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MOONWALK誤訳 その1

田中康夫訳のマイケルの自伝ムーンウォーク河出書房新社)を一通り読んでみました。 原文とも読み比べてみても,おおむねよい翻訳だと思います。ただ,日本語では文章が軽い語り口調になっていることについては,好みの問題があるかもしれません。 もっとも,担当編集者のあとがきによれば,マイケルのインタビューをもとにしてライターが書いたものだということなので,語り口調も個人的にはアリだと思っています。 上記のことを前提に,いくつか誤訳を指摘させてもらいます。ニュアンスの問題ではなく,明らかな誤訳も含まれます。

まず日本語版(2009年11月初版)p179 

ところで,「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」には,とても多くの思いが詰まっています。

ですが, 原文は

But I got too wrapped up in "She's Out of My Life."

なので,

しかし,僕は「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」に没頭しすぎました。

でしょう。 少し意訳すれば,

しかし僕は,「シーズ…」の歌詞の世界に入り込みすぎました。

でしょうか。 この後,レコーディングで泣いてしまったという有名なエピソードが続きます。

ちなみに,この曲の意味についてマイケルが解説している文章(p178)は,

「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」は,僕を他人から隔てている壁は,一見,簡単に飛び越えられそうなくらい低いのに,自分の熱望していたものを見失った今も,その壁は依然として立っているんだということを歌った曲です。

と訳されています(下線部引用者)。

原文は,

"She's Out of My Life" is about knowing that the barriers that have separated me from others are temptingly low and seemingly easy to jump over and yet they remain standing while what I really desire disappears from my sight. です(下線部引用者)。

下線部は「自分が本当に欲しているものが目の前から消えようとしているときに」とでもしたほうがより正確だと思います。 マイケルの言わんとしている意味を自分なりに解釈すると,文字通りのことなのですが,「僕はほかの人とは違う」という認識と,その認識のために他人といつも完全に打ち解けることができない,見えない壁をいつも感じている。そして,自分のもっとも愛する人との関係の中でも,その違和感をどうしても克服することができない。その結果,愛する人が自分から去ってしまうのを煩悶しながら孤独に嘆いている歌,ということです。 たしかに非常に重いテーマであり,マイケルの人生を象徴するような楽曲といえるかもしれません。

なお,この曲についての文章の最後のくだり,スタジオで泣いてしまったマイケルが, 後になって僕は弁解しましたが(p179) の apologize は,「弁解した」よりは「謝った」と訳すほうが素直な気がします。