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神を追いつめる

私が藤井聡太の名を初めて知ったのは、2014年頃のことと思う。聡太は小学5年で奨励会初段。

「いや恐ろしい子がいますよ」と私に教えてくれたのが渡辺明竜王(当時)だった。地元のカウンターバーで何人かで飲んでいた。

「えっ、東京ですか?」と私。

「いえ」と渡辺。

「じゃあ、関西?」

「違います。名古屋です」

「名古屋?」

「そう。藤井聡太。杉本昌隆門下、11歳初段」

「まだ小学生?」

「もしかしたら小学生で四段になる可能性だってありますよ」

 

大崎善生「ドキュメント 神を追いつめた少年―藤井聡太の夢―」より

大崎善生「ドキュメント 神を追いつめた少年―藤井聡太の夢―」は、将棋世界2017年8月号から2018年4月号まで8回にわたり連載された。

大崎は、あの村山聖の生涯を描いた感動的名作「聖の青春」奨励会員の悲哀を描いた名作「将棋の子」の作者で、小説家でもある。

巷に溢れる<藤井聡太本>の中でも、大崎の書く本はひときわ価値が高いと思われるのだが、なぜかこの連載は書籍化されていない。記事を丁寧にスクラップしたものがインターネットのオークションサイトで売買されている状況だ。

この連載が書籍化されないことについてどんな事情があるのか、部外者には知る由もないわけだが、部外者の特権としていろいろ邪推を働かせてみたりもするわけである。

出版業界のいろいろな事情はさておき、大崎の中に、藤井聡太について一冊の本を出すことへの抵抗があるのじゃないかと。

言うまでもなく、大崎の畢生の代表作は「聖の青春」である。これは「名人になる」ことを目標としながら志半ばでこの世を去った村山聖という棋士の鬼気迫る生涯を描き切ったドキュメントだ。大崎が個人的に親しかった村山の師匠・森信雄との交流をもとにした子弟のエピソードもふんだんに盛り込まれ、村山が上京する際にはアパートの鍵を預かるまでした大崎の個人的な思いも詰まっている。涙なしには読めない名作である。

大崎が書く棋士の姿がもっとも生き生きするのは、やはり羽生世代だ。「聖の青春」にも村山と羽生世代の棋士たちの交流が鮮やかに描かれていて強烈なイメージを残す。

羽生と同い年の先崎学と大崎の共著やエッセイもとても面白く愛読している。

大崎にとっては、藤井聡太は最新世代の天才であり、全身全霊を込めて書ききろうとする対象ではない。「神を追いつめた少年」も、その筆致はどこか客観的で醒めているように感じる。大崎の中に、藤井聡太について本を書くのは、もっとふさわしい若い人に任せるべきなのでは、という思いがあったとしても不思議ではない。

小池重明にとっての団鬼六村山聖にとっての大崎善生のような存在がきっといるに違いない。だから自分は藤井聡太について中途半端な本を出すわけにいかない、という思い。

また、志を遂げ得なかった小池重明村山聖とは違って、藤井聡太はすべてを成し遂げる棋士の栄光の道を歩んでいる。中原誠羽生善治がそうであるように、特別な「この一冊」という作品を必要としない存在なのかもしれない。

・・・こんなことは所詮すべて妄想だが、妄想ついでに、「藤井聡太村山聖の生まれ変わり説」という僕の提唱した(嘘)仮説に基づいて村山の師匠・森信雄にインタビューまでしてしまった人がいるので、それを引用したい。

藤井六冠が村山くんの生まれ変わりですか? うーん…まあ、やっぱりそうは思わない(苦笑)。そんなわけありませんよ(笑)。ただ、そうした声が上がるのは、師匠としてうれしい限りです。飛躍しすぎだとも思いますけどね

週刊現代のインタビューより、以下同)

とはいえ「師匠として、いまも多くの方に、村山くんのことを覚えてもらっていて、活躍目覚ましい藤井六冠と重ねてもらえるというのは、うれしいですね」と言いながら、「たしかに、将棋のスタイルや生き方については、よく似ている点もあるかもしれない」

まず、二人とも小さい頃は負けず嫌いだったことですね。藤井六冠が子供のころ、対局で負けて泣く姿がよく流れていますが、村山くんも子供のころは負けず嫌いで、負けるとずっとなんで負けたのかを考え続けていた。ここは似ていると思います。

