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日本解放会議

1943年7月上旬、ニューヨーク

プログラムにある日本解放部会は二日目になっていた。部会員は二七名で議席は円卓式。定刻になると議長のヒルマンが木槌を叩き全員を起立させて礼をした。

「ただいまから、日本解放部会を始めるが、日本の戦線が拡大されているために、日本の解放だけでなく、朝鮮の解放、中国の解放、東南アジアの解放などが抵触して重なるものも多い。しかし、それは別の部会のプログラムになっているので、この部会では、日本人が未来観をもつことができる日本解放を軸として討議願いたい。

それでは、モンシェ書記長に一般報告をお願いする」

「日本解放に関する一般報告を申しあげる。

日本にデモクラシーが登場して、近代国家が形成されたのは一八六八年(明治元年)頃である。

中央記録所には明治革命として記録されている。以下記録に従って日本の概要を説明しておきたい。

トマス・ブレーク・グラバーが上海経由で長崎に渡ったのは一八五六年 (安政六年)二十一歳のときである。グラバーは長崎で海産物、金銀の輸出をしていたが、薩摩、長州、土佐、肥後の諸藩に倒幕の機運が生じたので鉄砲、弾薬、火薬を諸藩へ調達した。薩摩の小松帯刀と親しくなり、小松を通じて土佐の坂本竜馬を知り、坂本竜馬とは格別な関係をもった。薩長離反のときは坂本竜馬に薩長同盟の組み立てをさせて革命勢力の統一を計っている。

また、坂本竜馬を通じて岩倉具親と親しくなり、宮廷にも接近、日本とヨーロッパを結ぶ楔の役目をしている。とくに木戸孝允、伊藤博文、井上馨、五代友厚、森有礼、寺島宗則などには、公私の交際を続け、明治革命裏方の役目を果たしている。

産業経済の近代化については、九州の大浦海岸に軽便鉄道を、長崎港口の高島炭鉱に採炭設備を、館浦に小菅造船所(のちの三菱造船所)を設けた。グラバーは常に裏方であることに満足し、けっして表の舞台にでるようなことはしなかった。日本婦人がよほど気にいったとみえて、日本婦人を妻にして日本に永住、造幣局の機械設備などをしている。重要なことは、日英同盟の橋渡しの役目を果たしたことである。

一九一一年(明治四四年)一二月一六日、東京で死亡、行年七四歳であった。日本政府はグラバーを勲二等に叙している。 

つぎに、明治革命の状況であるが、革命の展開は非常に複雑である。デモクラシーについていえば、江戸時代に開花した庶民的な土壌にヨーロッパ的な指導制の民主主義を積み重ね、国家主義を富国強兵主義に展開する立憲君主国を発足させている。しかも、民主主義とは矛盾する絶対主義を優先させていることである。

日本の絶対主義というのは、完全な人間は神である、神は絶対に悪いことはしない、そう思弁することを土台として形成された人神主義で、この人神主義の絶対主義に便乗したのが軍人と官僚であった。

これに対し、一八七四年(明治七年)板垣退助が数名の同志と語らって自由民権運動を起こし、一八八三年(明治一五年)に大隈重信が改進党を組織して絶対主義の軍人と官僚に抗しているが敗北している。

明治憲法は一八八九年(明治二三年)に公布。この憲法はグラバーの橋渡しによって伊藤博文がヨーロッパに赴き、プロシアの国法学者ム・シュタイン、R・グナイスト、A・モッセに教えを受け、A・モッセ、日・ロエルストルの二人は日本に呼ばれて伊藤博文らの憲法起草に協力した。

伊藤博文がイギリスの議会主義を避けてドイツ法を採用したのはプロシア帝国の土壌が日本に適していると判断したからである。しかし、そのときの日本の土壌はイギリス的であっても受け容れられるものであった。逆説的にいえば、日本には体系づけられた民主主義は存在してなかったということもできるからである。ただ、ドイツ法を採ったために帝国主義・軍国主義が容易に成育して、そのために、日本の民主化が遅れたことは確かである。

問題は、日本の帝国主義がドイツ的であることがよかったのか、イギリス的であることがよかったのかということである。 しかし、この時代の世界状況は、強国による植民地獲得と再分割競争の終期時代にあたっているから、これに日本が強い影響をうけたことは否定できない。すなわち、一八九四年には日清戦争、 一九〇四年には日露戦争をして戦勝国となり、アジア大陸に権益をもった。

