INSTANT KARMA

We All Shine On

Daevid Allen

1991年4月24日に配布された手書き資料の書き起こし。

そういう訳で、91年度の第1弾は、一昨年12月のGong特集の続編とも言うべき、Daevid Allenの特集です。だからその時のテープとあわせて聴いていただけるともっと有難いのですが、中にはGongの名もD.Allenの名を聴くのも初めてだという方もいらっしゃるでしょうから、とりあえず興味を持ったらいろいろあたってみたらいいでしょう。

昨今のCD再発ラッシュのお陰で、Gong関係の作品もかなり再発され、ちょっとしたレコード屋ならたいていGongのコーナーが設けてあるというのはとても嬉しいのですが、私が中古LPで買い揃えた作品があっさりCDで手に入れられるなんてうらやましいものです。まあ人間、年を取るとノスタルジックになるものです。

さて本論に入りましょう。Daevid Allenについてくわしく書いてある資料なんてそう多くはないんですが、一番参考になるものは未発表曲集CD The Mystery and the History of the Planet Gongのライナーでしょうか。これはBabs Kirkという人の筆によるもので、おそらくAllenたちから取材して書いたものでしょうが、何せタイプ字でとても小さいので読みづらいのですが、とりあえずこれをネタ本にして私の主観を交えて書いていきましょう。

 

1 Gong脱退~Planet Gong(1975-1977)

Gong思想の集大成とも言うべきRadio Gnome Invisible3部作の3作目「You」の発表後、Allenは突然グループを去ってしまう。彼の理想を体現するグループのはずであったGongが有名になりすぎてツアーとギグを重ねていくうちに彼が疲れ果ててしまったこと、その中で共同体的連帯を保ってきたメンバー間に亀裂が生じ始めていたこと、ヒッピー達の乱痴気騒ぎに疑問を感じ始めたことなどが理由として挙げられるだろうが、とにかく彼は静かな所を探し求めるために去っていった。

その後も何故かGongというグループは存続し、いろいろゴタゴタを経た後にドラムのPierre Moerlenを中心にまとまっていく。このグループはクロスオーヴァー路線を指向し、かつてのGongとは似ても似つかぬものになっている。

メンバーは「Allenはやりたいことをやり尽くしたから抜けたんだ」などと語り、新任のギタリストAllan Holdsworthに至っては「自分は過去のGongについては何も知らない」とふざけたことを言っているが、今日の特集とは何の関係もないので放っておこう。

さてAllenが結局落ち着いたのはイギリスでもフランスでも祖国オーストラリアでもなく、スペインのマジョルカ島であった。ここはKevin Ayersもよく滞在する所で、何がそんなに良いのかよく分からないが、きっと心の洗濯をするにはもってこいの場所なのだろう。

彼は再びVirginレコードと契約し、1976年アルバム「Good Morning!」を発表する。これは地元のグループのEuterpeと一緒に4トラックレコーダーで録音したもので、B面には多少往年のGongらしさがうかがえるものの、A面は牧歌的なアコースティック路線で、彼がかつての激しい生活と訣別したことが分かる。実際、当時のインタビューで彼は「酒もドラッグもやめた。今はメディテーションだけでハッピーになれる」と語っている。

次いでAffinityレーベルより「Now Is The Happiest Time of Your Life」を発表している。朗らかなジャケットを見れば分かる通り、前作のアコースティック路線を継承し、内容はより私的に、かつメディテーショナルになっている。「Now Is The Happiest Time of Your Life…Now is...」と連呼し続ける彼の歌を聴く限り、彼は現状に満足しているようにも見える。

ところが1977年彼はパリのステージに姿を現わす。それもかつてのGongのメンバーと一緒に当時のままの演奏を行ったのである。この12時間にもわたる演奏は2枚組のライブ・アルバム「Gong est mort...Vive Gong」によって聴くことができるが、往年を上回るほどの素晴らしい内容となっている。この再結成の理由はよくわからないが、73年から75年にかけての演奏をVirginレコードが勝手につきはぎしてリリースした2枚組「Gong Live etc」への抗議の意味も込められていたようだ。

そして彼はアグレッシヴな活動を再開する。彼はHere & Now というパンク・バンドのメンバーと一緒に Planet Gong というグループを名乗り、フリー・コンサートを開く。往年のGongをパンク調にしたような内容で、大半が新曲であった。彼は昔に戻ろうとしていたのではなく、パンク~ニューウェーヴ・ムーヴメントに真っ向から挑戦しようとしたのである。

そして彼は、Mother Gong というグループを率いて活動していた妻Gilli Smythと別れ、単身アメリカへと向かう。

 

2 アメリカ時代(1978-1980)

1978年「N'existe pas!」( Never Exist! と英訳すればいいのかな)というタイトルからして強烈なアルバムを発表する。これはサイケデリック、スペイシー・サウンドフリー・ジャズ、おまけにブルーグラスバンジョーまで入れてごった煮にしたようなアルバムで、その混沌としたサウンドによって、彼がすでに「Good Morning!」の頃とは違う地点に立っていることがわかる。そして彼はニューヨークに落ち着き、またもやGongの名の付くグループを結成する。

