INSTANT KARMA

We All Shine On

ただの愚痴

今から半年くらいインボイスでそうとう世の中ギスギスしそう。

もちろんワタシは登録なんぞしやせん。

しょせんサラリーマンとか富裕層には関係ない話ですけど。

毎年確定申告の電子申告にはイライラ度MAX。

今年はカードリーダーでハブられる。毎年何かでひっかかる。

インストールしたら訳の分からない文字化けするし。

 

今朝のニュースで、ダボス会議で「日本経済をなんとかしろ会議」をやってるとか。

1990年には世界第一位だった競争力が、今では30位に落ち込んでるとか。

この30年以上かけて、日本はゆっくりとしかし着実に衰退していった。

この「ゆっくり」と「着実に」が煮て食ってやりたいほどに苛立たしい。

陰謀論に家族など身近な人がはまってしまった場合どうするか、専門家が以下を勧めてました。
* 笑わない、バカにしない
* 科学的根拠などを示しても逆効果
* 難しい時代だね、みんなが混乱しているよね、と共感を表す
* 無条件の愛情を示して、昔の楽しい思い出などを話す

以前働いていたtのことを小説にできないかとあれこれ思い巡らすのが通勤時の暇潰しになっていたときもあった。

筋立てを考えると、ある日tから郵便が届く。中にはある医師からの手紙が入っていて、自らの罪を告白している。だがもう彼はこの世にいない。死ぬ前に、以前手紙を送ってきた謎の女であるtに送ってきたのだ。世間に直接出すのではなく、他人の手を介して運命に委ねることにしたのだ。手紙を受け取ったtは、もうすっかり連絡を取っていないとはいえさすがに自分の手元に留めておく気にはなれなかったので、ここに送ってきたと言う訳だ。これは今から10年後にしてもいいし15年後でもいい。

その医師の手記を受け取って、自分(語り手)はどうするか。もはや本人は死んでいるので刑事責任を問うことはできない。しかし真相を世間の前に明らかにする必要はある。ということで小説という形を取って公表することにした。

罪の告白と言えばドストエフスキーの「罪と罰」だと思い当たり、読み返そうかと思う。手記を挿入するという形式は夏目漱石の「こころ」でもある。というより「こころ」には「罪と罰」の影響がある気がする。医師が自殺するということにしたらますます「こころ」の真似みたいになる。

尤もtの住所に手紙を送っても転送しないと届かない。LINEのアドレスも教えたので直接会って渡されたという形にするか。

殺人の動機は何か。知的障害を負う息子。植松思想。
告白の動機は何か。最初はもっと早く自首するはずだったが警察に説得された?最初は容疑者として取り調べ。取引。警察幹部との協議。当局の意向に沿った法改正に向けて動くことが条件。犯人の出所後も警察との約束があるので下手な動きはできない。告白にはリスクが伴う。郵便物もチェックされている。直接手渡しするしかない。そのための偽装工作。

罪への呵責の念? すべてを言ってしまいたいという欲求?
犯人にされた男はどう思っているのか? 実際にやった犯罪もある。その後の重大犯罪については取引。
要するに国家ぐるみの隠蔽による冤罪事件。
だがこれではドストエフスキーではなく松本清張になってしまう。

tとの時系列メモ読み返すと、やはりろくでもない女だったなと思う。犯罪がらみの男とばかり付き合う(薬物と詐欺)。そして金にうるさい(「カタギの舌」ではないので金銭感覚が狂っている)。時々懐かしく思い出したこともあるが、やはりいかなる意味でも「いい思い出」みたいに扱うべきではなく、今後何があったとしても絶対に関わるべきではないと思い直した。

物事を突き詰めて考えすぎると、最終的にはニヒリストになるか自殺するしかなくなる。それ以外の道を教えてくれたのが菊地成孔のような人であり深沢七郎のような人である。彼らは次の段階に現れた自分にとってのグルのような存在である。もちろん崇拝の対象ではない。人間的に尊敬しているわけでもない。ただ彼らのような人が存在してくれることへの感謝があるだけだ。

人は他人の苦しみには感情移入できるが、喜びには感情移入できない。だから多くの文学作品はどうしても暗いものになる。だが音楽は喜びの共感を生み出す。そこに音楽の特権がある。