INSTANT KARMA

We All Shine On

Henry Cowー極限への疾走

1990年6月13日配布レジュメ(先輩勝手に上げてスミマセン)

1975年11月16日フランスでのライブ。左よりTim Hodgkinson、Lindsay Cooper、Dagmar Krause、John Greaves 、Chris Cutler、Fred Frith

反対派ロック宣言 Henry Cow

 

私たちは5つのことを言いたい。

1 音楽産業は、その犠牲としての現実の才能を開発すること以外には何も作り出すことはできない。

2 音楽産業は、可能な限りでの最低レベルにおける多数の要求を保持したがる。なぜなら誠実なミュージシャンが抑制することが困難であることを、再生することは、決まり文句のように簡単だとされるからである。

3 音楽産業は、利益、名声…の基盤としてのあらゆる決定を下す。それらは、金の音を聴くだけの聴覚と、殺害者の血をくみ上げるだけの感情である。

4 カフカは、真実とは何か…のみ書いた。パラノイアとは、単なる資本主義における人間の価値の認識である。問題は、それを変革することである!

5 革命がセカンドステップだとすると、独立とは、当然ながら、確固たるファーストステップである。

 

1 Henry Cowとは何だったのか


上記の問いに答えるためには、彼らがレコード・デヴューを果たした1973年ごろの情況について述べるのが手っ取り早いだろう。

1969年から始まったニューロック運動はこの頃になると急激に失速し始め、「何が売れるかわからない」混沌状態から「メジャー」「マイナー」の格差が次第にはっきりしてきた時期であった。実験音楽と商業音楽との蜜月時代はすでに終わりを告げ、かつてはその名の通り「プログレッシヴ」だった音楽も、単なるロックの1ジャンルにすぎない存在となっていた。いや、69年以来の方法論ではこれ以上新しいものを産み出せなくなっていたという方が正確かもしれない。

Peter GabrielGenesisを去り、Robert FrippがCrimson王を殺したのは賢明な選択であり、プログレッシヴ・ロックの先頭走者だったSoft Machineがクロスオーバー路線へ進んだのも、ある意味では必然的であった。

その困難な情況下であくまで前進を続けるアーティストも少なからずいたが、音楽産業はそうした活動にほとんど関心を持たなかった。ロック・ファンの多くもあまりに実験的なものについていけなくなり、その反動で保守化していった。実験的な音楽を志すアーティストにとって残された道は2つ、妥協して多くの支持を得るか、メジャーへの道を断って前進を続けるかのいずれかしかなかった。

1973年に発足したVirgin Recordは、まさに後者のアーティストに発表の機会を与えるために設立された。第1作Mike Oldfield「Tublar Bells」の予想外のヒットによって商業的にも成功を収めたVirginは、David Bedford、Gong、Can、Tangerine DreamRobert Wyatt、Hatfield & the Northといった多くの実験的なアーティストと契約を結んだ(Virgin Recordが何故現在のような姿になり果てたかについては、後で簡単に説明してみたい)。

そしてそういったアーティストの中でも最左翼の存在がHenry Cowであった。名前はアメリカの現代音楽の作曲家Henry Cowell(1897-1965)から取ったというのが通説となっているが、その名の通り、伝統的なロック概念を破壊して、ロックという基盤の上に現代音楽と前衛ジャズの要素を載せるだけ載せたそのサウンドは、従来のプログレッシヴ・ロックとは明らかに次元を異にしていた。

彼らの即興演奏にはブルース的な色合いが全くなく、まさに現代音楽におけるそれであり、同じ頃ヨーロッパを中心に展開されていたフリー・ミュージック(最早フリー・ジャズという名称は使われていなかった)のそれであった。

「芸術はハンマーだ。破壊せよ!」と唱える彼らは政治的にも急進的であり、「In Praise of Learning」やArt Bearsの「The World As It Is Today」の歌詞には反資本主義的な言葉が並んでいる。ケンブリッジ大学の学生によって結成されたこのグループは良くも悪くもインテリ受けするグループであり、そのことが後には彼ら自身に自己嫌悪を起こさせ、グループの解体へと向かわせたのであった。一時彼らと活動を共にした元Slapp Happyのリーダー、Anthony Mooreは後にHenry Cowについて「とてもいいグループだった。でも息が詰まりそうだった。」と語っている。