国民皆兵主義で二つの戦争に勝利することができた日本は、社会のすべてのものに絶対主義をかぶせた。人権を無視した軍国主義、人命を軽視した愛国主義、それが非民主的だと考える必要はなかった。日本人はよろこんで国家に奉仕していたからである。

次に、日本人の自由な自覚がどのように展開されたかについて報告する。

一九一〇年(明治四三年)頃、新島襄がキリスト教的自由主義、信仰と自由の精神を伝えている。植木枝盛、中江兆民、大井憲太郎なども社会主義の思想を伝えている。

一九一二年(大正元年)八月には鈴木文治が同志と語らい友愛会を創立、日本の社会主義運動の先駆として、これは一種の抵抗運動的な土壌を築きあげた。

他方、明治革命以来官僚と結びついて利益を得た数の財閥は、独占を継続するために政党政治の発達を助けた。一九一八年(大正七年)には原敬が政党内閣を組織して、大正デモクラシーを開花させているが、この民主主義は人間の弱点である欲望の腐敗堕落を招いた。

一九一八年(大正七年)八月、ロシア革命に際して日本は連合国の要請に応じてシベリアに出兵した。翌年尼港事件が起ったが、ヨーロッパ派兵の連合軍が引き揚げると日本もなすことなく撤兵した。この撤兵がロシアの社会主義革命を消極的に支援したことは認めなければならない。

一九二五年(大正一四年)に男子普選法が布かれ、日本に初めての社会主義政党が生まれた。しかし、三八年(昭和三年)佐野学、福本和夫、鍋山貞親らの日本共産党員千六百余人が検挙される三・一五事件があって、社会主義政党は表面からその姿を消した。

軍国日本の状況をみると、一九三一年(昭和六年)に満州事変を起こし、リットン調査団を迎えている。しかし、このときの日本は大陸権益の正当性を主張せず、ひたすら事変を隠そうとする秘密主義をとった。

ドイツにナチズムが台頭すると、軍部は日本の人神主義を結びつけて選民意識をあおり、同盟国だったイギリスと離れてナチス・ドイツに合流した。

一九三二年(昭和七年)には少社軍人による五・一五事件、三六年(昭和一一年)に二・二六事件が起っている。これは統帥権をめぐる軍制内部の紛争で、その度毎に、日本は明治革命の立憲君主制を遠ざかり、軍人ファッショの国に成長した。

軍国日本は満洲事変、支那事変、アジア戦争、太平洋戦争を起こした。しかし、日本は、前者を権益の擁護、後者を強国の世界支配に対する抵抗戦争だと主張した。したがって、日本は日本の言い分をもっている。列強が中国の抗日運動を裏であやつったように、戦争は列国が挑発したと言明していることである。

最後に、抗日路線の状況であるが、朝鮮独立運動の発生は日本が韓国を合併したときに始まっており、総督伊藤博文が韓国の外交主権をかたりとったとして、このことをハーグの万国平和会議に訴え、携行した皇帝の密書がとりあげられなかったために割腹自殺した李儁の流れをくんでいる。 これらの独立主義者は間島に潜伏したが、この潜伏期に安重根が伊藤博文をハルビンで暗殺した。

現在の系列は李承晩がアメリカに、金九が上海と重慶に、金日成が延安に拠っている。
また、中国の独立路線には孫文がのこした二人の英才がある。一人はサッスーンと結んだ蔣介石、 一人はボロージンと結んだ毛沢東である。

しかし、朝鮮と中国の解放については、他の東南アジアの解放と同様に、日本解放部会の問題ではないので、主題的な討議は避けるよう留意願いたい」

モンシェ書記長の一般報告が終わるとヒルマン議長はプログラムの一つ一つについて検討する仕方で議事を進めた。

「それではプログラムの第一問にある戦争終結の方法について討論願いたい」

「日本は、一億玉砕を叫んで本上決戦を覚悟している。しかし、それは絶対に阻止しなければならない。解放戦の目的は、解放を押しひろげることであるから、無条件降伏を勧告するのがよいのではないか」

