INSTANT KARMA

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『横山やすし』(データハウス、1986年)

コンプラが厳しくなって過激なことを書きにくくなる一方の時流に抗う手段の一つとして、例えば吉田豪が用いているのは、

「他人の発言を評するというかたちで過激な発言を引用する」

というテクニックである。

その手法が最大限に効果を発揮しているものの一つに、横山やすしの対談集横山やすし』(データハウス、1986年)を論じた文章がある(「続々聞き出す力」所収)。 

この本は、『週刊宝石』連載の「激情ムキ出し対談」をまとめたものだが、表紙にもどこにも対談集だという説明すらなく、個人名がそのままタイトルになっていて、この時点でヤバいのだが、中身はそれどころではない過激さである。

吉田豪のインタビュアーとしてのモットーは、「インタビューは格闘技ではなく、緊張感のあるプロレスである」というもので、このことを吉田は度々公言している。

しかし、この本は、吉田のスタイルとは正反対に、格闘技的に相手をひたすら潰しに行く、とんでもない対談集であると吉田は紹介する。

たとえば、政治学者・小室直樹をゲストに招いた回。今思えば、美濃部都政のブレーンとして知られ、社会学者として副島隆彦や橋本大三郎や宮台真司の師匠でもある小室直樹横山やすしの対談相手になるというだけでもけっこうすごいことだと思うのだが、この第一声がいきなり、

「こんどおたくが書いた『ソビエト帝国の最期』という本、まだ目次のとこしか見てまへんのやけど、ワシの想像するところ、おたく、おそらく堅い方やと思うんです。ほいで、思想的には自分と同じやと思うんです」

というやすしの失礼な一言で始まるのだ。

目次しか読んでないくせに

「俺も、ものすごくソ連は好きやないし、ひきょうな国やし(略)俺はいつも思うんやけど、もう一回徴兵制度をとってね(略)それこそ軍隊に引き込んで、シベリアで戦わせればいい」

と過激な持論を述べるやすしに、小室直樹も、

「そういうこと、そういうこと」

と相槌を打っているのだ。

「それで、女子大生はな、全員慰安婦になったらええねん」

という、今なら伏字になりかねないようなやすしの意見にも、

「そう、そのとおり! どうせ、あの連中は、やりたくて、やりたくてバタバタしているんだから」

などと調子を合わせて、すっかり意気投合したと思わせるや否や、ここでやすしが仕掛ける。

「そら、そうや。しかし、あのな、センセ。おたくの話はようわかりまっせ。わかるけどもね、落ち着いた顔してるくせに、なんでそんなふうに頭のてっぺんから声出まんのや、えっ。これ、おかしいやないか!それやったら、聞くところも聞かれへんで」  

なんと、「ゲストの声の高さ」という予想の斜め上からのダメ出しを放つ。

さらに、当時五十二歳独身で、

「女の自動販売機ができればいい」

「俺、ソ連へ攻めて行って、これからはシベリアの女とセックスしようと思うんだ」

「このごろは、セックス産業は、ひじょうにまじめなバイトになっている」

などと言い続ける小室に、娘を持つ父親として、”やっさん”はついに

「なにがまじめかいな!」 「パンパンやないけ!」  

とキレる。以下の言い合いはもはや対談ではなくただの罵倒合戦である。

「あんたは、いったいなにやねん? 大学教授か、軍事評論家かなにやねん、いったい。本職はなにやねん、言うてみい!」( 横山)

「本職はルンペン」 (小室)

「なんじゃ、アホ!  ルンペンとは話できんわ、ドアホ!アホ!」(横山)

【 大幅に省略】

「 なんでルンペン、ルンペンて怒るんだよ。ルンペンがいたっていいじゃないか!」( 小室)

「いや、おってもええけどもな、同じ右なら右、左なら左の思想家としてものを言ったときに、俺はもちろん右のほうやから、たとえば左のほうを殺しに行くまえに、あんたみたいなしょうもない 同じ右のヤツを、ズドーンといって、それから敵を殺しに 行くわな」(横山)

「(胸を出して)殺すなら、殺してもらおうじゃないか」(小室)

「とにかくつまらん。そういう考えは絶対につまらん。これ以上、あんたとは話しとうない。はよう帰れ!」(横山)

「無礼者! それがゲストに対する言葉か」(小室)

「ほな、ワシが帰ったるわ。対談は終わりや(と言って席を立つ)」(横山)

このバトル対談について吉田は、

やっさんは聞き手として問題あるだろうけど、おかげで小室直樹のアレな部分を引き出すことにも成功したわけで、これはこれである種の才能なのだ

と評価を下している。

同書に載っている愛人バンク・筒見待子との、

「もうええから帰れ!」

「いずれ、潰したるから」

「ワシは、おまえみたいな女を潰すのが趣味やからな。対談は終わりや。帰れ」

という宣戦布告で終わるインタビューも、読む分には面白いと評価する。

昭和の完全にアウトな発言をこうした形で令和の世に引きずり出す吉田豪の〈芸〉が、この先もどこまで通用するのか、これからも外野から静かに見守っていきたい。