INSTANT KARMA

We All Shine On

やまたつ

あーなんでこんなやつ (はー)
思ったときもある でも 夢見る2人
目指す“まりやとやまたつ”

清水翔太「Lazy feat. ASOBOiSM, Kouichi Arakawa

西村賢太お別れ会」で爆上がりしたアクセス数(とはいえせいぜい数百レベルだが)がいい感じに下がって来たので、久しぶりに音楽関係の話。

山下達郎の新譜「Softly」は、まだ購入していない。すっかりサブスクで音楽を聴くのが身に着いて、CDを買うのが面倒になってしまった。音楽業界のいいように牛耳られている哀れな奴隷リスナーと化している。もうこの時点で山下達郎を評する資格などない。

山下達郎と言えば、夏。ビーチ・ボーイズ。でも代表曲は「クリスマス・イブ」。全方位にわたり隙が無い。テレビには全く出ないにもかかわらずアルバムの売上は常にトップクラス。妻は元アイドル歌手でいまや押しも押されもせぬ日本有数の人気シンガーソングライター竹内まりや。玄人受けもよく、ほとんどすべてのミュージシャンから崇拝に近い敬意を集めており、その一方で圧倒的な大衆的支持もあり、CMソングやタイアップ曲は数知れず、ジャニーズタレントにも数々の曲を提供。全く全方位に隙が無い。そんな無双状態を気が付くともう四十年以上続けている(「ライド・オン・タイム」のブレイクが1980年であったと考えると42年だ)。

ぼくが山下達郎を知ったのは、例によってロッキング・オン渋谷陽一を通してだった。渋谷はレッド・ツェッペリンのようなハードロックを信奉する一方で、八十年代からはロックに飽きてブラック・ミュージックにのめり込むようになり、山下達郎のライブを見てそのクオリティの高さに圧倒される。以後繰り返し山下とのインタビューや対談記事を書き、渋谷がパーソナリティをつとめるラジオにもしばしばゲストに招いた。

二人の会話は、同世代の気安さで、山下の職人的で頑固な姿勢を渋谷が揶揄するような物言いで挑発し、一時は噺家になろうと考えたほど落語好きでユーモアのセンスに溢れた山下が負けじと言い返すテンポとエッジの効いたやり取りが楽しく、カセットテープにエアチェックして何度も聞いた。

山下がシュガー・ベイブというバンドを作ってデビューした頃は、七十年代ハードロックが幅を利かせていて、ビーチ・ボーイズラスカルズや六十年代ソフト・ロックの影響を受けたポップスを志向する彼のような存在は自ずと軽んじられた。彼はその頃の怨念をずっと引き摺り続けた。売れない頃の恨みを決して忘れないことは、売れるためには必要なことなのかもしれない。

1987年頃、山下が趣味全開で上柴とおると楽しくトークしているFM大阪の番組をエアチェックして何度も聞いていた。下の動画は曲は著作権の都合で曲はカットしているが、サブスクやYoutubeで探せば聴ける。

山下達郎の音楽は、六十年代ソフト・ロックと七十年代ソウル・ミュージックの理想的な融合で、それが「ジャパニーズ・ソフト・ロックの金字塔としてここ数年、Youtubeなどの影響で世界的に認知され、高い評価を受けているのも当然といえば当然といえる。日本は音楽界のガラパゴスゆえ世界に発見されるのが遅すぎた。

ブラック・ミュージックにのめり込んでいた初期の山下達郎(「シュガー・ベイブ」を解散してソロ・アルバムを出すようになったころ)は、吉田美奈子という強力なパートナーを得て、彼のキャリア史上最も充実したDuetを聴かせた。

Youtubeで聴ける「If you want it」や、二枚組の名盤ライブ・アルバム「It's a Poppin' Time」を聴くと今も震える。

このライブでピアノを弾いているのが坂本龍一で、二人で語り合った貴重な番組の音源がある。竹内まりやと交際し始めてマスコミに追いかけられている山下を、坂本が揶揄う様子が微笑ましい。まだ坂本が矢野顕子と付き合う前だろう。

吉田美奈子と別れ、竹内まりやと結婚したことで、山下の音楽性もポップ寄りになった。ちなみに「シュガー・ベイブ」で山下と組んでいた大貫妙子坂本龍一と同棲していたが同じ頃に別れている。ちなみに、ロッキング・オンの創設者の一人で歌手デビューした松村雄策竹内まりやとデビューが同期で、プロモーションなどの場で一緒になることもあったらしい。ちなみに大瀧詠一は……「ちなみに」が止まらなくなるのでもうやめる。

ソロアルバムの売れ行きがいまひとつで、表に立つミュージシャンの看板を下ろして裏方に回ろうかと考えていた山下は、CMソングで食いつなぎ、「ボンバー」というファンキーな曲が大阪のディスコで火が付いたのをきっかけに、アルバムの売り上げも上向き始めるようになる。このとき山下は、全国のレコード店をリサーチし、業界紙を丹念に読み漁り、レコードの売り上げとライブ活動や営業活動、テレビ出演との相関関係などについて研究した結果、「テレビに出なくてもレコードは売れる」との確信を得た。

そして出たのが「ライド・オン・タイム」である。八十年代の幕開けを告げるこのアルバムから山下達郎の怒涛の快進撃が始まり、今に至る。

1982年に山下と結婚した竹内まりやは、出雲の老舗旅館の娘で、神道系の新宗教の信者である。彼女の世界観が山下に与えた影響は大きい。もちろんそれはポジティブなものだ。山下と竹内の夫妻は、日本のミュージシャンの夫婦として桑田佳祐原由子に並ぶ理想形として崇拝に近い敬意を持たれている。

今振り返ると、七十年代以降の日本のポップス音楽界は、夢のような才能に溢れていたと思う。上に名前を挙げたミュージシャンをはじめ、枚挙に暇のない豊かな作品が無数に生み出され、それを今の世代の音楽愛好家(ぼくが無条件にその選曲を信用しているミュージシャン・長谷川陽平(元「チャンギハと顔たち」という韓国のロック・バンドのギタリスト)のような人たち)が懸命に掘り返している。

そんな日本シティ・ポップ黄金時代と言っていいムーブメントの王者の一人が山下達郎である。だがそんなことはもう何万回も言い古されている。

もう〈やまたつ〉に関して何を言っても目新しいことなどない。ただ一つぼくに疑問なのは、〈まりやとやまたつ〉にはなんであんなに「不倫ソング」が多いのだろう、ということだ。

上柴とおるのポップス・ア・ゴー・ゴー「ソフトロック特集」
ゲスト山下達郎 1987年頃(「踊ろよフィッシュ」発売時)

1.The New Colony Six - "I Will Always Think About You"

2. The Parade - Sunshine girl

3. Don and the Goodtimes  I Could Be So Good to You

4. Spanky & Our Gang - Like To Get To Know You

5. The Tradewinds  Mind Excursion

6. The Innocence – There's Got To Be A Word!

7. The Critters – Mr Dieingly Sad

8. The Five Americans - Zip Code

9. The 'In' Crowd - Questions And Answers

10. Eternity's Children – Mrs.Bluebird

11. The Cyrkle - The Visit (She Was Here)