「しかし、無条件降伏には敗北感と虚無感が強く伴う。それに、日本が無条件勧告に応ずるかどうか疑問である。疑問だというのは、天皇制と人神主義の結びつきにある滅私奉公を無視できないからである。

日本人というのは、祖国日本を護るという人神主義の精神をもっている。これは、神に対するアブラハムの供儀に似ているが非なるものである。アブラハムの供様は自分の子であるが、日本人は自分自身を滅して捧げるのである。この違いを収拾して戦争終結の解放を押しひろげるとするならば、日本に戦争を放棄させることがよいと信ずる」

「アメリカの軍部は日本本土に侵攻する作戦を立てている。ソ連も北辺からの侵攻を準備している。 それがアメリカの焦りとなって、軍部は極秘に原爆製造を急いでいる。このことは、日本に関する限り、アメリカはソ連の参戦を希望してはいないのである」

「日本とソ連は不可侵条約を締結している。その条約が存在している状態のまま、日本に無条件降伏させ、戦争を終結させる方法が一つある。それは天皇に戦争放棄宣言をさせることである。そのためには中立国の在日使館を通じて天皇の側近に働きかけることである」

「天皇の側近第一号は近衛文麿公爵である。外務省にも反戦グループがいる。中立国の在日使館としては箱根温泉に疎開しているトルコ大使館がよい」

「つぎに、第二問、戦争終結後の日本版図についての討論を願いたい」

「日清戦争、日露戦争は中央記録所の記録にある通り、承認された戦争であった。日露戦争にはターン・ロエブ商会のヤコブ・シップが戦時公債をひきうけている。アメリカ政府も一九〇五年(明治三八年)十月、ハリマン・桂協定で満州権益が日本のものだと認めた裏付けもある。だから、日本が戦争の犠牲によって得た権益をとりあげるというのでは、歴史的事実をすりかえることになる。それでは却って、禍根を残すばかりでなく、弱肉強食の繰返しになる。もともと満州はロマノフ王朝が支配を企てていたもので、もしもロマノフ王朝の支配が実現していたとすれば、レーニン革命は起らなかったし、起ってもその成功率は殆どなかったといえる。だから日本の版図をきめるという方法を優先させずに、連合軍は対日戦線の全地域を解放して、それぞれ解放する建前を優先するのがよいのではないか」

「それは曖昧すぎる。日本人の気質にも逆らっている。日本人は竹をわったような性質だから、日本の版図は北海道、本州、四国、九州だと示してやるのが親心ではないのか」

「しかし、いくら親心だといっても、その建前だけを押しだすことは、もう一つの建前である民主的な解放を果たすことにならず、民族自決的な国家主義に後退させるおそれがあるのではないか」

「何れにしても、問われていることは、日本の版図をどうするかということで、解放云々の方法ではない。したがって、回答としては、日本の版図は独立運動主義者という主謀者のいない地域に限定せねばならぬことは明白である」

「しかし、承認された戦争の結果に対抗して起こった独立運動をなんでも正当だと判断するのは早計すぎる。民族、種族全体の意思をみきわめなければ解放はできるものではない。しかも、解放の戦略戦術が分立している状況で解放されるというのでは、解放される方が迷惑する」

「それでは、第三問、日本解放の仕方について討論願いたい」

「解放軍の駐屯を前提にするとしても、指導制民主主義にするか、解放制民主主義にするか、まずそれを選ぶことである」

「解放は、常識論としては指導制民主主義によるほかはないと信ずる。それに、解放制民主主義というのは、まだ存在してないのだから・・・・・・

「指導制民主主義による解放者は駐屯軍ということになる。しかし、日本は教育水準の高い国だから、モラルと実践の谷間にある矛盾に対しては大勢が納得するという方法をとらねばならぬ。従って米本人権に相応する人づくり、社会開発のための教育改革、土地所有形式の改革、労働の権利に対する雇用と賃金制度の改革などをして、大衆を納得させることが重要である。」

「指導制民主主義といっても、アメリカ式とソビエト式があるが」

「それはアメリカ式である。解放のために戦っているのはアメリカである」

「しかし、ソ連は参戦する準備をしている。日本を分割しないという保証はどこにもないのであるから、解放がアメリカ式とソビエト式になる。そうなれば天皇制と国民意識の問題とがからんで、収拾できない混乱が起こる」