New York Gongという名のそのグループは、Bill Laswell(b), Michael Beinhorn(syn), Fred Maher(ds)といった後にMaterialを結成するメンバーで占められ、Mterialを彷彿とさせるリズムにAllenの歌とギターがのっかる形になっている。イギリス人テナー・サックス奏者Gary Windoがゲスト参加している Jungle Windo(w)はラップ風の曲になっていて面白い。Bill Laswellはこの後Fred Frithと Massacreというグループを結成したりしているので日本では長らくプログレ系の人と思われていたようだが、それは彼にとっては不名誉なことだろう。

それはともかく、New York Gongはセッション・グループみたいなものだったので、アルバム「About Time」1枚で終わったが、Allenはこの時のセッションがよほど気に入ったのか、この時のリズム・セクションのテープを切ったりつないだりしたものに新たに歌とギターをかぶせて 「Divided Alien Playbox 80」というアルバムを録音している。レコードの内装にはDivided Alien(おそらくDaevid Allenの名前とひっかけているのだろう)についてのものものしい詩が記されているが、内容としては今一つという気もする。アイデアが先行して中身が伴なっていないという感じだろうか。もちろん、部分的には面白いけど。

 

3 オーストラリアに帰って(1981-1987)

1981年、Allenは祖国オーストラリアに21年ぶりに帰国する。彼はまず「The Death of Rock and Other Entrances」というアルバムを発表する。これは聴いたことがない。

次いで旧友でオーストラリアのアンダーグラウンド・シーンで活動していた David Tolleyとデュオでミニアルバム「 Ex/Don't Stop」を制作する。打ち込みのリズムに乗せた軽妙なサウンドは彼の長いキャリアの中でも異色の出来となっている。

1982年、Gilli SmythがMother Gong の音楽的リーダーであったHarry Williamsonと共に「核戦争の恐怖が増しつつあったため」オーストラリアに移って来る。1980年代後半以降この三人は常に活動を共にするようになる。

1983年以降、Allenは精神的隠遁生活に入る。この1年半の間に彼の父が死んだり、長男Tobyが誕生するなどの様々な環境変化が生じたことが彼にそうさせたのだろうか。彼はミステリー・スクールに通い始め、内的精神の探究に入る。この間に彼は「火の上を歩く方法」すら学んだという。

そしてその一環として彼は「Seven Drones」というアルバムを制作する。これは「to understand how music affects our daily performances」ことを目的とした実験的な作品で、「C Drone」から「B Drone」の7局と「Hello Me」の8局から成り立っているが、前7曲はテープ音や電子音によって組み立てられたC,D,E...B音を基底にしてその上にメディテーショナルなメロディーを載せたものである。ライナーにはC音からB音へのプロセスがどのような意味を持つか図解されているので、興味のある方はまじめに聴いてみるといいだろう。ただあまりにもヘヴィーな作品なのでこの特集からは外しておく。

その一方で彼はロック作品も制作し、プライベート録音として残している。これらの曲はイギリスのレコード会社によって「The Australian Years」としてCD化されている。ここでは「Divided Alien Playbox 80」のような試行錯誤から抜け出し、よりよい形に成熟した彼の姿が見られる。

 

4 近況(1988- )

1988年、Allen、Smyth そしてHarry Williamsonは再びイギリスに戻って来る。 3人は女性の詩人、歌手、ハーモニウム奏者であるWandanaを加えてアコースティック中心の演奏活動を開始し、同年「The Owl and the Tree」を制作する。Allenがほとんど前面に出てこないのは意外だが、この牧歌的サウンドはまさに「Good Morning!」「Now Is The Happiest Time of Your Life」の延長線上にあるといえよう。

そして彼は本格的なツアーを行った。メンバーにはこの4人の他に、Gong結成以来の盟友であるDidier Malherbe(sax, flute)やタブラ奏者 Shyamal Maitraなどが含まれている。この時の模様は「Gongmason」というタイトルでライブ・アルバム化されている。Gong時代の名曲「Flying Saucer」が「Flying Teacup」と改題されて演奏されていて感慨深い。リズムはすっかり現代風になっているものの、メロディーを聴けばやはりAllenの音楽で、時代に媚びず、しかし逆らわない彼の姿勢に敬服する。

ちなみにこのアルバムに収録されている「Titicaca」と、昨年CD化されたGongの未発表ライブ「Live at Sheffield 1974」のボーナストラックとして収められている同曲とは違うバージョンだが、どっちかといえば「Gongmason」の方が良い出来になっていると思う。

昨1990年、「Australia Aquaria/She」というアルバムを発表した。A面が「Australia Aquaria」、B面が「She」というコンセプト構成になっていて、壮大な抒情詩を歌い上げている。52歳にして(現在53歳)未だ健在ぶりを証明しているが、噂によるとオリジナルGong再結成の話もあるらしく、彼の今後の活動に対してはこれからも目が離せないだろう。

