INSTANT KARMA

We All Shine On

街があくびしてる夜に

お前に分かるかい?

俺の苛立ちが

The Street Sliders「Easy Come, Easy Go」

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上記対談記事より備忘録として引用。

外山と中原昌也小田原ドラゴン吉田豪クドカンは自分と同い年(1970年生まれ)なんだよなあ。

尊敬すべき表現者たちばっかしだ。

荒木 外山さんは最初、左翼として出発していたそうですが、やがてファシストに転向したわけですよね。そこには、どのようなきっかけがあったのですか?

外山 転向の理由は、ざっくり言えばポリコレへの反発です。しかしファシストに転じてみると、新しく右翼方面の友達が増えるわけです。新鮮だったのは、左翼と違って右翼はうるさいことを言わないんだ。一回一緒に酒を飲んだら、もう仲間みたいな(笑)。“理”への反発、つまり理屈はどうでもいいというのが右翼の本質でもあるし、とにかく付き合いやすい。
 で、僕には左翼方面にも転向前からの古い友達がいるので、僕の家に左右双方を集める飲み会を企画するんですけど、左翼の連中がなかなか来ないんだよね。右翼の人たちは「左翼ってどういう奴らなんだろう?」と興味津々なんですよ。ともかく話は聞いてみたいと。しかし左翼の連中は「右翼と話してもしょうがない」と最初から拒絶する。これじゃあ左翼は衰退して当然です。

外山 政治活動の初発の動機には正義感と被害者意識とがありますが、当事者意識という観点からも被害者意識に基づく政治活動のほうが正当だと僕は考えます。しかし被害者意識は、徹底的に洗練させる必要がある洗練されていない被害者意識のことを俗に「被害者ヅラ」と言います
 マイノリティが不愉快な目に遭うのは、少数派なんだから当たり前です。もちろん少数派には文句を言う権利がありますが、そうした文句に耳を傾けてくれる人もいれば、そうでない人もいる。それも当たり前です。しかし最近のマイノリティ運動は、すぐ法律を制定して、自分たちへの“配慮”を強要しますよね。そういう強権的な運動は反発されて当然でしょう。

 

 単に仲間集めならいいんです。ただ、ポリコレ新法を次々と制定させるなよ、と。
「ほっといてくれ」的なマイノリティ運動なら僕は支持します。例えば同性愛者たちが独自のコミュニティを形成して、「私たちは勝手にやっていくんで、ほっといてください」ということであれば共感する。「ほっといてやれよ」という立場から支援するかもしれない。しかし「我々を理解しろ、配慮しろ」という傲慢な運動、まして「理解」や「配慮」を促進する法律を制定しろなんて運動には、僕はとことん敵対していくつもりです
 僕のルーツである反学校運動も結局、「ほっといてくれ」運動ですからね。代替的な教育を受けさせろ、という運動ではなかった。最近の僕の「反嫌煙」も喫煙者迫害に対する「ほっといてくれ」運動だし、コロナ状況下で展開したマスク拒否運動もそうです。僕がやってきた運動は全部、「ほっといてくれ」運動なんです。

荒木 「サークル」といったときに、多くの人々が想像するのは、やはり大学のサークルですよね。でも、大学サークルというものは年々不自由になってきている。東大なんかは、男女比のクオータ制を受け入れなければならなくなっていると聞きます。これは象徴的な一つの例にすぎませんが、しかし全体的にはこういうコントロールを強めていく傾向は避けられないでしょう。

外山 いや、もう大学なんて何もできないですよ。たばこは吸えない。ビラは貼れない。怪しい奴はうろついてない。そんなところで、何ができるんですか
 だから僕は、せっかく大学に入ったのに何も面白いことがない、と途方に暮れている学生たちを合宿に勧誘しているわけです。参加者はたいてい、それぞれ大学では孤独に苛まれています。今の大学で、真面目な問題意識を共有できる友達なんか、そうそう作れない。
 ところが、そういう学生が、うちの合宿に参加するといきなり友達がわんさかできる。合宿自体は十日間ですが、そこで形成された人間関係は合宿修了後も続くし、OB・OGネットワークもすでにあって、インカレ的なサークルとしてそれらが機能しています。

荒木 なるほど。大学には、あまり期待してもしょうがないということですかね。

外山 合宿参加者の感想ツイートにも、「難しい本を読んでいる同世代の友人たちと威嚇しあって勉学に励むキャンパスライフを夢見て大学に入り、同級生とほぼ仲良くできずに4年間が過ぎたが、外山合宿に行ったら急にいっぱいそういう友達ができた」というのがありました。そもそも例の“68年”以来、大学そのものに存在意味なんか全然ないんです