以前、忌野清志郎について書いた記事で、こんな風に書いた。
キヨシローは,桑田圭祐などとは違って,決して音楽シーンのトップにいるような存在ではなかった。
彼の音楽は常に,マイノリティの目線からの多数派の欺瞞への告発であり,弱者から同類への愛情の籠った労りの表現だった。
その桑田圭祐が、食道がんで活動休止に入ったというニュース。
彼はきっとすぐ元気に復帰してくれることと思うが、この出来事のおかげで、そういえば桑田(サザン)についてちゃんと考えたことがなかったな、と気づいた。
サザンという存在は、あまりにも普遍的で、大きくて安定していて、改めて何かを言うべき対象という感じがしない。
思い出すのが、ジョン・レノンが、ローリングストーンズやミック・ジャガーに激しく嫉妬していたという話。
彼らが反体制でラディカルなアーティスト・イメージを担っていたことに対してだ。
彼らのせいで、ビートルズはストーンズに比べれば、「危険ではない」存在に見られることになった。
実際には、還暦をとおに過ぎても健康的にロックし続けているミックよりも、思想的にもアーティストとしてもレノンの方が遙かにラディカルな存在だったことは明白だ。
唐突な比較だが、桑田圭祐も、清志郎に対して似たような感情を持っていた(持っている)のではなかろうかという気がする。
桑田圭祐は、いまや押しも押されもせぬ国民的歌手であるが、本来は非常にラディカルな体質の持ち主だ。
・・・なんか昔の「ロッキン・オン」みたいになってきたので、やめる。
サザンといえば横浜、湘南。とも言い切れないくらいメジャーな存在であるが、僕にとってのサザンは、やはり横浜だ。
“ヨコハマの姐や”について唄っていた頃のサザンが一番好きだった。
ちょうどこの時期、この曲(「思い出のスターダスト」)を聴きながら、横浜スタジアムを見ながら潮風に吹かれつつ夕暮れ時を二人で散歩するイメージ。
たぶんこれ以上に、なんというか、胸にくるシチュエーションは自分的には無い。
「夏をあきらめて」や「私はピアノ」は日本の歌謡曲の頂点に位置する曲だ。
サザンを聴くと、自分の中の何かが揺さぶられる。それは何かと考えてみると、自分の中の「日本人的な部分」だと思う。
いくらブルースが好きでも、黒人が聴くようにブルースを聴くことはたぶんできない。
でも、僕らにはサザンを聴くことができる。
かなり前、故レイ・チャールズが「いとしのエリー」をカバーしたことがあった。
それを聴いた桑田のコメントが印象的だった。
「上手いんだけど、いちばん大事なところが欠けている。俺の歌には遙かに及ばない」
ときっぱり断言したのだ。
世界最高のR&B歌手に自分の曲をカバーしてもらったというだけでもふつうは手放しで喜びそうなものだが、桑田は、「(俺の曲に関しては)レイ・チャールズの歌い方は間違っている」と言い放ったのである。
しかし、桑田のコメントには、日本人なら、僕を含めて誰もが激しく同意するだろう。
日本人なら、というところがポイントだ。
正直言って、90年代以降のサザンはきちんと聴いていない。90年代以降は、誤解を恐れずに言えば、もはやサザンを必要としないほど、日本のロックがあまりにも充実しすぎた。70年代にはビートルズの居場所がなかったようなものかもしれない。
サザンは長いキャリアの中で何度も解散の危機に追い込まれている。本人たちはどうか知らないが、おそらくファン(=僕)にとって一番深刻だったのは、2枚組の名作「KAMAKURA」の後、活動休止に入ってしまったときだろう。無責任に言えば、このときにすっぱり解散するという選択肢もありえたと思う。しかし結果として、サザンは復活し、さらに巨大化し、国民的バンドとして未曾有のアイコンとなった。
でもやっぱり僕にとってサザンの最高の曲は、「いなせなロコモーション」であり、「思いすごしも恋のうち」であり、なんといっても「いとしのエリー」なんだよなあ。
これまたその昔、村上龍が、
日本で『アメリカン・グラフィティ』のような映画(『ジャパニーズ・グラフィティ』)をつくるとしたら、エンディングは間違いなく『いとしのエリー』だ
と書いていた記憶がある。
まったく同感。