネスの場にはそぐわないプライベートな質問(例えば「自分、高卒なん?」)を畳み掛けるように浜田にぶつける。次の瞬間、二人は超接近して立ち、一転して部屋に妖しいムードが漂う…。(未完)