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文学

別冊宝島Real 17「腐っても『文学』!?―作家が知事になり、タレントが作家になる時代のブンガク論」(大月隆寛 監修、2001年)を図書館で借りる。

なぜこんなカビの生えたような、内容的には完全に死文化していると思われる本に手が伸びたかというと、

「好きだから“ブンガク”をやる」とか、そんな呑気なことじゃないんですよ!と題する中原昌也のインタビューが載っているからで、それに加えて、当ブログが注目する執筆陣(小谷野敦吉田豪大谷能生)の記事がまとめて載っているからなのだ。

この組み合わせって、今見ると結構斬新じゃね?

というわけで、これらの記事についての感想を。

まず

私小説の末裔?近ごろ話題の“告白本”が、いまひとつ物足りない理由〜小谷野敦

有名人のスキャンダラスでセンセーショナルな私生活や半生を綴ったいわゆる<告白本>が、ベストセラー・チャートの上位を占めて久しい。

ところでこれらの<告白本>は、<私小説>のゲンダイ版なのか?

そもそも、告白本の、そして私小説の面白さとは何なのか?

というアオリ文(?)が冒頭にある。

小谷野は郷ひろみ「ダディ」を「近年珍しくリアル」と評し、田山花袋「蒲団」に連なる私小説と見る見解も荻野アンナによって示されたことから、柳美里の「命」「魂」や飯島愛の「プラトニック・セックス」も<私小説の末裔>といえるのではないか、という問題提起を編集部から受けての文章らしい。

小谷野によれば、女の書き手が自分の「赤裸々な性」を描いた本というのはいくらでもあり、柳や飯島の場合は単に書き手がすでに有名人だったという以上のものはない。

「ダディ」が面白かったのは、書き手が「男」だったからで、しかも「情けない男」の「恥」をさらけ出した話だったからである。これは「蒲団」や近松秋江「黒髪」の系譜につながる。田中康夫ペログリ日記」は、徳川期の「助六」につらなるモテ男の系譜だから、女に惚れられて「やれやれ」などと言っている村上春樹の主人公と同じく、つまらない。柳の「命」も同じで、モテる自慢話にしか見えないから「事実」ではあっても「真実」ではないから評価できない。

小谷野は、もう「破滅型私小説」の伝統に連なるものは出てこないのではないかとペシミスティックに締めくくっているが、この予想は西村賢太の登場によって覆されることになる。

次に

・タレントが「ブンガク」に目覚める時?〜吉田豪

とかく芸能人が軽い気持ちで参入しがちな文壇の世界。向こう三十年間のタレント作家によるタレント小説の系譜をおさらいし、文才と芸才のビミョーな関係をなぞりつつ、隠れた名作・迷作に肉薄する!

との編集部からの要請にもかかわらず、タレント本コレクターの吉田は芸能人のノンフィクションな人生自体には必要以上に興味があっても、彼らが描くフィクションの小説についてはこれっぽちも興味がない、と冒頭で宣言。

それでも現在に至るタレント作家の流れについてざっと考察すると、

1970年代を吉田は、あからさまにゴーストライターが書いた薄気味悪い「らぶぽえむ」本が横行しくさった、非常につまらない時代と断定。

それが80年代に入って、黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」が七百万部というとんでもないベストセラーとなったことにより事態が急変。横山やすしまでが自作の競艇小説を自著「やすしの人生一直線」に掲載するまでの状況となる。しかし柳の下のドジョウ狙いで「トットちゃん」路線の絵本や小説が乱発されたものの、誰一人(日本文芸大賞優秀童話賞を受賞した武田鉄矢「雲の物語」くらいを除いて)徹子の域に到達できなかった。タレント作家バブルの状況でちゃんとブレイクしたのは自伝小説たけしくん、ハイ!をバカ売れさせたビートたけしくらい。なおたけしによる推理小説「ギャグ狂殺人事件」(作品社、1980年)たけし軍団らによる一連の小説はすべてゴースト仕事の可能性が高いという。

タレントが本を出すきっかけには、何らかの原因で暇になったから本でも書くしかなかったというパターンもあり、坂上忍「みのつく女」(文藝書房、1996年)などがこれにあたるという。坂上は作家デビューに際して「私の書くものはマスターベーションと同じです。読者のことなど考えていないからです。そんな技量も余裕もないからです」とコメントし、著書のあとがきにも「小説を書こうとおもいついたのは、単純に暇ができたからです。二十五年間働き続けて、初めて長期休暇を手にしたからです。その理由はあえて述べませんが・・・」と告白している。小室哲哉だけが異常に多忙になったTMN宇都宮隆木根尚登が作家活動に走ったのも同じ理由。

以下90年代以降もつづくが略。この記事から数年後に又吉直樹「火花」芥川賞を受賞し、芸人による小説が<純文学>として高く評価される時代が到来することになる。

それから、

・いまどきの文学作品の背景には、どんな音楽が流れているのか?〜大谷能生

ここ半年余りの間に文芸誌に発表された小説の中にどんな<音楽>が描かれているのかを調査分析した論考。正直、今読む価値は余り見いだせなかった。

そしていよいよ本命記事。

・「好きだから“ブンガク”をやる」とか、そんな呑気なことじゃないんですよ!~中原昌也インタビュー(聞き手 木村重樹)2001年4月20日収録

・小学校4,5年生のころ、小説家になりたいと思っていた

・小学校低学年から高校生まではボリス・ヴィアンに傾倒していた

・高校生のころはバロウズ(「人間の文学」シリーズ)をずいぶん読んだ

・サドに夢中になった

・翻訳書を好きなのは「翻訳」というフィルターを通して描かれているところ。何か遠い世界の話だという、距離をもった表現である感覚がフィットする

・本をよむようになるきっかけは早川書房。NVというカテゴライズに惹かれる

ドナルド・E・ウェストレイク、ジェイムス・ハドリー・チェイス、ジム・トンプソン、「異色作家短編短編集」、「ブラック・ユーモア選集」

サンリオ文庫も発刊の時からずっと注目していた

・オタクがダメなのは「好きなことしかやらない」こと。「好きじゃないものをあえてチョイスする」ことがすごく重要。

・ホラーやSFはオタクが好きなものだから、作っているのもオタクだと思われがちだけれど、現実はそんなことはなく、ホラーなんて大抵金儲けのためにただの大人が嫌々作っている。そういうものこそ本当の不快感が如実に描かれていて、どんな表現よりもリアルなものがそこにはある。

・「好きだから作品を作る」とか「好きだからブンガクをやる」という呑気なことじゃない。「やらざるをえないからやる」「仕方なく書いている」からこそ切実なのであり、切実な表現とはそういうところに込められている。