INSTANT KARMA

We All Shine On

Avitchhunt

相変わらず歌番組にはジャニーズ事務所のタレントたちがワンサカ出ている。

ニュジとルセラの部分だけ残してあとは削除するために録画せざるを得ないが、編集するときにジャニーズ事務所のタレントが画面に映りこむのを見るだけで気分が悪い。

タレントに罪はないというのは正論かもしれないが、このようなタレントを起用しているテレビ局の姿勢にウンザリするのだ。もうインターネットがあればテレビなど全滅したほうがいいような気にもなって来る。

国連の人権委員会が来日して聞き取り調査をするらしいが、どこまで突っ込んだ調査をするのかは疑問である。被害者やジャニーズ事務所の幹部だけでなく、テレビ局はじめメディア関係者にも聞き取りを行って、汚らしい癒着の実態を明らかにすべきだろう。

ジャニー喜多川という大犯罪者が生前何の裁きも得ず何の責任も問われることがなかったのはメディアの大罪にほかならない。怠慢を通り越した重過失であり、メディア幹部の総退陣に値する。

今後いかなるニュース番組を見ても、自分の目とテレビ画面の間にあの黒帽子とサングラス姿の老人の姿が透明なフィルターとして立ち塞がるであろう。画面越しにキャスターたちがどんな大層な意見を吐いても、お前が言うな、という反射的反応を抑えることは困難であろう。

自分が日本人でなかったら、北朝鮮と日本の人権感覚の違いを判別することは困難だろう。いや、自分は日本人だと思っているが、メディアに関する限り、北朝鮮と日本の人権感覚の違いを判別することは困難である。少なくとも、金総書記に熱狂している北朝鮮の人民は、ジャニーズのタレントに熱狂している少女たちよりも政治意識において優れていることは疑いない。

 

生前に悪の限りを尽くしながら平穏無事に天寿を全うした人間をどうしても許せないという自然な心情が<地獄>の思想を生み出した。その教義によれば、現世における肉体的な苦しみ(痛み、痒みその他の不快感)は肉体の消滅と共に止むが、来世における魂の苦しみはいつまでも続くという。だが魂の苦しみというのは<良心の呵責>と呼ばれるものであり、良心のカケラでも備えた人間にはいつまでも付きまとうが、そもそも良心を持たない者はそれを感じることがない。ではそういう人間はどうなるのかというと、<無間地獄(Avitch)>という場所(境涯)で暮らすことになるのだという。

アヴィチAvitch(Avichiとも訳される)は仏教においてサンスクリット語パーリ語で「波のない」という意味の語を指す。それは、重大な悪行を犯して死んだ人が生まれ変わるかもしれない「地獄」(naraka)の最も低い段階であり、 仏教では地獄は一時的なものだが、アヴィチは往々にして、存在が永遠に苦しんでいる、行けば戻って来ることのない場所と見なされている。

それは「場所」ではなく、意識的に危害を加えることで人生を棒に振った人たちが経験した悲惨な「状態」であり、その結果として彼らの個人的な自我は霊的な自我との繋がりを破壊した。 この状態は死後に経験されるだけでなく、新たに肉体化身した物質界にまで続き、その人は魂のない(soulless)人として悲しみに満ちた人生を送り、時が経つにつれてますます動物的になる。自我(personality)は 1 回またはいくつかの化身の後、ついには全滅する。アヴィチは場所としての地獄ではなく、「その状態と、そこでの拷問はすべて精神的なものである」。

地獄の思想を信じる人々の中には、地球の地下深くで沸騰し燃え滾るマグマの層は文字通り地獄に堕ちた人間たちが落とされ苦しんでいる環境にほかならないとまで言うのがいる。

死後も悪人を罰したいという人間の怨念には限りがない…。

 

相変わらずテレビ番組に出ているジャニーズ事務所のタレントたちを見ながらそんなことをぼんやりと考えていた。