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庄野潤三

私小説名作編」のアンソロジーを読んで気になった庄野潤三静物を読むために図書館へ行き現代日本文学大系88(筑摩書房)を借りる。田中小実昌のエッセイ集も二冊借りる。「静物」を読み、村上春樹の解説を読んで納得する。

第三の新人」として庄野潤三の名前は小島信夫安岡章太郎と共によく出てくるが、作品を読んだのは初めてだった(実はプールサイド小景も読んでいたことに後で気づいたが忘れていた)。

庄野潤三は「静物」の後、夕べの雲などの平穏無事な家族小説を書き続けて「治者の文学」などと呼ばれたそうだ。村上春樹は、「静物」は文学史に残る小説だが、ここから先はもう文学的に見るべきものはない、と遠回しに述べている。確かにそうかもしれないなと思った。

庄野潤三の「静物」は、小島信夫抱擁家族と同じような位置にあると思う。どちらも、作家独自のスタイルの出発点であると同時に完成品でもある。

島尾敏雄は浮気して妻が発狂したが、庄野潤三は妻が自殺しようとした。島尾は狂っていく妻ミホに付き添って精神病院に入院し、その経緯をすべて小説にした。奄美大島に家族で移住して残りの人生をそこで過ごした。長男は成人していろんな本を書いたりしたが、その下の妹は失語症になって若くして亡くなった。漫画家・エッセイストのしまおまほは敏雄とミホの孫である。

庄野潤三は、妻の不意打ちの自殺未遂を経験して、妻が求める愛を確立してやることが、何より大切だと気づき、最も日常的な世界である家庭を彼の文学のテーマとして、一人の夫と一人の妻とがそこでいかに生活するかを描いてみようという気持を起したのだという。

静物」が書かれた昭和三十五年は、妻の自殺未遂事件から既に十年以上が経過しており、子どもたちも三人になっていた。夫婦間の危機を乗り越えて家族再生のプロセスが進み、庄野自身が父親としての自信を持ち始めていた時期だからこそ、過去の夫婦崩壊と未来の家族の絆を同時に示唆する「静物」という作品を仕上げることができたのだという人もいる。

後年の庄野の小説は、三人の子供たちの結婚、孫の誕生、近隣の人々や兄弟や甥と姪たちに囲まれた人と人との絆を噛みしめるような穏やかな作風になったようだ。いわゆる破滅型私小説とは正反対の世界である。そういう文学もあっていいとは思うが、その世界には、村上春樹やその他の批評家の指摘するような、自己満足と独善性と硬直性がなかったのか気になる。