「日本を解放するのはアメリカであるということを、テヘランでスターリン首相に剣をさしておけばよい」

「スターリンに釘がきくだろうか。それに、テヘランの目的はヨーロッパ処理ではないか」

「戦後処理の会談をカイロとテヘランに分けたのは、戦争の性質も異なっているからであって、アメリカとイギリスが釘をさせばソビエトの弱点にふれる。その意味での釘をさせば、日本に進駐しないという確約をとれる」

「最も望ましいことは、統一解放であるから、ソビエト参戦前に戦争を終結させることである」

「第四問は、戦争責任者の処罰問題である。ここで天皇制と天皇の問題についても討論願いたい」

「戦争の責任が天皇にあるかどうか、それは天皇制の実状と、戦争の状況をつくりだした責任が天皇にあるかどうかということである。そこでまず、天皇制の実状をみれば分かることであるが、一皇は意思をもってはいけないという建前になっている。だから、天皇は議会と重臣である枢密顧問官がきめたことを載可しているだけである。逆にいえば、天皇が総理大臣を指名したこともなけれは総理大臣を罷免した実績もない。しかも、議会が決めたといっても、それをただちに国民の意志だということもできない、弱肉強肉の軍国万能主義だったのだから、戦争をつくりあげたのは天皇でもないし、国民でもない。この状況の天皇に戦争の責任があるというならば、日本精神では国民全部に戦争責任があるということに帰着する。国民全部に責任があるというならば、なにも解放をとりあげる必要はないではないか。従って天皇制と戦争責任は結びつかない」

「 戦争責任は軍部という怪物である。怪物の仮面をかむった組織の欠陥である」

「しかし、明治憲法に明示されている天皇は、軍・政すべての統帥者である。実際の形式と内容がどうであろうとも責任は免れないものである。昔から帝王が失政したときはその責任をとって、退位亡命しているではないか」

「日本は議会主義の国である。そして天皇は至高者である。至高者はつくりもせず、つくられもしないものである。国民はそれを知っていて天皇制を維持しているのである。だから、戦争責任云々というよりも、戦争終結時の混乱に備えて、その安全を計ることの方がより大切なことである」

「天皇制をもちだしたのは誰なのか、それを知りたいと思うが、われわれにはそれを知る権利はない。しかし、一般理論として天皇の戦争責任を判断すれば三つの方法が考えられる。それは、天皇制と現在の天皇を廃止する。つぎは現在の天皇に退位させ、天皇制は存続する。三つ目は、天皇制、天皇ともに存続するというものである。」

「しかし、われわれは日本人を解放するという人類共通の責任はあっても、天皇制を云々する権利も責任もない。さらに、もっと厳密にいえば、それは解放後の日本人自身の問題だからである」

「天皇が至高者であるとすれば、それは国民の象徴である」

「天皇制にも天皇にも戦争責任がないというならば、戦争の責任者は誰なのか」

「それは軍部という怪物である。軍部という怪物に協力した軍人と協力者である」

「制度から判断すれば、戦争責任は内閣総理大臣ではないのか」

「そうとも断定しかねる。というのは組閣流産というのがある。一九三六年(昭和一一年一月)に宇垣一成に組閣の大命があった。宇垣は軍人であったが平和論者だった、家庭の事情で学資がなかったので軍人になった人である。だから軍縮条約に従って師団を減少した。もちろん兵力も減らした。宇垣一成に大命が降下した一九三六年(昭和一一年)は、日本が富国強兵の侵略者になるか、経済開発の先駆者になるか、その岐路に立っていた頃である。それで軍部は、軍部大臣は現役でなければならないという原則を盾にして大臣を出さず、宇垣の組閣を流産させた。宇垣一成は至高者である天皇を煩わすことをおそれて大命を拝辞した。もしこのとき、宇垣内閣ができておれば、二・二六事件も太平洋戦争も起らなかった。このことは、内閣総理大臣も軍器の傀儡でなければならないということを逆のかたちで証明している」

「解放者の責任として、戦争の責任者は連合軍の軍事裁判で審判せねばならない」

「審判の対象は軍部という怪物である。怪物を審判する、そのことを検事に伝達せねばならない」

「それでは、第五問の公職追放者の範囲について伺いたい」

「軍部という怪物に協力した人はあっても、戦争に協力した人は存在しないのではないか。問題は、 怪物をかくれみのにして欲望をみたそうとする人間の弱点である。しかし、それは、人間の誰でもが持っているものである」

