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小林秀雄のベルクソン論(「感想」)

ようやく読んだ。

ベルクソンを読み始めたのは、小林秀雄ベルクソンに影響を受けていたことを知っていたからであり、小林秀雄ベルクソン論を読みたかったからである。

小林自身は、昭和33年、56歳の時に『新潮』に「感想」という表題の下に連載したこの評論を、なんと56章まで書き続けながら、未完のまま打ち切り、全集に含めることも単行本化することも厳禁している。

しかし、小林の死後、雑誌に掲載された原稿を元にこの作品について論じる傾向が次第に増してきたことから、新潮社が小林の全作品集を編纂する際、断り書きをつけた上で『別巻』として書籍化した。

ベルクソン論を打ち切った後で小林は『本居宣長』の長期連載に取り掛かり、こちらは立派に書籍化され小林の戦後の代表作となったのは周知のとおりである。

小林は、ベルクソン論が未完に終わった理由として、数学者の岡潔との対談でこんな風に語っている。

ベルクソンの本は)書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。無学を乗り切ることができなかったからです。大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません。(対談集『人間の建設』より)

しかし先にも書いたように、この連載は56章に及ぶもので、かなりの大著となるボリュームが既に書かれており、ベルクソン哲学の詳細な解説が含まれているから「見当がついただけで」書いたというレベルのものではない。

小林は続けて岡に対してこう言っている。

そのときに、またいろいろ読んだのです。その時に気が付いたのですが、解説というものはだめですね。私は発明者本人たちの書いた文章ばかり読むことにしました。・・・自分でやった人がやさしく書こうとしたのと、人のことをやさしく書こうとするのとでは、こんなにも違うものかというのが私にはわかったのです。

この言葉は、小林の読んだベルクソンの解説本についてだけではなく、小林自身の書いたベルクソン論に対しても向けられているのではないか。「ベルクソン論」を書くつもりだったのが、「解説本」になってしまっていることを途中から自覚したのではないかとも思う。「感想」というタイトルからして少し及び腰に思える。

しかし、この本の冒頭、母の死にまつわる話で始まる章は、本当に素晴らしく、小林秀雄の文章の中では一番好きだ、という位に素晴らしいと思った。

大岡昇平は、「『感想』が最初、母親の亡霊のことから書きはじめられた時、小林が発狂したのではないか、と思った人があったそうだが」と書いているが(「小林秀雄の世代」)、確かに余りにも異様な内容である。

つづく