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私小説家―自力型と他力型

山本健吉「十二の肖像画講談社、1963)の上林暁を論じた章の中に、私小説家の根本の発想に、自力型と他力型の相違があると書かれている。倫理型と信仰型といってもいい。破滅派と呼ばれる作家たちは、多く他力型である。破滅することに、自分の救いを賭けているからである。嘉村磯多はもとより、葛西善蔵太宰治も、根本は宗教的人格である。意識的であろうがなかろうが、彼らの文学は自分の犯した罪障の告白・懺悔である。
自力型は、志賀直哉武者小路実篤、里見敦など、『白樺』の系列が多い。自我の尊厳の発揮がその発想の根底にある。人間の自力的な人格形成がその主要なモチーフだから、絶対者に帰依して救いを求めるというような弱弱しい祈りの声は、どこにも響かない。上林暁もこの系統である。
西村賢太は、この分類で行けばやはり他力型ということになろう。彼の場合の信仰の対象は、田中英光であり、その後は藤澤清造であり、結句、<文学>そのものであった。