INSTANT KARMA

We All Shine On

哲学したのは

ハイデガーの次は、ベルクソンに挑戦。

ハイデガーは、難解で抽象的という印象とは裏腹に、生々しいリアルな手触りを感じさせる哲学である。ベルクソンはどうか。

哲学の本を読むのは、利害関係の絡みつかない思考による精神の浄化作用でもある。

ベルクソンは「哲学するとは、思考のはたらきの習慣的な方向を逆転すること」(『持続と同時性』PM214)というが、むしろ習慣的思考の苦手な自分のようなボンヤリした人間にとっては、もうちょっと実務的思考を身に着けるような本を読んだ方がいいのではないか、という心の声がどこかから聞こえなくもない。

ルドルフ・シュタイナー自由の哲学も読んでみたが、途中からこれは哲学ではなく自己の主張の開陳であり、この延長線上には信者向けのプロパガンダのようなものがあるような感覚に陥った。

シュタイナーはこの中で「人間は感覚的なもの以外に精神的なものを直接知覚できる」と言っている。またカントの「人間は〈物自体〉を認識することはできない」という哲学は誤りであるとし、思考と直観による認識により二元論を克服することは可能であると述べる。これらは哲学ではなく神秘主義の立場である。

実際、シュタイナーは神秘主義者、霊的教師として有名になり、哲学者としては評価されていない。彼を評価するのは彼の「霊的思想」の信奉者だけである。尤も教育分野などにおける彼の業績をすべて否定するつもりはない。ただし彼は哲学者ではなく広い意味での社会運動家であり、『自由の哲学』もそのような見地から読むのが適切な本だと思った。

だから今はベルグソンを読もうと思う。