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椎名林檎は原阿佐緒の生まれ変わりぢゃないか?

「小説 尾形亀之助―窮死詩人伝」(正津勉著、河出書房新社、2007年)

たいへん面白い。資料に乏しく謎に包まれた尾形亀之助の生涯について、細かな事実が丹念に調べられ、生き生きと描写されている。

亀之助がその直中に飛び込んだ、革命後ロシアの未来派(ロシア・アバンギャルド)に影響された日本の芸術運動についてもその断片を知ることができた。

「日本未来派宣言運動」で衝撃を与え28歳で逝去した詩人・平戶廉吉

萩原恭次郎詩集「死刑宣告」デジタルライブラリーで読める

 

亀之助は大正9年、東北学院を落第退学した年に、「玄土」の創刊同人に加わった。その中心「仙台芸術倶楽部」を主導していたのが石原純原阿佐緒であった。

東北大教授、「相対性理論」の研究で日本を代表し、アインシュタイン来日時には全国を随行した理論物理学者で、同時に「アララギ」の重鎮として歌人としても名を馳せた石原純と、処女歌集「涙痕」を上梓し”歌壇の新星”と謳われた評判の美女・原阿佐緒の道ならぬ恋は、当時のマスメディアを賑わせる格好の醜聞となった。亀之助はこの二人の年長者を間近に見ていて、何か思う所があったに違いなかろう。

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原阿佐緒の短歌を国会図書館デジタルオンラインで読んでみたら、ただひたすらに恋愛体質の自身のことのみを歌っていて、今でいうaikoの歌詞に通じるものを感じた。

こんな歌にはどことなく椎名林檎ふうの感じがただよう。

 

吾がために死なむ と言ひし男らの みなながらへぬ おもしろきかな

あたしのために死ねるとか言った男はみんな長生きしてんじゃない。うける

 

夏の虫 死をたのしめるごとくにも 火に身を投ず わがごとくにも

楽しそうに火の中に突っ込んで死んでいく夏の虫ってあたしみたいだね

 

この「小説尾形亀之助」を読んで、さらに多くのことが知りたくなった。

未来派ダダイズムから始まって、そこからなまの感性と目の前の現実以外のものを削ぎ落し、「それからその次へ」向かった詩人。

今読む彼の詩が驚くほどに新鮮であることに驚く。

これは書こうか書くまいかずいぶん迷ったうえで書くが、

僕が連想したのは中原昌也だ。

尾形亀之助の生きざま全体を含めて、

たんなる虚無主義とかいう言葉では片づけられない精神の閃きがそこに確かにある。

遅まきながら日本の生んだ最良の詩人のひとりに巡り合えてうれしい。

貧乏第一課

 

 太陽は斜に、桐の木の枝のところにそこらをぼやかして光つてゐた。檜葉の陽かげに羽蟲が飛んで晴れた空には雲一つない。見てゐれば、どうして空が靑いのかも不思議なことになつた。緣側に出て何をするのだつたか、緣側に出てみると忘れてゐた。そして、私は二時間も緣側に干した蒲團の上にそのまゝ寢そべつてゐたのだ。

 

 私が寢そべつてゐる間に隣家に四人も人が訪づねて來た。何か土産物をもらつて禮を言ふのも聞えた。私は空の高さが立樹や家屋とはくらべものにならないのを知つてゐたのに、風の大部分が何もない空を吹き過ぎるのを見て何かひどく驚いたやうであつた。

 

 雀がたいへん得意になつて鳴いてゐる。どこかで遠くの方で雞も鳴いてゐる。誰がきめたのか二月は二十八日きりなのを思ひ出してお可笑しくなつた。私は月拂いを今月も出來ぬのだ。