INSTANT KARMA

We All Shine On

卓球人生

CherrybulletJiwonさんがこれまで見せなかったような表情の写真をSNSに上げていて、いつも観音様のような美しいことは美しいがワンパターンの写真に見慣れていたので、おやっと思った。こういう冒険心はそれに伴うリスク込みで歓迎したい。

 

社会がどんどん劣化しているというのはもう30年前から感じているが、いよいよ誰の目に見えるようになってきた。自分も最近視力がどんどん低下している気がするが、こういうものを見たくないことの表れだろうか。

いざ自由連想せよといっても難しいのは抑圧が働いているせいか。本当に何も浮かばない。神経症に悩む人は自分の症状をよくしたいというモチベーションがあるから話すことは思い浮かぶのだろう。しかし教育分析というのもある。この場合分析を受ける人は神経症に悩んでいるわけではない。幼年時代の記憶あたりから始めるのだろうか。

生まれて最初の記憶は、幼稚園までの道を母と一緒に歩いた風景だろうか。子供の頃に過ごした郊外の住宅地は、当時まだあまり家が建っていなかった。幼稚園のことは、細かい記憶は残っていないが、全体として楽しかったという思いがある。ひとつ鮮明に覚えているのは、プールの時間の前に、後ろ向きに立っている女の子がさっと服を脱いで全裸になったのを見た。真っ白な背中と尻と脚を見てはっとしたのを覚えている。あとはやっぱり以前ブログに書いた近所の大学生の姉ちゃんのこと。

一度だけ小学生に上がる前に近所の同い年の女の子の家に呼ばれて誕生日ケーキか何かご馳走になったことがあった気がする。その子は、はにかみがちで八重歯が印象に残る、なかなか綺麗な女の子だったが、小学校ではほとんど話すこともなかった。小学校を卒業して自分は私立に入ったが、彼女も私立で、たしかすぐ近くの学校だった。一度制服を着て電車に乗っているところを見たが声をかけることなどできなかった。

高学年になると女子と喋るのは意識してしまってできなかった。三,四年の頃まではそうでもなかった。通っていた学校が三年生の途中で二つに分かれたのだが、まだ分かれる前、朝礼でいつも並んで隣にくる子がいた。二人とも背が小さかったから一番前だった。その子とはよく喋ったが、可愛くて頭の回転の速い子だったので朝礼の時間が楽しみだった。朝礼の時間以外は喋る機会がなかったので。ラフ×ラフの林未梨さんを見るたびにその子のことを思い出してせつない。

二年生の頃は同じクラスのホラン君(仮名)と馬鹿なことばかりやっていた。絵の具を食べたり廊下を裸で走ったり、見方によっては自分がそそのかしてやらせていたというようにも見え、今でいういじめみたいなものだった可能性もあるが、本人もノリノリでやっていたと記憶している。彼は医者の息子で、知能指数が高いと自分で言っていた。当時は二年生のときに知能テストを受けさせられ、結果が親に告知されていた。今はそんなことはないと思う。自分は頭のいい子ということで通っていたが、そろばんを習っている子の方が九九が早いので、一度授業中に当てられてすぐに応えられず恥ずかしい思いをさせられた。担任がわざとそうしたと思っている。

担任はアイノ先生といって若くて面白い男性教師だった。自分やホラン君に目をかけてくれていたと思う。授業中に、答えが分からなくて立たされていた子に自分が冷たい発言をした時、先生の前に立たされて冷静にたしなめられたことがあって、そのときは怖かったが、大人になってからは、あのとき怒られたことを感謝している。それ以外は楽しい記憶しかない先生だった。インドに行ったことがあると言っていたような気がする。

話は飛ぶが、中学生か高校生のころ、学校帰りに寄った書店の前に、英会話教室の宣伝か何かで外人と英会話しよう、みたいなコーナーがあって、外人が長テーブルの前の椅子に座っていて、その前に店員に強引に導かれて座らされ、会話させられたことがあった。英語で話しかけないといけなかったので、Why did you come to Japan?ときいた。するとその若い男は I come to study Zen. みたいなことを言った。会話はそれで終わった。今だったら興味をもってもっと話ができただろうが、そのときはそれだけ。

その若い男が、のちにAppleの創業者となることなど知る由もなかった(嘘)。

ガーシーやらひろゆきやら心の底からどうでもいい連中ばかりネットニュースに出てくるのを何とかしてほしい。大江健三郎が死んでもまったくウントモスントモない。強盗やら虐待やらハラスメントやら不祥事やらのニュースばかりでウンザリする。

娘があと二週間でいなくなると思うと清々する。いつも仏頂面だし何も家事はしないしそれどころか洗濯物やゴミやらを出すばかりだし、いいところが一つもない。毎日指折り数えながら出ていくのをじっと待っている。娘は毎日保育園のお迎えに行っていたころが最高に可愛かったので、あの頃だけで一生分の幸せをもらったと思っているから悔いはない。

中原昌也「二〇二一年フェイスブック生存記録」より
2月12日(金)
ダグラス・サーク『心のともしび』を国内盤Blu-rayで。厨二病的感覚から遠く離れて。数あるサークの中でも、愛する一本。そりゃ他のサークにも沢山の名編があって、次々と思い出すだけでウットリしてくるが、この作品では後半のスイスの村祭り辺りから涙が止まらない。そしてラストの、ロック・ハドソンを無言で見つめる画家の堂々たる姿がすべてを薙ぎ倒してしまう。サークが描くのは、その健気な恋愛を超えた第三者の視点だけが持つ、赦しに他ならない。それが真実の人類が有する最高の美しさだと思う。それが映画だ。何度観ても素晴らしい。

普通は照れて書けない、こういうことを衒いなく書けるのが素晴らしい。