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A Stitch in Crime

ゆで卵を右手に持って現場に登場するコロンボ

今CSで刑事コロンボシリーズを放映しているのを知って、録画を始めた。

コロンボ・シリーズがNHKで放映されていたのは1970年代で、リアルタイムで見ていた記憶はなく、むしろその後に民放で水曜ロードショーの枠で不定期に放映されていたのを見ていたような気がする。

父親がコロンボ大好きで、一緒に見て語り合える数少ない番組の一つだった。いくつかの話は録画して繰り返し見ていた。

今朝見たのは第15話『溶ける糸 A Stitch in Crime 』。

シリーズの中でも人気の一作だ。

コロンボの魅力は多種多彩で、主演のピーター・フォークの演技(日本語版では吹き替えの良さも加わる)、犯人役の俳優との演技合戦、コロンボ警部補のキャラクター造形の妙、そして何と言っても脚本(シナリオ)の秀逸さだ。

魅力的なキャスト、よくできた脚本、適切な演出の三位一体が優れたドラマを生み出す絶対要素だが、コロンボにはそのすべてが最高のクオリティで揃っている。

 

(以下ネタバレ含むので注意)

 

原題の A Stitch in Crime は直訳すれば「犯行におけるひと縫い」みたいな感じで、作品の核心をよく捉えている。コロンボは表題が毎回痺れるくらいに良い。邦題の『溶ける糸』はもっと踏み込んで犯行に使われたトリック自体をネタばらししてしまっているが、これはこれで良い。

数十年ぶりに改めて見ていると、コロンボシリーズを個人的に「白魔術師と黒魔術師の戦い」として見てしまう自分に気づく。

この作品では、「コロンボの右手」と「犯人の左手」が実に効果的に使われている。

オカルト的に「左手の道」というのは黒魔術のやり方を指す。

魔術師的だというのは、両者が「統御された激昂 controlled fury」を扱うやり方である。

コロンボ(白魔術師)が、犯人(メイフィールド)の前で怒りを爆発させる場面がある。普段は犯人に対してふざけた道化師ぶりを発揮してトボケ倒すのが得意なコロンボが、珍しく本気の怒りを見せる。全コロンボシリーズの中でも白眉という声もある、貴重な場面である。

その後の成り行きを見れば分かる通り、もちろんこの怒りは演技 performanceである。

このときのコロンボ右手に注目。

そして犯人(メイフィールド)も、コロンボに対して迫真の怒りの演技を見せる。

このときの犯人の左手に注目。

最後の決め手になったのは、コロンボがその演技(企み trickを見破ったことだった。

そしてラスト・シーンは、コロンボが決定的な”ブツ”を右手で取り出し、左手に持ち替えて終わる。

コロンボは真実を暴く(明らかにする)ために「統御された激昂」で右手を用い、犯人は真実を隠すために左手を用いた。

ここには深いオカルト的な真理がある。