しかしながら彼らの存在とその作品は今なお広い影響力を誇っている。This Heat, Throbbing Gristleといったノイズ系のアーティスト、アメリカのレーベルCelluloid(Bill Laswell)、Metalanguage(Henry Kaiser)などのアーティスト、そしてCowのメンバーが自ら設立したレコード会社 Recommended やインディペンデント・アーティストの国際的ネットワークRIO(Rock In Opposition)のアーティスト(Sama Mamas Manna, Elton Fou Lelcubran,ets)などに音楽的あるいは精神的な影響を及ぼしている。

日本のアングラ・アーティストにもHenry Cowを出発点にしたものが数多く存在している。プログレッシヴ・ロックから現在の前衛ロックへ至る歴史を語るとき、Henry Cowは欠かすことのできない存在なのである。

 

2 アルバムと、今日皆さんにお聴きいただく曲目の紹介

 

(い)Legend (Virgin V2005,1973)

A-1 Extract from 'With the Yellow Half-Moon and Blue Star~Teenbeat Reprise~The Tenth Chaffinch~Nine Funerals of the Citizen King

デヴュー・アルバム。無調性と10拍子が全体を支配している。即興演奏も多用されているが、作曲によって微妙にコントロールされているのが面白い。上記の4曲から成るB面は圧巻で、特にFrithの攻撃的なギターは、調性と無調性の間すれすれを突っ走っていて、スリリングだ。突然オルガンの独奏になり、続いてコレクティヴ・ヴォイスインプロヴィゼーション、そして合唱へとなだれ込む展開に、ただただ浸りきってしまうのである。

アルバム・タイトルは Legend と Leg End をかけているようで、それゆえジャケットは金属製の靴下ということになっているようだが、美しいデザインという概念を無視したこの無機性にまで彼らの思想が滲み出ている。

 

(ろ)Unrest (Virgin V2011,1974)

A-2 Solemn Music~Linguaphonie~Upon Entering the Hotel Adlon~Arcades~Deluge

またもや靴下のジャケットである。A面は作曲どおりの演奏が3曲、B面は即興演奏のテープを編集してつなぎ合わせたものだが、このアルバムもB面を全部聴いて頂きたい。
静と動の間を行き交いながらロック音楽の限界スレスレにまで迫っている。

最後に聴けるJohn Greavesのかすれた歌い方はRobert Wyattを意識したもののようだ。

このアルバムを最高傑作に挙げる人は多いが、確かにこの作品では「何かをやり遂げた」という印象すら与えていることは否定できず、そしてこの作品を境にメンバー間の路線対立が顕在化してくるのである。

 

(は)Desperate Straights/ Slapp Happy with Henry Cow (Virgin V2024,1974)

A-3 Some Questions About Hats

A-4 A Worm Is at Work

A-5 Desperate Straights

A-6 Apes in Capes

A-7 Strayed

ヴォーカルがいまひとつ弱かったHenry Cowとリズムセクションを持っていないSlapp Happyの合体は、それだけでも十分納得がいくけれども、できあがったサウンドが従来のCowのそれとも従来のS.Happyのそれとも微妙に異なるものになっていることは興味深い。
このアルバムはSlapp Happyのアルバムに Henry Cowが参加する形をとっているため、前2作よりはかなりポップな内容になっているが、それにもかかわらずどことなくクレイジーだ。聴けば聴くほど味の出るアルバムである。

 

(に)In Praise of Learning/ Henry Cow with Slapp Happy (Virgin V2027,1975)

B-1 Living in the Heart of the Beast

Cow-Happyのコラボレーションは音楽的見解の相違によりわずか数か月で崩壊する。このアルバムにはS.Happyのメンバーが参加しているが、Henry Cowの名前でリリースされた。
16分余りの大作 Living in the Heart of the Beast や Beautiful as the Moon – Terrible as an Army with Banners など名曲ぞろいなのだが、どことなく重苦しい。即興演奏の占めるウエイトが減って、作曲による支配が強まったからであろうか。

この後グループは Dagmar を加えてツアーを行うが、メンバー間の対立、そして反商業主義を強めるグループとVirginとの確執により一層激しくなってゆく。

76年、John Greavesがグループを去る。翌77年、経営不振を理由にVirginはCowとの契約を解除する。VirginはSex Pistolsで成功して以後、パンク/ニューウェーヴ路線に転換し、現在のように航空会社を傘下に持つ大会社に成長したことは御存じであろう。

