INSTANT KARMA

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英雄的な行動、あるいはとてつもない愚行

以下に述べるのは、私自身が、かつて、ある尊敬する友人から聞いた話である。

彼は、社会的にも敬意のまなざしでもって見られる家柄の良い、美しい妻を持ち、その夫婦仲の良さでもまた評判であった。夫婦関係の秘訣について訊ねられたとき、いつもは私生活について秘密主義の彼の口から、尋常ならざる話が飛び出したのである。

「ずっと昔のことなので、細かなところは忘れてしまったんだが」彼は始めた。

「それは僕が・・・の近くに別荘を持っていた頃のことだ――結婚して約十年――男の名前は――そう、慎重でないといけないね――さしあたりエヌ氏と呼ぶことにしよう。要するに、彼は家族を抱えたそれなりの社会的地位にある既婚者だった。」

「エヌ氏は、当時僕が手掛けていた仕事の関係で、1か月ほど僕の別荘に客人として招かれていた。僕は自分のプライベートな空間に他人を入れるのを好まないことは知っているだろう? でも僕は彼にとても好感を持っていたし、妻も彼には打ち解けていたんだ。僕は仕事で家を空けることが多かったし、別荘のまわりには気を紛らわすような場所も少なくて、彼が居れば友だちのあまりいない妻の気晴らしにもなるかと思ったんだ。今から思えば、いくら神経を使う仕事に忙殺されていたとはいえ、二人の友情が愛に発展していくのを僕の方でまるで気が付かなかったのも馬鹿な話だと思うよ。彼が出発する日、僕は予定していた時刻よりもずっと早く帰ってきたので、ふたりが心おきなく最後の愛の別れを営もうと思っていたちょうどそのときに、不意打ちを食らわせることになったというわけだ。僕はそのとき、見てしまったんだ。絶対に見てはいけない、心が痛む場面を見てしまったんだよ。妻の顔は恐怖と狼狽で真っ青になり、エヌ氏は罪悪と自責と悲哀と残念の化身と化しているように見えた。」

僕にできることは、満面に笑みを浮かべて、皮肉な調子はまるで見せずに、まったく思いかけずここに出くわしてしまって何とも申し訳ないと申し立てることだけだった。彼らは何やら言い始めたが、僕は聞こうとしないで階段を下りて煙草をくわえ、庭に出て、自分を責め始めた。」

「なぜ僕は少なくとも帰りが早くなることを伝えなかったのか? 妻をひどく驚かせたことは僕を激しく後悔させた。もちろん僕は何も知らなかった。ドアは少し開いたままだったし、部屋の中はしんとしていたんだ。『妻が話してくれていたら』僕はつらつら考えた。でもすぐに『そうするのは何としても難しかったのだ』と思い直した。彼女は明らかに僕が怒るのが当然だと思い、自衛の観点から僕を欺いたのであって、全体としてみれば僕の落ち度だった。僕が全部をあらかじめ見通すべきだったんだ。エヌ氏がよく家に遊びに来るようになったとき、二人が恋に陥るかもしれないことを察知して、僕は気にしないと彼女に言っておくべきだった。彼は実に愛すべき男だったし、彼女は男なら誰でも魅力を感じずにはいられないような女だったのだから。彼女が僕を欺いたことにはまったく傷つかなかった。欺かれたとき、男が傷つくのは虚栄心に打撃を受けるからだ。嫉妬しないふりをしても、本心では嫉妬しているので、考えてみれば恥ずかしいことだ。妻は僕を古いタイプの夫と考えたのに違いない。権利侵害者を撃ち殺そうと部屋の隅で待ち伏せする男や、絶えず妻の秘密と情事を詮索し、悪夢にうなされている夫と考えたに違いないのだ。僕が本当にそうであったのなら、遺憾と言うほかない。しかし断じていうが、僕はそういう男ではなかった―なぜなら彼女を愛していたから。僕にとって肝心なのは、彼らの心配を取り除くことだった。彼らは非常な不安を感じていたに違いないので。では何をなすべきか? 部屋に戻って何でもないと告げるか、彼にメモを書いて送るか手渡すかするか―だがそのときは何を言ってよいやら分からなかったので、彼と顔を合わせるのは億劫だったのも事実だ。」

「そのとき、妻が芝生を横切って僕の座っているベンチの方に来るのを見た。その顔は決心と不安と苦悩をごたまぜにしたものだった。妻が近づくのを見て、僕は立ち上がって妻に手を振り、ベンチの横に座らせ、やさしく抱きかかえた。これは彼女の想像を超えることだった。彼女は驚きのあまりわっと泣きだし、僕は彼女を慰めるのに全力を尽くすほかなかった。妻は何か言おうといろいろ努力したが、すすり泣きのために何を言っているのか分からなかった。やっとのことではっきりものが言えるようになると、この男と恋に陥らないよう悪戦苦闘したのだが、抵抗できなかったこと、最後には情熱に負けてしまい、僕を不幸にすることを恐れて欺いたことを告げた。『どうか分かってください・・・。私はただもうそうするしかなかった・・・』彼女は何度も繰り返した。僕はそれに答えた。『誰かそれを避けることのできる人がいるとは思わない。きみは自分を責めて自分の気持ちを砂漠の空気にぶつけて浪費しているんだ。』彼女は、すべての女がそうであるように、疑いの念を起して突然こう言い出した。『こんなにやさしくしてくれるなんて信じられない。後になってそれだけよけいに私を罰して苦しめるつもりではなくって?』

