INSTANT KARMA

We All Shine On

Human Lost 30 Years

4月に新卒で就職した息子が、職場に適応できず早くも辞めそうになっている。

今日は出勤の途中で気分が悪くなり家に戻ってきたようだ。

昨日、職場の上の人から「新人のくせに出勤時間ギリギリに来るとは何事だ。俺たちのときは定時の40分前に来るのが当たり前だぞ」と叱責されたと言っていた。

その前の日には、「君の給料はこれから30年ずっとこのままだからね。俺たちの頃はもっと酷かったんだから、下がらないだけマシだと思え」と言われたそうだ。

明朗で口数が多かった息子が、就職してから黙り込むようになり、眉間に皺を寄せて考え込むことが多くなった。

「残業代は出ないから、残業はするな」と言われているらしく、勤務時間の面ではブラック企業というわけでもなさそうだと思っていたが、体質が昭和の同族零細企業で、新規採用は20年ぶりということで、この4月まで通信制大学でコロナ禍もあり「ぼっち生活」を満喫していた息子には環境の激変が心身に堪えたのだろう。

自分も新卒1年目のときには周囲からソフトに苛められて毎日辞めることばかり考えていた。それでも世の中というものは徐々に自由で解放的な方向に進んでいくだろう、そのうち通勤地獄のような無意味な苦痛も是正されていくのだろうと仄かに期待していたが、まさか30年経って世の中がもっと酷くなっているとは思わなかった。

ツイッターでこんな画を見てますます気分が落ち込みそうになった。

自分自身の今の環境は凪みたいなもので実質一人職場で人間関係のストレスも殆どないという点では生きやすくなっている。ずっと抱いてきた収入面の心配も、まあ少なくともこの数年は余り釈迦力にやらなくても生きてはいけるんじゃないかくらいに楽観するようになった、というかそういうことを考えるのも億劫になっている。

世の中全体としてよくなる兆候というのはどこにも見当たらずすべてにおいて諦念しか覚えないため極私的な個人の生活の中に閉じこもって本でも読んでいるのに、家族が苦しそうにしているとこちらもしんどくなる。

息子は、就活中に担当の方が付いたらその人は就職後も職場定着支援相談受けてくれると聞いてたからわかものハロワに電話をしてみたが、担当の方は既に退職していた。

何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。

 

尾形亀之助「障子のある家」自序より