「しかし、怪物に協力した政治家、公職者、科学者、教育者、経済人、文化人など、それらの職業活動を停止することは差支えない。ただそれは、あくまでも人間啓蒙、人間に自覚をもたせる目的のものである」

「活動を封じ禁ずることであるから、追放者の範囲は定めないのがよい。怪物は捕えがたいのであるから、追放者をきめるのは、日本人の意見を聞いたうえで該当者のリストを作成して審査することである。そのとき注意しなければならないのは、混乱に乗じて起るデマに踊らされないための用意の方が大切である」

「解放は無期、有期の二本建てにするとよい」

「人心が安定すれば、早く再活動の自由を復活させねばならぬ」

「第六問は、武装解除を前提とする軍備の禁止について討論願いたい」

「第一次ヨーロッパ大戦では、ドイツに再軍備を禁止した。禁止というのは圧迫感をともなうもので抵抗が起っている。このことを省みて、日本には軍備を禁ずるというよりも、軍備を持たない解放国家にすることがよい。それは、憲法に戦争の放棄を明文化して、武力をもたない世界の解放を考えさせることである」

「解放軍が駐留している間は武力がなくともよいかもしれないが、武力なしでは、治安の維持が困難になるのではないか。独立後は武力を持たせてもよいのではないか」

「武装した民主主義と武装しない民主主義の何れが日本に適しているかということではなく、日本の解放は指導制民主主義から、解放制民主主義に発展する素地のものであるから、あくまでも武力放棄でなければならない」

「第七問、内務省の廃止と警察制度についての討論を願いたい」

「思想の自由、集会の自由、結社の自由、信教の自由など、心の自由を奪ったのは内務省と特高質祭である。内務省は即時解体、そして警察制度は自治体警察とすることである」

「知事を住民の投票で選挙すれば内務省は必要がない。自治権の拡大をはかるのが最も民主的であるが、問題は自治体の財源である」

「自治体警察になって警察権が地域的に分断されると、犯罪者に盲点をつかれて犯罪を容易にするのではないか。開拓時代のアメリカのように・・・・・・」

「それを防衛する方法は講じられる。アメリカのように・・・・・・。それよりも、日本の警察は人権を侵害することの方が多かった。革命直後のソ連のゲーベーターの如く恐怖のまとであった。その観念をとり去ることの方が重要である」

「警察官も労働組合をつくれるのではないか」

「その必要があれば、つくるべき性質のものである」

「第八問、明治憲法に対する処置について伺いたい」

「明治憲法の法律哲学的な解釈は別として、明治憲法は人神主義、絶対主義、戦争主義に発展した基本法であるから廃止すべきである。そして、主権在民の民主的な新憲法を制定し、関係法律も。 これに準じて改正すべきである」

「戦争放棄を明文化して、解放制民主主義の素地とすべきである。それは単に平和を愛するというだけでなく、人間の欲望から起る不安感を無くする意味の基本人権の保障が経済組織として講ぜられることが望ましいのである」

「新憲法は天皇制の問題について、イギリスの王室と同じように、君臨するが統治せずの方式に近いものとし、戦争の放棄、軍備及び戦争権を否認すること。国民の権利及び義務の問題については、 自由の権利と義務を建前にして、男女の別なく基本人権を保障すること、主権在民の建前で立法、 司法、行政の責任者は満二〇歳以上の男女が選ぶこと。資本制民主主義の建前で憲法と関係法規を制定することなどである」

「新憲法の骨子は、日本と交戦した関係諸国の了解、承認を得る必要がある」

「第九問は政治犯の取り扱い問題である」

「解放軍の進駐後、即時釈放することである。他国に亡命しているものをも無条件で帰国できるようにすることである。政治犯に対する賠償の責任、心の自由を奪った責任を国が負うべきではないのか」

