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天才とは(中村一義)

吉田豪「中村一義インタビュー」を読んだ。

BUBUKAの電子書籍を購入して全文(15000字)読んだ。

中村一義といえば、デビュー曲「犬と猫」が1997年1月に出たとき、渋谷陽一が「天才」と絶賛していたので、CDを買いに走ったのを覚えている。

確かにインパクトのある曲で、気に入ったので、「街の灯」、「天才とは」、「永遠なるもの」も続けて買った。

アルバム「金字塔」はシングルで聴いた曲が多かったので買わなかった。

当時テレビで細野晴臣の「恋は桃色」を弾き語りしている映像を見て、音源をMD(懐かしいですね)にダビングして繰り返し聴いていた。

その後は、すごい才能あるミュージシャンだとは常に思っていたが、思ったほどメジャーな存在にならなかったな、という漠然とした認識を持っていた。

この20年くらいは、ほとんど存在すら忘れかけていた。

そこにきて、このインタビューである。

ウェブ上でも一部読めるが、すごいインパクトがあった。

中村一義に対する僕のイメージは、文化的教養の高い恵まれた家庭に育って、一人で思う存分宅録に打ち込める環境があって、知り合いのミュージシャンやら人間関係にも恵まれながらマイペースな活動をやってる人、という感じの、ネオ小沢健二やネオ小山田圭吾的な扱いだった。

それは半分は当たっていたが、半分は間違いだったことがこのインタビューで分かった。中村一義の半分はオザケンで、半分は「洞窟おじさん」みたいな人だったのだ。

「洞窟おじさん」というのは、13歳のときに家出し、57歳で発見されるまでの43年間、人知れず洞窟や森の中で過ごしていた加村一馬(かむらかずま)さんのことである。

加村さんが家出して2日目に、聞き慣れた犬の鳴き声が聞こえてきた。まさかと思って後ろを振り返ると、愛犬シロが追いかけて来てくれたのが分かった。加村少年は思わず嬉しさのあまりボロボロ泣いてしまったという。

「もしシロがいなかったら、オレは今生きちゃいねえよ。」と加村さんは振り返る。シロは秋田犬の雑種。家族の中でもシロを一番かわいがっていたのは加村さんだった。

元気づけられた加村さんはシロとともに、どんどん歩いて行く。

「線路ばっか歩くのが嫌になったんだよ。だから途中、左に曲がって川沿いの砂利道を上っていったんだ。見つかって家に連れ戻されたら、親にまたこっぴどく殴られちゃうからな。人目になるべくつかない穴を探して、奥へ奥へと歩いて行ったよ。」

歩き始めて1週間後、加村さんは山の中腹付近にある、ひとけのない洞窟を寝床と決めた。安心したのか、洞窟内に入ってすぐ、加村さんはシロを抱いたまま、眠り込んでしまう。

目を冷ました加村さんは、すぐに〝家づくり〟に取りかかる。穴を封じるように木やツルを集めてドアや天然の寝床を作ったり、薪を集めてマッチで火をおこしたり、燠(おき。赤くおこった炭火のこと)が常に絶えないようにしたりした。

ところがその後ほどなくして、加村さんはぐったりしてしまう。

「洞窟に辿り着いてほっとしたのかな。熱出して、寝込んでしまったんだ。川の向こう側に人がいてオレは川を渡っていこうとする夢を見てたら、耳が猛烈に痛くなった。あまりに痛すぎて、しまいには目が覚めちゃった。シロがオレの耳をかじってたんだよ。ありゃ痛かったよ。でももし、あのときシロがかじってくれなかったら、きっとオレは三途の川を渡ってた。」

意識のない状態から脱した加村さんは、ほうほうの体でなんとか川まで下り、ボロ布を水で濡らしてから、洞窟に戻った。再び横になると、ボロ布を自分の頭の上に置いた。

「するとそれを見てたシロは、あとでボロ布を川の水で濡らして、熱を出してるオレの頭にかけてくれたんだ。あの犬はほんとうに利口だったんだ。頭に載っけてくれた濡れたボロ布は泥だらけだったけどな(笑)。」

洞窟に住み始めて3年以上たったある日、ついに相棒のシロが元気をなくしてしまう。三日三晩寄り添ったが、手の施しようがなく、そのまま亡くなってしまった。

「洞窟は岩だから硬くてシロを埋めてあげられなかったんだよ。それで、シロを抱きかかえて洞窟を出たんだ。山をいくつも超え、ピンク色の蘭の花が咲き乱れているところで、シロを埋めた。その後、さらに山をいくつも越えて、新潟の方へと行ったんだよ。」

僕は加村さんがシロに抱いたにちがいない感情を、「純粋な愛」という言葉以外では表現できない。

仮に、シロをAI(人工知能)を携えたロボットだったと仮定してみよう。

今後、ロボット(AI)との交渉が密接になり、つきあいの歴史が積み重なってきたらどうなるだろうか。心のかたくなな人でない限り、いわば「情が移る」のではないか。

教え、教えられたり、いっしょに活動したり、忠告を受けたり、面倒をみたりみられたり、危ないところを救われたり、(象徴的に言って)同じ釜の飯を食べたり、つまり深い「人」づきあいをした後には、「私」のロボットに対する態度は変わってくるだろう。

私はロボットを傷つけようとはせず、その苦し気な振る舞いに心を動かされ、彼に対して愛情を持つようにさえなるだろう。

われわれが他人を疑いもなく「意識ある人」として見るのは、人間生活の長い歴史をその背景に持っているからである。たとえば愛犬家が犬を喜ばせ、その痛みを気遣うのは、その人と犬との交渉や犬に対する愛情の所産であり、「犬には意識がある」と見て取っているからである。

ある人にとっては猫や馬にとっての態度がそうであるように、さらには昆虫に対してそのような態度で接する人があるように、ロボットの意識もこれにコングロマリット的に連なってゆくのではないか。

そしてロボットの振る舞いがますます洗練され、ますます生き生きとしたものになるにつれ、その意識の連なりはますます強化されていくに違いない。

このように論じたうえで、大森荘蔵は、こう結論付ける。

「ロボットの意識の有無は科学理論や実験室で一挙に決められるものではない。人間とロボットの長い歴史の中で徐々にその答えが形成されていくものなのである。いま、あえてそれを予測するならば、ロボットは意識をもつようになるだろう、といいたい。」

 

吉田豪のインタビューを読んで、中村一義というミュージシャンはこれから目が離せないな、と思ったし、『魂の本~中村全録~』 (太田出版 、2011年)という本も読みたくなった。