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作文の書き方教室

近所で高峰秀子主演の『綴方教室』(1938年)が掛っていたので観に行った。

今年は高峰秀子の生誕100周年にあたるということで、各地でさまざまな催し物が企画されていて、これもその一環のようだ。

高峰本人は自伝(「わたしの渡世日記」)の中でこの作品についてこう書いている。

『綴方教室』は、江東に住むブリキ屋の娘、豊田正子という少女の書いた綴方が単行本として出版され、それが山本安英の主演によって新劇の舞台で上演されて好評を博し、その映画化の主演が私にまわってきたものである。呑んだくれの父親に徳川夢声、母親に清川虹子、正子の綴方を指導する大木先生に滝沢修、という配役で、演出は山本嘉次郎であった。

綴方の抜粋から成り立つシナリオには、これといったストーリーがなく、豊田正子の目を通した、生活のエピソードが随想風なタッチで描かれているだけだが、文章に嘘や飾りがなく、大人の小説にはみられないキラキラと光るような場面が幾つかあって、私は好きだった。

高峰の文章は、こうして少し引用するだけでも、その過不足のない美しさに惚れ惚れする。これが小学校に1か月通っただけのほとんど文盲だった少女が大人になって書いた文書だと考えるだけでも感動的である。

映画の中では、主人公の正子が貧乏暮らしの中で家族の目を盗んでコソコソと作文に励む描写があるが、高峰は実生活でも夜中に本を読んでいると養母から「私への当てつけか!」と叱られて電気を消されるような生活だったという。

貧乏の風に吹きまくられる庶民の最底辺の生活が描かれる中で、デコの清々しい美しさはやはり際立っている。とりたてて感動を呼ぶような話はないのだが、なんだか昭和初期の庶民たちが懸命に生きている姿を見ているだけで涙が溢れてしまう。

デコが山本嘉次郎監督が好きになったきっかけになったと書いている「冬の朝の匂い」のエピソードの場面も見れてよかった。

黒澤が糸で作った蚊をデコが叩くシーンも見れた。

デコのアイドル的な可愛さも存分に堪能できたし、見てよかった。

とここまではよかったのだが、この後に高峰秀子松山善三夫妻の養女・斎藤明美氏によるトークショーがあり、これが随分と口の悪いババア強烈な個性の人で、せっかく映画鑑賞後にほっこりしていた心のともしびを揉み消されたような格好となった。

毒舌や他人の悪口というのは、それが的を得ていて対象との適度な距離感があればスッキリ笑えるのだが、陰性で個人的な怨情が籠ったようなものは聞かされた方に後味の悪さだけが残る。この人のは、笑えない毒舌である。

高峰がこういう人を養女に選んだということは高峰自身にも通じる部分があったからだろう。高峰秀子は一面でひどく冷酷でドライな部分があり、「二十四の瞳」で共演した子供たちからも冷たい大人だと見られていたという話をどこかで読んだ記憶がある。

追記:これだった。

1954年、私がまだ10歳の小学生だった頃の小豆島での「二十四の瞳」の撮影期間中、わたし自身の母親役として、半年近くの間、すぐそばで観察していた人。明るく、ものすごく美人だったが温かみを感じることの少ない女優だった。・・・私が大学を出たばかりのころ「小川宏ショー」というのがあって、ご対面場面で彼女に会ったのが最後になったのだが、その時も、温かみの少ない人だなあ・・・という印象が強く、懐かしさを感じることもなかった。

高峰秀子が女優としてだけでなく人物として一級で、昭和の偉人であることに議論の余地はないが、その偉大さの陰には想像を絶する孤独と闇を抱えた内面があったことも忘れてはならない。

松山善三については何も知らないが、高峰にとっては理想的な夫であったようだ。

それだけが救いだな、と思いながら帰途に就いた。少女時代のデコの可愛さを愛でる文章を書くつもりだったのだが・・・