Cowのメンバーは  Recommended Record の設立へと動く。

 

(ほ)Western Culture (Broadcast BC1, 1978)

B-2 Day by Day  Ⅰ Falling Away

Frith, Cutler, Gagmarの3人で Art Bears が結成され、完全に分裂状態にあったCowが何とか新作の録音にこぎつけたが、結果としてこれが最後のアルバムになってしまった。

A面はHodgkinsonの作曲による3部構成の History and Prospects 、B面はCooper作曲の4部構成曲 Day by Day となっていて、このアルバムがこの2人の主導によって録音されたことが分かる。スイス人の前衛ジャズピアニスト Irène Schweizer がゲスト参加しているが、とりたてて面白いわけでもなく、アルバム全体としても硬直性が目立つ。皮肉を込めて最後を飾るにふさわしい作品であると言っておこう。

 

以上がスタジオ録音のアルバム。次にライブ作品を2枚紹介しよう。

 

(へ)Greasy Truckers (GT 4997, 1973)

B-3 Keeping Warm In Winter ~ Sweet Heart Of Mine

Camel、Henry Cow、Global Village Trucking Co.、Gongのライブ演奏が1面ずつ収められた、半海賊盤的2枚組。Cowにとっては Legend と Unrest の間の演奏になる。

プリペイド・ピアノ、プリペアド・ギターなどを用いていて、スタジオ作品よりも無調的、即興的な内容になっている。

 

(と)Concerts (Caroline CAD3002, 1974~76)

B-4 Bad Alchemy~Little Red Riding Hood Hits the Road

B-5 Groningen Again

Dagmarを加えた6人編成のツアーを収めた2枚組。1枚目はスタジオ録音でお馴染みの曲、2枚目は集団即興と、親切な編集になっている。

B-4はRobert Wyatt(vo)がゲスト参加したステージの演奏で、Bad AlchemyはDesperate Straightsの曲、Little Red Riding Hood Hits the RoadはWyattの Rock Bottom に収録されている曲である。

B-5は1つのリフの繰り返しの上に Frith がアドリブで弾き続ける曲だが、この手の曲はたまらなく好きだなあ。

 

3 最後に、Henry Cowの歴史をざっと述べておこう。

 

何故これを後回しにしたかというと、理由は簡単。これをくわしく書きすぎて原稿が完成しなかったら困るからである。

ケンブリッジの学生であったFred FrithTim Hodgkinsonは、1968年ごろ Roger Baconというグループを通じて知り合う。二人によって結成されたグループは、ブルースやフリージャズスタイルの演奏をしていたが、一時在籍していたドラマー、Andrew Powell(彼はSoft Machineのメンバーと交流を持っていた)の影響によって Soft Machine に近いサウンドになっていった。二人はベーシスト John Greavesを加えてギター、キーボード(サックス)、ベースのトリオになったが、ドラマーは流動的であった。

しかし、彼らは「メロディー・メイカー」誌に「ロバート・ワイアット風バンドに加わりたし」という広告を発見、Ohawa Company という音楽集団を率いていたドラマー Chris Cutlerが加入して、Henry Cowは本格的な活動を開始した。

グループは歌劇 The Bacchae の音楽を担当し、その成功によってサックス奏者 Goeff Leigh が加入する。

1973年にVirginと契約、デビューアルバム「Legend」をリリースする。この直後のライブを収録した「Greasy Truckers」では、よりフリー・ミュージックに近い演奏を聴くことができる。

しばらくして Goeff Leigh が音楽的見解の相違などの理由で脱退する。代わりに Comus などに参加していたバスーンオーボエ奏者  Lindsay Cooper が加入する。彼女を加えてセカンド・アルバム「Unrest」を出すが、その直後に Cooperは脱退する。

残されたメンバーはしばらく個々の活動をすることになるが、中でも Fred Frith は自己のソロアルバム「Guitar Solos」を制作したり、ロバート・ワイアットブライアン・イーノなど他のVirginのアーティストのアルバムに参加するなど活発な活動を行った。

一方Cowは Goeff Leigh を通じて Slapp Happy と知り合う。

Slapp HappyAnthony Moore(g.key), Peter Blegvad(g.vo), Dagmar Krause(vo)の3人からなるアヴァンギャルド・ポップグループである。 彼らはドイツのグループ Faust のメンバーをバックにドイツ・ポリドールから1stアルバム「Sort Of」をリリースし、次いでほぼ同じメンバーでセカンド・アルバムを録音したがリリースされず、バージンに移籍して「Casabranca Moon」をリリースしたが、そのセッションに Leigh が参加していたのである。