「原理的には、その通りである。しかしそれは、立法と法解釈の問題で、世界観の問題であるから、賠償の責云々の段階に達してないのではないか」

「もしも賠償の要求をするものがあれば、それは裁判所の法廷がきめるべきである」

「第十問は教育の問題である」

「人づくり、社会づくりは教育にある。社会開発は、組織の良否によるのであるから、教育は原理、 技術、教養の三つを建前にすることである」

「日本の教育は儒教の影響で、国家優先主義になっていた。だから人権を尊重して、強制されない自由の秩序を社会に組み立て得るような土壌をつくりだすための教育方針、教育制度が必要である」

「男尊女卑、父権主義の家族制、親権強要の封建性などは、権力支配の教育に由来していたのであるから、人間の平等な権利を回復する教育が大切である」

「教育は人間が、人間と社会と自然に対応する基本を教えるものであるから、問題は極めて多い。 しかし、教育が原理と技術と教養の三つを人間にもたせるものであり、その三つを人間と社会と自然に対応させるとすれば、必然的に優れたアドバイザーが必要になる。優れた教師が必要だということは制度に優先している」

「すぐれた教育者を得るということが先決条件であれば、これは一朝一夕には困難なことである」

「就学年齢を満五歳くらいに低下させて、就学年限を長くすればよいのではないか。一
かも知れないが、教育の機会均等を実現する意味で、教育費全額を国庫負担にすべきである」

「それは、保育、教育を個人とか家庭の責任とせず、公共責任制にするということになるので、財源的には無理ではないのか」

「第一一問、日本経済の原理について討論願いたい」

「所有形式の神秘性が人間の欲望と結びつく自由主義の資本主義経済は、人間を解放することにはならない。むしろ、人間を迷わせるものである。したがって、日本の解放は生産財の公有、国営銀行、国営流通機構という社会主義の経済制度を実行することがよい」

「解放を建前にすれば、それはもっともな見解である。しかし、考えなければならないことは、日本人の歴史的性格である。自由の訓練をうけていない未熟な人間が、公有生産財を管理した場合に起る誤りは、私有的な権力、私権的支配に発展することである。それは巨大な権力経済の封建性に逆戻りする道を造っておくようなものである。それでは権力に従順な日本人は、その管理権力者の前にひざまずいて奴隷になるしかない。要は解放経済を建前にするとしても、自由主義と資本制経済から入門するのが妥当である」

「私の考えでは、日本経済の所有形式を一挙に社会主義経済にするということは、日本をソ連に占領させる方がよいということに帰着する。それでは、戦争に多大な犠牲を払っているアメリカが到底承服しない性質のものである。アメリカが承服しないと分かっていることは避けるのがよいと考える」

「賛成である。私も実現可能なものをとりあげたい。そこで、経済の現状況をどのように自由化すればよいかということであるが、それにはまず通貨の改正がある。兌換券を紙幣に替えることである。金塊をなくした日本が兌換券をもつことはできないのであるから、あまり混乱を招くことなく改正できる。つぎに、戦争に連帯した企業の独占、数個の財閥の解体である。株式証券市場の取引停止、不在地主をなくするための農地解放などを行ない、労働組合、農民組合を復活して経済の資本的独占活動に対抗させ、漸次解放経済に移行する漸進主義がよい。そして、何よりも財政の基礎をかためる配慮をすることが望ましい」

「しかし、流通機構の社会化をなにもしないのでは、資本の独占を助長するだけである。それでは単に労働組合を組織して対抗させても、経済の解放が計れるものではない。経済というものの生産性、流通性、消費性の制度と構造を解放的にせねば、それは解放経済とはいえないではないか。少なくとも、社会主義経済をとりいれる解放が必要だと信ずる」

「真にもっともである。しかし、アメリカが解放するのであるから、すこしでも社会主義の経済をとりいれることは困難で、自由な資本制経済のもとで、生産、流通、消費を高め、人間と社会を開発する用意をすることで充分だと考える。独立後の日本が、どのような制度と構造をもつかは、日本人がきめることで、ここでは指導制民主主義の経済制度と構造がつくられるだけで充分なのではないか」

「第一問の戦争終結の仕方、第三問の日本解放の仕方にも関係していることであるが、ソ連と日本の不可侵条約は現在存続しているが、この条約は戦争終結前に破棄されてソ連が参戦する必然性がある。もしも今日、ソ連が対日参戦をすれば、本日の討論は何等の用もなくなる。その対策がプログラムには見られないが、どうなっているのか」

