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『君たちはどう生きるか』を読んで、僕たちはどう生きるかを考えてみたい

以下は、5年くらい前に書いた文章。

このときにはもう映画化は決まっていたのかな。

もっとも映画自体はこの本の内容とはほとんど関係ないらしいが。

 

*  *  *

 

この1年のうちに、日本で一番売れた本が、この吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』だという。正確には、この小説を漫画化した作品が驚異的な売れ行きを示し、どんな書店でも山積みになっているという現象が起きている。

自分がこの本を読んだのは、中学生くらいのときだから、内容はすっかり忘れていたので、30年以上ぶりに実家の本棚から岩波文庫版を引っ張り出して、読み返してみた。

実家から東京に戻る列車の中で読み始めたのだが、読み進めるうちに涙が止まらなくて困った。中学生のときにはさして感銘を受けた記憶もないので、歳を食って涙腺が弱まったのに加え、主人公の少年と、彼を温かく見守る叔父さんの両方に感情移入できるようになったのが大きいのかもしれない。

この本を読むうえでは、出版当時の時代環境を頭に入れておいた方がいい。『君たちはどう生きるか』が出版された1937年というのは、7月に盧溝橋事件がおこり、みるみるうちに中日事変となって、以後8年間にわたる日中の戦争が始まった年だった。ヨーロッパではムッソリーニヒトラーが政権をとって、ファシズムが諸国民の脅威となり、第二次世界大戦の危険は暗雲のように全世界を覆っていた。

日本ではすでに言論や出版の自由はいちじるしく制限され、労働運動や社会主義の運動は、凶暴といってよいほどの苛烈な弾圧を受けていた(有名な小林多喜二の拷問死は1933年の出来事である)。

哲学者であった吉野源三郎は、このような時代状況を十分に意識しながら、次の時代を担う少年少女に向けて、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとかして伝えておかねばならないとの思いから、15歳の少年を主人公にした物語を創作した。

しかし実際には、ここでは筋立てで読者を引き込む物語というよりも、一人の少年の中に、自己意識、そして自分という個人と社会や世界との関わりについての意識が目覚めていく、内面のドラマが語られている。

例えば、冒頭の章で、少年はこんな内的体験をする。

七階建てのデパートの屋上から、霧雨の中に茫々とひろがっている東京の街を見つめているうちに、眼の下の東京市が一面の海で、ところどころに立っているビルディングが、その海面から突き出ている岩のように見えてきた。

海の上には、雨空が低く垂れている。少年は、この海の下に人間が生きているんだ、とぼんやりと考えた。ふとその考えに気づくと、身震いがした。びっしりと大地を埋め尽くして続いている小さな屋根、その数えきれない屋根の下に、自分の知らない何十万という人間が生きている。何十万、何百万の人間が、思い思いの考えで、思い思いのことをして生きている。そして、その人間が、毎朝、毎夕、潮のようにさしたり引いたりしたりしているというのだ!

少年は、隣に立っていた叔父さんに、思わず話しかける。

「人間て、まあ、水の分子みたいなものだねえ。」

叔父さんは、その夜、少年に「ものの見方について」という手紙を書いた。

「君が広い世の中の一分子として自分を見たということは、決して小さな発見ではない。

自分たちの地球が宇宙の中心だという考え(地動説)にかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断していくと、世の中の本当のことも、ついに知ることができないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、決してうつらないのだ。

だから、今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子だと感じたということは、ほんとうに大きなことだと、僕は思う。僕は、君の心の中に、今日の経験が深く痕(あと)を残してくれることを、ひそかに願っている。

今日君が感じたこと、今日君が考えた考え方は、どうして、なかなか深い意味を持っているのだ。それは、天動説から地動説に変わったようなものなのだから。」

その日から、少年には「コペル君」と呼ばれるようになった。

コペル君は、友だちからあだ名の由来をたずねられると、なんだかうれしそうな顔になって、この経験のことや、コペルニクスという偉い人のことを思い出すのだった。

ここから、コペル君の内面のドラマは、時には社会とのかかわりを巡って、時には友情を巡って、さまざまに続いていくのだが、それはこの物語を直接読んでいただくことにして(どのエピソードもひどく感動的で、自分は涙なしで1頁も読めなかった)、この冒頭のコペル君の気づきを手掛かりにして、「僕たちはどう生きるか」を考えてみたい。

 

コペル君が「人間は、水の分子のようなものだ」と感じたとき、彼は、単なる社会の道具としての個人というものについてではなく、世界における諸現象の関係性という巨大な波の一部分としての個人の存在というものをしみじみと実感したのではないだろうか。

そこに自己中心的な自我の働きから抜け出して、新しい他者との関係性や、新しい社会のあり方に目覚める契機を読み取ったから、叔父さんは、コペルニクスの地動説から天動説への転換になぞらえて、コペル君にあのような手紙を書いたのだと思う。

個人というものを、教育されたり、搾取されたり、戦争の用具として虐殺されていくロボットにすぎないとみなす考え方は、コペル君が生きようとしていた時代を支配した、ファシズム全体主義の思想であり、その考え方は、グローバリズムと高度資本主義が世界を支配する今も、依然として主流な発想であり続けているように思われる。

記憶に新しいところで言えば、日大アメフト部による反則タックル事件。あれも、極端に言うなら、戦時中の、玉砕攻撃を命じる上官と特攻隊員の関係性の残滓といえるのではないか。個人よりも組織の利益が優先され、理不尽な命令であっても従わざるを得ない、醜悪な関係性がそこにはあった気がする。

こんなものは氷山の一角であり、社会を見渡しても、われわれの身近なところに、個人よりも組織や社会を優先する全体主義の精神は今も色濃く残っていると言わざるを得ない。

自分自身が、日常生活や人間関係の中で、権威や、様々な観念、条件付けによって縛られていることに気づくことで、初めてそれらから解放される。そのことによって、またそのことによってのみ、自分が全体から切り離すことのできない一部であるところの世界の変革につながる。

コペル君は、いろいろな経験をした後で、叔父さんに向けて、新しいノートブックにこんな風に書きつけた。

「叔父さんのノートは、僕、くりかえし読みました。僕にはまだ難しいところもありましたが、でも僕は、飛ばさずになんども読んでみました。

一番心を動かされたのは、やはり、お父さんの言葉でした。僕に人間として立派な人間になってもらいたいというのが、なくなったお父さんの最後の希望だったということを、僕は決して忘れないつもりです。

僕、ほんとうにいい人間にならなければいけないと思い始めました。叔父さんのいうように、僕は、消費専門家で、なにひとつ生産していません。浦川君なんかとちがって、僕には、いま何か生産しようと思っても、なんにもできません。しかし、僕は、いい人間になることはできます。自分がいい人間になって、いい人間を一人この世の中に生み出すことは、僕にでもできるのです。そして、そのつもりにさえなれば、これ以上のものを生み出せる人間にだって、なれると思います。」

「僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。」

コペル君が物語の中で、あるいは物語の後に直面したであろう問題は、確かに21世紀の今もリアルであり続けている。そしてその問題に取り組むただ一つの有効な方法は、当時も今も同じなのだ。

そう考えれば、『君たちはどう生きるか』が今の日本でベストセラーになるのは必然的な現象なのだろうと思えるし、肯定的な流れとして捉えることもできるのだろうと思う。

さて、最後に、自分自身にこう問うてみよう。

「僕たちは、どう生きるか?」

いや、もっと正確に言えば、

「僕は、どう生きるか?」