INSTANT KARMA

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Vers Le Pays Informel

「消費は生産を二重に生産する。」マルクスは「経済学批判序説」で書いている。

「つまり、消費においてはじめて生産物は現実的な生産物になるのだから。たとえば衣服は、着るという行為によってはじめて実際に衣服になる。…だから生産物は、消費においてはじめて、単なる自然対象とちがう生産物として証明され、生産物となる。…消費が生産を生産するのは、消費があたらしい生産の欲望を創造し、こうして生産の前提であるところの、生産の精神的な、内部からこれをおしすすめる根拠を創造するからである。消費は、生産の衝動を創造する」(『経済学批判』)。

したがって、(尾形亀之助の)「無形国へ」という詩は、「不飲不食」、すなわち飲料や食品を消費しないことによって、それらに生産物としての「最後の仕上げ」を与えることを拒否すると同時に、新たな生産の根拠や欲望を与えることを拒絶し、それによって、資本の増殖過程に機能不全を導き入れることを狙っている。

福田拓也「尾形亀之助の詩」(思潮社、2013年)より

 

『無形国へ』 尾形亀之助

 

降りつづいた雨があがると、晴れるよりは他にはしかたがないので晴れました。春らしい風が吹いて、明るい陽ざしが一日中縁側にあたつた。私は不飲不食に依る自殺の正しさ、餓死に就て考へこんでしまつていた。

最も小額の費用で生活して、それ以上に労役せぬことーー。このことは、正しくないと君の言ふ現在の社会は、君が余分に費ひやした労力がそのまま君達から彼等と呼ばれる者のためになることにもあてはまる筈だ。

日給を二三円も取つている独身者が、三度の飯がやつとだなどと思ひこまぬがいい。そのためには過飲過食を思想的に避けることだ。そして、だんだんには一日二食以下ですませ得れば、この方法のため働く人のないための人不足などからの賃銀高は一週二三日の労役で一週間の出費に十分にさへなるだろう。

世の中の景気だつて、むだをする人が多いからの景気、さうでないからの不景気などは笑つてやるがいいのだ。君がむだのある出費をするために景気がよい方がいいなどと思ふことは、その足もとから彼等に利用されることだけでしかではないか。

働かなければ食へないなどとそんなことばかり言つている石頭があつたら、その男の前で「それはこのことか」と餓死をしてしまつてみせることもよいではないか。

又、絹糸が安くて百姓が困ると言つても、なければないですむ絹糸などにかかり合ふからなのだ。第三者の需要に左右されるやうなことから手を離すがいい、勿論、賃銀の増加などで何時ものやうにだまされて「円満解決」などのやうなことはせぬことだ。

貯金などのある人は皆全部返してもらつて、あるうちは寝食ひときめこむことだ。金利などといふことにひつかからぬことだ。「××世界」や「××之友」などのやうに「三十円収入」に病気や不時のための貯金は全く不用だ。

細かいことは書ききれぬが、やがて諸君は国勢減退などどいふことを耳にして、きつと何んだかお可笑しくなつて苦笑するだらう。くどくどとなつたが、私の考へこんでいたのは餓死に就てなのだ。餓死自殺を少しでも早くすることではなく出来得ることなのだ。    

(詩神第六巻第五号 昭和5年5月発行)

これって、前にネットで見た「シーリング・ゲイザー宣言」に通じるものがあるよなあ・・・と思い、引用しようとして調べたら、ネットからその痕跡は既に根絶されていた。

反資本主義リアリズム的な言説は我々の目に触れないよう気づかないうちに葬り去られる。これがネット万能社会のマインド・コントロールの実態だ。

高村光太郎草野心平も戦争賛美の詩を書いているとき、尾形亀之助は一人暮らしの中で生涯最後のこの散文詩を発表し、その3か月後に全身衰弱で餓死のように死んだ。

大キナ戦 (1 蠅と角笛) 

尾形亀之助


 五月に入つて雨やあらしの寒むい日が続き、日曜日は一日寝床の中で過した。顔も洗らはず、古新聞を読みかへし昨日のお茶を土瓶の口から飲み、やがて日がかげつて電燈のつく頃となれば、襟も膝もうそ寒く何か影のうすいものを感じ、又小便をもよふすのであつたが、立ち上がることのものぐさか何時まで床の上に座つてゐた。便所の蠅(大きな戦争がぼつ発してゐることは便所の蠅のやうなものでも知つてゐる)にとがめられるわけもないが、一日寝てゐたことの面はゆく、私は庭に出て用を達した。
 青葉の庭は西空が明るく透き、蜂のやうなものは未だそこらに飛んでゐるらしく、たんぽぽの花はくさむらに浮かんでゐた。「角笛を吹け」いまこそ角笛は明るく透いた西空のかなたから響いて来なければならぬのだ。が、胸を張つて佇む私のために角笛は鳴らず、帯もしめないでゐる私には羽の生えた馬の迎ひは来ぬのであった。

(歴程19号 昭和17年9月発行)