「そのことは米、英、ソの三国首脳会談の副議題にされているから、ソ連が連合軍の了解なしに対日参戦するようなことはない」

「もし、そうだとすればなおさら、日本経済を自ら解放するためにも、社会主義の楔を打ちこんでおく必要があるのではないか。」

「しかし、経済はリアルなものでないと、人間開発に寄与する経済にはならない。従って世界状況は自由主義をとるか、社会主義をとるか、二つに一つしかない。ここに、日本の経済制度はアメリカ的であるより外に仕方がないのではないかという原因がある」

「日本の独立経済が自由経済であるとしても、資本の独立から生ずる量産制、それは第二次世界大戦の生んだ科学のもたらす技術革命から生じる量産制であるから、市場をもたない日本の資本主義は生産過剰のために崩壊するのではないか」

「私は資本主義の生産過剰を否定しない。しかし、日本が生産過剰になるには、おそらく十数年はかかる。その間に賢明な日本人は必ず新憲法にふさわしい、憲法生活上の道を開拓するだろうと思う。そのときこそ解放制民主主義を自ら選ぶものと信ずる」

「戦争経済の後始末については誰も発言しなかったが、戦争によって得た利潤、財産は税として徴収しなければならない。また、凍結することも考えなければならない。戦争は利潤を得ることではないからである」

「第一二問、解放一般問題について、自由討論願いたい」

「戦後の日本は住宅、食糧、衣料、生活必需品、医薬品などは極度に不足するものと判断される。 従って、不足物費の生産と流通を円滑にし、あわせて価格騰貴を防止する処置をとらねばならぬ」

「解放軍は、食料衣料を放出して、日本人を飢餓におとしいれないよう留意すべきである」

「とくに幼少年、学童の食糧補給は解放軍の責任である」

「第一三問、日本解放軍の任務と軍政顧問組織について討論願いたい」

「解放軍の任務は治安を乱すことなく日本を民主的に解放することである。従って、解放軍部隊は治安維持の枠を越えてはならない。それだけに軍政顧問組織の任務は重大である」

「戦後の日本管理はアメリカ、イギリス、ソ連、中国の四カ国からなる対日理事会を含む極東委員会が一一ヵ国で構成され、それによって行なわれる。連合軍総司令部は極東委員会の統轄に属するもので、GHQの長は連合軍最高司令官として副官部、参謀部で構成される。そのもとに第一局総務担当、第二局軍政顧問担当、第三局作戦担当、鞍四局施設、兵站輸送の四局で組織される。第二局の軍政顧問担当は、民間通信局、民間情報教育局、民間運輸局、経済科学局、一般会計局、民政局、大然資源局、公衆保健福祉局、民間財産管理局、 外交局、法務局からなっている」

「アメリカは特別な諜報機関を置いてワシントンに直結する意向をもっているが、GHQとしても、諜報機関を参謀部の下部組織として全国に配置する必要があるのではないか」

プログラムによる審議が終ると、ヒルマン議長が発言した。

「各位の熱心な審議に対し、議長として感謝の辞を述べたい。討議は速記録にしてありますので、 私から最高会議に報告いたします。関係国に対しては、それぞれのルートを通じてアドバイスいたし、各位の審議を有効なものとするよう努力いたします。首脳会談にはロチルド最高長老、モンシェ書記長、カガノフ長老と私がルーズベルト大統領に同行します。首脳会談は年内に終了しますので、一九四四年(昭和一九年) 一月の定時総会には首脳会談の結末が報告できると信じます。」

挨拶をすませたヒルマン長老は日本解放部会を閉じようとした。すると、起立して緊急動議を求めた長老があった。首飾章が揺れて光った。

「議長! 日本解放部会の一人として、特にとりあげていただきたいことがあります。それは、日本解放部会の収穫は高度なもので、真に貴重なものであると考えるからであります。それだけに、記録だけでなく本部会列席の長老の一人を日本解放の責任者とすることを、最高会議に強く要請したいのであります」

緊急動議をとりあげたヒルマン議長が全員に計ると全員は拍手で賛成した。

モーゼス長老は控室にはいって、黒ズキン、黒ガウンをぬぎながら、賠償問題と独立問題がなぜ提起されなかったのか、それをただしておく必要を感じていた。