スラップ・ハッピーはカウのメンバーをバックに「Desperate Straights」を制作するが、このアルバムには Leigh, Cooper, GongのPierre Moerlenが参加している。

リンゼイ・クーパーはカウに復帰し、カウとハッピーは74年末から75年初頭にかけて活動を共にするが長く続かず、アンソニー・ムーアとピーター・ブレグヴァドはカウから離れる。しかしダグマー・クラウゼはカウに残り、75年のカウのアルバム「In Praise of Learning」には先の二人も参加している。

この後カウはヨーロッパ・ツアーを開始し、そのいくつかのライブではロバート・ワイアットや Mike Westbrook Brass Band とのジョイントを行った。しかしこの間にメンバー間の対立が激化、76年にはジョン・グリーヴスが脱退する。グループはGeorgina Bornを加えてツアーを続ける。この頃のツアーの模様はアルバム「Concerts」で聴くことができる。

翌77年、ヴァージンとの契約が切れる。メンバーは自らレコード会社 Recommended を設立する。78年1月よりレコーディングを開始するが、完成した作品をヘンリー・カウの名前で出すべきかどうかについてメンバー間で対立が生じ、結局このアルバムはフレッド・フリス、クリス・カトラー、ダグマー・クラウゼの3名からなるArt Bearsのアルバム「Hopes & Fears」としてリリースされる。

替わりにカウのニューアルバムの録音を行うが、78年末にカウはグループとしての活動を休止する。同年、反体制派ロック・グループから成る組織RIO(Rock In Opposition)発足。RIO1stフェスティバルが開かれる。

79年、ヘンリー・カウのアルバム「Western Culture」がリリースされるが、これが最後のアルバムとなり、グループは自然解消する。

アート・ベアーズは79年に「Winter Songs」、80年に「The World as It Is Today」と計3枚のアルバムを発表している。

 

メンバーのその後の活動について簡単に触れて締めにしたい。

現在最も目立った活動をしているのはフレッド・フリスである。彼は79年より活動の去年をアメリカに移し、ソロ・パフォーマンスや Henry Kaiser とのセッションなどを行っていたが、Ralphレーベルと契約して比較的ポップなアルバムを3枚出す。それと並行してビル・ラズウェル、Fred Maher(ds)とMassacreを結成し、緊張感のある演奏を聴かせてくれる。

83年に Tom Cora(b,cello) とSkeleton Crewを結成(後にZeena Parkins (electric harp and keyboards)が加入)。最近はソロ活動とセッションが半々くらいだろうか。だいたい年に1,2度日本に来て演奏をしてゆくので、興味のある人は一緒に行きましょう。

50人のアーティストに1分以内の曲を依頼してそれを集めた Morgan Fisher のアルバム「Miniatures」にフリスは「The Entire Work of Henry Cow」という作品を提供している。これはカウの演奏テープをオーヴァーダビングしたり反復したりしてつないだものだが、彼らなりのカウの総括だったといえるだろう。

フリス以上にカウと距離を置いているのはジョン・グリーヴスである。カウ脱退後ピーター・ブレグヴァドと作ったアルバム「Kew Rhone」は政治色を一切排除し、その内容にもカウ批判らしきものが見当たる。1978年、National Health に加入する。2年前、ピーター・ブレグヴァドと The Lodge というグループ名でアルバムを出した。いい作品だったが、元ヘンリー・カウと思うと少し物足りなかった。

クリス・カトラーはグループによほどうんざりしたのか、セッション活動が中心である。Cassiber や Pere Ubu には比較的長期間いたようだが、現在でもUbuと共に活動しているのでしょうか?

リンゼイ・クーパーはマイク・ウエストブルックのグループに参加したり、女性だけで構成されるFeminist Improvising Groupを結成したりしている。ちなみに彼女は東京キッドブラザーズで活動していたことがある(74年ごろ)。

カウをそのまま受け継いだのはティム・ホジキンソン率いる The Work だが、末期カウの硬直性もまたそのまま継いでいるのでいまいち好きになれない。

ジェフ・リー(Goeff Leigh)も2年前にアルバムを出したが、アダルト・コンテンポラリー路線らしいので聴かない方がいいそうだ。