ただ、本当に似ているなと思うのは、それからです。ある時期を境に、ただの悔しさとか勝ち負けを超えて、将棋の世界に深く浸かっていく瞬間というのが、二人にはあったと思います。村山くんはある時から、負けた時でもまったく愚痴を言わなくなったことに驚いたことがあります。実に潔く、自分が負けたことを素直に受け止めて、次にどうするかを考える。負けても、黙って次に備えるんです。

藤井六冠もそうです。藤井六冠も、ある時から負けた時の悔しさを顔には出さなくなった。内面は分かりませんが、必ず次の機会に答えを出すように前を向くんです。

一般的な棋士の中には、対局で負けた時に態度や仕草で悔しさを感じさせる人もいますが、彼らにはそれがない。次の対局に勝つために、将棋と深く向き合うことが彼らは普通にできるんでしょうね

プロなら当然、詰将棋はやるんですが、藤井六冠の詰将棋好きは飛びぬけていると聞いています。実は、村山くんも詰将棋が大好きだった。勉強や研究のためというよりは、とにかく好きで解いていた。食事をするのと同じように詰将棋を解いていたんです。それが実際の対局にも活きてくる。異常なまでの詰将棋好きも、二人の共通点ですよね。

 

二人ともとにかく将棋がすべて。学校生活や遊ぶ時間を差し置いても将棋に充てていた。実力も違うでしょうし、生まれ変わりとは思いませんが、見ていた世界は一緒だったのかもしれませんね

藤井六冠も村山くんも、ふんわりとしたかわいらしい雰囲気を持っているところも似ていますね。オーラが優しいんですよ。彼らは敵を作らないでしょ?村山くんも、将棋となるときついことを言うのですが、でも普段の彼は優しくて、敵を作らない。藤井六冠もあれだけ強いと『生意気だ』と周囲から疎まれたって、おかしくない。将棋界にだって、嫉妬はありますから。でも、あんなに強くても、盤上を離れれば敵がいない。それは、二人のオーラが優しいからなんですよ。そこも似ているな、と思っています

森師匠の結婚式で「フツーは人より先に弟子にはそっと教えてくれるもんでしょうが、まったく知らされませんでした」とスピーチして大爆笑を取る村山

では、もしも――もしも村山九段と藤井六冠が戦ったら、どうなっていただろうか。

「これはね、やっぱり村山くんは負けると思います(笑)。最初は赤子の手をひねるようにして負けるでしょう。でも僕はそんな村山くんに『なにしてるの?それでいいの?』って言いにいく。そしたら村山くんはムッとしながらも『次は完全に負かします』と言うんですよ。次の対局は盛り上がって、そんな戦いが何局も続く。彼は藤井さんに勝つことを生きがいとし、さらに将棋の勉強を熱心にやっていたと思います。負けても負けても向かっていく。それは村山くんにとってもすごく幸せな時間になったと思います。村山くんと藤井六冠、一緒に将棋をさせてあげたかったですね」

・・・うん、藤井六冠ではないにしても、もしかしたら、どこかで生まれ変わっているのかもしれませんね、村山くんは。村山くんがもしまた僕のところに訪ねてきてくれたら、もう一度、弟子にしたいです。年齢的にはきついですが(笑)。

彼は一緒にいて面白いんです。彼と将棋の話をすると学びになり、将棋にきらめきが出てくる感じなんです。勝負の世界ですから勝ち負けはあるけれど、それを超えてね、もう将棋が楽しくなるんです。いまでも彼のことを考えると楽しい。僕は今でも村山くんに助けてもらっているんですよ。

決して逃げず、後ろ向きにはならなかった村山くん。いつも前を向いていた。だから僕は今でも後ろ向きな気持ちにはなれないんです。後ろを向いてしまったら叱られそうなんです。そんな村山くんのプレッシャーを、ずっと感じながら生きています(笑)。

藤井六冠にも、そういう魅力やオーラがあると思う。人を元気にして、人に前を向かせるオーラ。僕はそう思う。そういう棋士は、将棋ファン以外の人からも好かれるんです。村山くんのファンも、将棋を知らない人に多かったですからね