 

以前のGong特集ではDaevid Allenのことを「半分一線から退いた人」のように書いてしまいましたが、それは単なる情報不足であり、近年再び積極的な活動を行っていることが分かったので喜ばしい限りです。

彼の作品に初めて触れる人が今日取り上げた曲を聴くと、アコースティックをやったり時々変なことをやっている人という印象しか受けないかもしれませんが、1960年代後半から1970年代初頭にかけてロンドンとパリにまたがってサイケデリック・シーンを支えてきた人が様々な流転を経て現在なおその力を失わないで活動している、と頭において聴くと少し違う感想を持たれるかもしれません。単に「過去の音楽」を聴いているだけではだめだよ、という戒めの意味でも1回目にこの特集をもってきたのは妥当だったと思います。人間、年を取ると説教臭くなるもんですね。まあいいか。

 

プレイリスト

A-1 Children Of The New World(「Good Morning!」)

A-2 Have You Seen My Friend?

A-3 She Doesn't She...

A-4 See You on the Moontower(「Now Is the Happiest Time of Your Life」)

A-5 Only Make Love If You Want To

A-6 Psychological Overture~Floatin' Anarchy(「Live Floating Anarchy 1977」)

A-7 Non God Will Not Go On(「N'Existe Pas!」)

A-8 Strong Woman(「About Time」)

B-1 When(「Divided Alien Playbox 80」)

B-2 Peace Training(「The Australian Years」)

B-3 Unseen Ally(「The Owl and the Tree」)

B-4 Titi-Caca(「Gongmason」)

B-5 Gaia(「Australia Aquaria/She」

B-6 Clarence In Wonderland~Where Have All The Hours Gone(「The Mystery And The History Of The Planet Gong」)

 

 

※この時以来、自分はその活動を追いかけていなかったが、今調べてみると、デヴィッド・アレンはその後も積極的な活動を続け、ゴングの再結成やら、来日してフジロックに出演したり、息子と共作したり、旺盛な創作意欲に満ちた充実した日々を送っていたようだ。

2015年3月13日にオーストラリアで彼の息子たち(4人いた)に囲まれて安らかに亡くなったという。享年77歳。

2015年2月にアレンがファンたちに向けて送ったメッセージを公式サイトから転載する。

       
MESSAGE OF DAEVID - FULL MOON FEBRUARY 2015

 

Hello you Kookaburras,

OK so I have had my PET-CAT scans (which is essentially a full body viewing gallery for cancer specialists) and so it is now confirmed that the invading cancer has returned to successfully establish dominant residency in my neck.

The original surgery took much of it out, but the cancer has now recreated itself with renewed vigor while also spreading to my lung.

The cancer is now so well established that I have now been given approximately six months to live.

So My view has Changed:

I am not interested in endless surgical operations and in fact it has come as a relief to know that the end is in sight.

I am a great believer in "The Will of the Way Things Are" and I also believe that the time has come to stop resisting and denying and to surrender to the way it is.

I can only hope that during this journey, I have somehow contributed to the happiness in the lives of a few other fellow humans.

I believe I have done my best to heal, dear friends and that you have been enormously helpful in supporting me through this time

So Thank you SO much for being there with me, for the Ocean of Love

and Now, importantly, Thankyou for starting the process of letting go of me, of mourning then transforming and celebrating this death coming up - this is how you can contribute, this would be a great gift from those emotionally and spiritually involved with me.

I love you and will be with you always - Daevidxxx -

 

 

デヴィッドからのメッセージ - 2015 年 2 月の満月の日に

 

こんにちは Kookaburrasの皆さん、

さて、私は PET-CAT スキャン (基本的には癌専門家による全身を観察するための検査) を受けました。その結果、浸潤癌が再発し、首に優勢な領域を確立することに成功したことが確認されました。

最初の手術でがんの大部分が取り除かれましたが、がんは再び勢いよく再生し、肺にも転移しました。

癌は現在かなり進行しており、余命約6か月と宣告されています。

そこで私の見方は変わりました。

私は終わりのない外科手術には興味がありませんし、実際、終わりが見えていると知って安心しました。

私は「物事のありのままの意志」を強く信じており、抵抗や否定をやめて、ありのままに身を委ねる時が来たとも信じています。

この旅の間、私が他の数人の人間の人生の幸福に何らかの形で貢献できたことを願うばかりです。

親愛なる皆さん、私は治癒するために最善を尽くしてきたと信じています、そしてこの時期を通して私をサポートするのに皆さんはとても助けてくれたと信じています。

だから、愛の海のために私と一緒にいてくれて本当にありがとう。

そして、ここで大切なことを言わせてもらいますが、私を手放し、悲しみ、そして変化し、来るべき死を祝うプロセスを始めてくれてありがとう。これが皆さんが貢献できる方法です。これは私と感情的にそして霊的に関わっている人たちからの素晴らしい贈り物になるでしょう。

私はあなた方を愛しています、そしていつもあなたと一緒にいます。 - Daevidxxx -