INSTANT KARMA

We All Shine On

Grace and Void

恩寵は充たすためのものである。だが、恩寵をむかえ入れる真空のあるところにしか、はいって行けない。そして、その真空をつくるのも、恩寵である。

シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵」(田辺保訳、筑摩書房

自分自身の中に真空を受け入れることは、超自然的なことである。報いられることのない行為をするためのエネルギーは、どこで見つければいいのか。エネルギーは、どこか別のところからやってこなければならない。だが、しかし、そのまえに、すべてをもぎ取られることが必要である。何かしら絶望的なことが生じなければならない。まず、真空がつくりだされねばならない。真空、暗い夜。(前掲書)

何ごとにおいても、どんな特別な目的があろうと、それを超えて、むなしく望むこと、真空を望むこと。なぜなら、わたしたちにとって、想像することも、定義することもできない善とは、しょせん真空なのだから。だが、この真空はどんな充満状態よりも、充ち溢れている。(前掲書)

ニグロは無である…ニグロのようなものは存在しないも同然であるから、ニグロは無の象徴である…。「ニガーには何の価値もない(A nigger ain't shit)」という慣用表現がある。黒人が糞(shit)以下というならば、無ということだ。ゼロである。

サン・ラー(The Wisdom of Sun-Ra: Sun Ra's Polemical Broadsheets and Streetcorner Leflests) 

音楽は言語である、そしてそれは、無の王国で生き残るためには人は無になる必要があることを教えてくれる。見よ、無は何も傷つけることができず、無に無を加えても無に等しい。……君はゼロまでカウントしない限り、外宇宙へ行くことはできない。すべてはゼロから始まるんだ。ゼロまで数えると、君は外宇宙へと行ける。NASAはそれを毎日行っている、彼らはまずカウントダウンをするのだ。

サン・ラー(Paul Youngquist, "A Pure Solar World: Sun Ra and the Birth of Afrofuturism" University of Texas Press,2016)

引用は全て後藤護「黒人音楽史-奇想の宇宙」中央公論新社、2022)<第4章 詩人ジャズマンー土星人サン・ラーの「無」>からの孫引き。

同書は、今流行の「アフロ・フューチャリズム」からではなく、驚異と奇想にもとづく「アフロ・マニエリスム」という独自の観点から「もうひとつの黒人音楽史」を読み解こうとするユニークな書籍である。

奴隷制時代から南北戦争公民権運動をへて真の解放をめざす現代まで。アメリカ黒人の歴史とは、壮絶な差別との闘いであり、その反骨の精神はとりわけ音楽の形で表現されてきた。しかし黒人音楽といえば、そのリズムやグルーヴが注目された反面、忘れ去られたのは知性・暗号・超絶技巧という真髄である。今こそ「静かなやり方で」(M・デイヴィス)、新しい歴史を紡ごう。本書は黒人霊歌からブルース、ジャズ、ファンク、ホラーコア、ヒップホップまで、黒人音楽の精神史をひもとき、驚異と奇想の世界へと読者をいざなう。古今東西の文献を博捜した筆者がおくる、新たな黒人音楽史。(本の宣伝コピーより)

アルバート・アイラーAlbert Ayler)、サン・ラー(Sun Ra)、ジョージ・クリントンGeorge Clintonにそれぞれ一章が割かれている。誰もが納得する布陣であろう。

著者は、現在一般的には最も評価の高いケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)について、「BLMと連動したラマーの音楽絵巻には、ガラクタひしめくマニエリスムの象徴たる驚異博物館(ヴンダーカンマー)の猥雑さが感じられない」として、ウータン・クラン(Wu‐Tang Clan)こそアフロ・マニエリスムの極北であると結論付けている。

ケンドリックの世界には無駄なもの、くだらないものが入る余地がなく、あくまでコンシャスのフィルターを通じて清浄濾過されたものであり、ヒップホップが本来的にもっていたはずのわけのわからなさ、雑多さ、抑えきれない欲望、収拾のつかなさという、予測不可能な渾沌がラマーの作品からは消え失せている、という指摘には、なるほど、と膝を打った。

たしかに、上に挙げたアイラー、サン・ラー、ジョージ・クリントンの世界にはそうしたわけのわからない予測不可能な渾沌がある。ケンドリックのような〈意識高い系〉が王道として支持されるのは分かるのだが、それだけでは物足りない、というか、最も重要な部分が抜け落ちている気がする。

山下達郎渋谷陽一との対談(「ロックは語れない」)で「ぼくはスティービー・ワンダーは聴いていられない。正座してありがたい説教を聞かされているようで」と語っていたのを思い出した。

渾沌と猥雑のさなかに訪れる突然の沈黙においてのみ真の恩寵は宿る気がする。