『僕がきみを苦しめたことがあるかい?』僕は穏やかに言った。

『いいえ』彼女は答えた。『でも今まで私は良い妻だったから。』

『だからいっそう感謝こそすれ、きみを苦しめてはいけないんじゃないか』

『でも私があなたを欺いたのは事実でしょう?』彼女は疑った。

『それは何と言うか、不運なことだった。きみはごたごたを起こさなくてもよかったのかもしれない。』僕は嫌味なく言った。『でもごたごたを起こしてしまったので驚いているんだよ』

『信じられないわ』妻は何度も繰り返した。

『あなたは本当に私を愛しているの? あなたは気にしない―本当に気にしないっていうの?』

『全然気にしない』僕は完全に真面目な気持ちで答えた。

『だったらあなたは私を愛していないってことになるわ』妻はほとんど叫んでいた。

『きみの考える愛が、愛する者を不幸にするように行動するということなら――愛さないことになるだろう。でも、もし愛というものが、愛する人を絶えず思い、何よりも愛する人の幸福を考えるということなら、僕はきみを愛している』

『要するに簡単なことだよ』僕は熱っぽい調子で言った。

『ほんの少し冷静になれば、愛する人の悩みを減らすことができるとき、きみは手をこまねいて見ていることができるだろうか? その上僕が怒ったり暴れたり、あるいは仇をとろうとしたり、品性をかなぐり捨てて子どもじみた振る舞いをすれば――きみは僕を憎むだけだろう。僕がエヌを諦めるように勧めたところで、金のない患者に世界一周旅行を勧める医者みたいなものだろう。抽象的にはまったく正しいけれど、全然実行不可能なことを勧めるようなものだ』」

「それから彼女が僕にどれほどの愛情を示したか、それを言うのは差し控えたい。僕たちは数時間話し続けた。誓って言うが、そのとき僕は、世間の大多数の者が僕に侮辱を加えたと言うに違いない男を心の中で祝福していたんだ。なぜなら、彼のおかげで、僕と妻の魂との間により大きな結合が生まれたのだから。僕たちの愛が大きな火の試練をくぐり抜けて初めて達成することのできるレベルに到達するための原因を彼が与えてくれたんだ」

彼はここまで話すと、しばらく休んで、少し調子を変えて続けた。

「で、このすべての結果はどうなったか、最終的に何が起きたと思う? 分かってくれると思うが、僕はふたりをお互い好きなように扱い、何の条件も付けず、何の質問もせず、その男を友人として扱い、気がむけばいつでも家に来てよいことにした。そして数か月間、出張で彼が海外に行くことになるまで、二人の関係は続いた。妻の情事は別離の後、自然消滅して結局終わることになった。彼女の彼に対する情熱は、本当のところは仮装された肉体的なものにすぎなかったので、彼がもう彼女の愛情を引きつける磁石として働くなったとき、彼に対する興味をなくしてしまった。万事は何事もなかったように萎んでしまった。後に残ったものは、ますます豊かになった僕たちの愛だった。この事件は関係者の間でスキャンダルになることもなかった。僕のことを寝取られ男とはやしたてようとする世間の人は、始めから武器を取り上げられていたから。」

「だから、ぼくがきみたちにお勧めするやり方は、きみたちの場合も成功するに違いないよ。愛人は諸般の事情によって来たり帰ったりする不安定な存在にすぎないが、長い交際、共感と理解に基づいた真の夫婦の友情は永久に続くものだ」

ここで友人は話を止めた。黙って話を聞いていた側の友人の一人がようやく口を開いた。

「だったら、夫というものは妻が欲する時にはいつでも愛人を持つのを許すべきだというのかい?」

友人は笑ってこの質問に答えた。

「それは『イエス』とも『ノー』ともいえるね。というのは、それはもっぱら個々の状況や関係性に依存するので、規則として定めることはできない。妻に宝石や高価な服を与えるように愛人を認めるのと、妻がすでに情事に入っているときに妻をゆるし、その行為を大目に見るのとはぜんぜん別のことだ。というのは、もし妻に情愛の相手を放棄するように命じれば、ほとんど実行不可能なことを人に強要することになるから、彼女は家を出ていくか、怒りを恐れて欺きとおすことになる。妻の恋愛を妨害することは、妻の心に夫に対する非難を呼び起こすという理由で、それだけ早く愛人の腕の中に彼女を追い込むことになる。いわば暴力的に彼女の愛を取り戻そうとすれば、逆にまったく愛を失うことになるだろう」

質問した友人が帰った後で、友人は私に言った。「こんなに喋ったのは本当に久しぶりだよ。自明なことを人に分からせるには千万語を費やさなければならないというのはおかしなことだね」

私はこう言った。「きみのような気高い魂にとっては分かり切ったことが、僕らにとっては英雄的な行動、あるいはとてつもない愚行に思われるんだよ」