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志賀直哉

先日倉敷で起きた女児誘拐事件は、とにかく女児が無事保護されて何よりだった。

ところで、志賀直哉の小説に『児を盗む話』というのがある。

小説家を志す若い主人公(直哉の分身)が、父親から「貴様は一体そんな事をしていて将来どうするつもりだ」とか「貴様のようなヤクザな奴がこの家に生れたのは何の罰かと思う」などと罵倒され、いたたまれたくなって家を飛び出し、尾道に借家を借りて一人で住み始めるが、寂しくなって精神的におかしくなり、近くに住んでいた女児を誘拐してしまうという話だ。

志賀直哉というと「小説の神様」であり、晩年は泰然自若として押しも押されもせぬ悠々とした地位を築き、『小僧の神様』とか『清兵衛と瓢箪』といった、大人の童話のような短編の書き手としての印象が強いが、若い頃はこの『児を盗む話』とか、太宰治の『人間失格』を髣髴とさせる『濁った頭』のような、病的な心理状態を描いた作品も多く書いている。

志賀直哉という作家は、もう今ではまともに読まれなくなって久しいが、とにかく文章が美しいのである。

それは、いわゆる美麗な装飾を施した文章の美しさではなく、率直な思考がそのまま何のてらいもなく表現された簡素な文体の美といえる。

日本近代文学史上最も美麗な文章を書いた谷崎潤一郎三島由紀夫という二人の作家は、ともに『文章読本』という、読者に文章の書き方、読み方を説く本の中で、志賀直哉の文章を日本語の文章として最上のものと絶賛している。小林多喜二は、小説家を目指した若い頃に、修行のために志賀直哉の文章を写経したという。後に多喜二は直哉と直接会っており、直哉に好印象を与えている。

芥川龍之介は、夏目漱石に、「どうやったら志賀直哉みたいな文章が書けるんでしょうか」と質問し、漱石は、「自分にも分らんが、上手く書こうなどと思わずに思った通りを正直に書くとああなるのだろう。自分にもあれは真似できない」と答えている。

流石に漱石の評価は卓見で、志賀直哉の文章の魅力は、「思ったことを正直に書く」能力のすごさにある。それはある意味で、子供の作文のような魅力でもある。変に大人に媚びずに、思ったことを正直に書いた子供の文章には、心を打つものがある。志賀直哉は、大人なのに、そういう感動を読者に与える作品を書いた。

有名な話だが、太宰治は、志賀直哉のことを敵視していた。自殺する直前に書いた太宰の『如是我聞』という文章は、志賀直哉に対する呪詛の言葉で埋め尽くされている。

太宰治志賀直哉に対する憎悪は、愛情の裏返しだったと思う。ある座談会で志賀直哉が太宰の作品を酷評したことがあって、それを知った太宰が怒り狂ったのだが、それは太宰が誰よりも直哉に評価されたかった欲求の裏返しだったろう。

さてずいぶん脱線してしまったが、直哉の『児を盗む話』には、現代の心理的に追い詰められた人たちの精神世界につながるものが実に的確に描写されていると思う。さまざまな犯罪の背景にもなっている今の世代の荒涼とした心象風景を味わう上でも、直哉の作品は再び読み返されてよいのではないかと思う。

以下『児を盗む話』より引用

 …私は自分の頬の筋肉が緩んでしまったような気がした。もう眼ははっきりと開いていられなかった。私は自分が何週間と言う間、朝から晩まで絶えず陰気臭い一つ顔ばかりしていた事に気がついた。怒ることもなければ笑うこともまったくない。第一、胸いっぱいの息もしていなかったと思った。

 或北風の強い夕方だった。私は人のいない所で思い切り大きな声でも出してみようと思って、市を少し出はずれた海岸へ行った。瓦焼の窯が三つほどあった。烈しい風を受けて松の木が油のジリジリ燃える音をさせながら、夕闇の中に強い光を放っていた。私は海へ向いて立った。こんな気分では歌うべき歌もなかった。私はただ怒鳴ってみた。なんだか力のないいやな声だった。よく声が出ない。無理に出せば妙に悲しい調子になる。寒い北風が背後から烈しく吹き付ける。瓦焼の黒い煙がその風に押し付けられて波の荒れている海面に近くちぎれちぎれになって飛んで行く。私はめそめそと泣く子供のような悲しい気分になった。

 それから二三日しての事だった。その日は穏やかないい日和だった。午後二時頃私はぶらりと家を出て町へ出ようとした。町へ出るには汽車路を通らなければならなかった。踏切の所まで来ると白い鳩が一羽線路の中を首を動かしながら歩いていた。私は立ち止まってぼんやりそれを見ていた。「汽車が来るとあぶない」というようなことを考えていた。それが、鳩があぶないのか自分があぶないのかはっきりしなかった。しかし鳩があぶないことはないと気が付いた。自分も線路の外にいるのだから、あぶないことはないと思った。そして私は踏切を越えて町の方へ歩いて行った。

 「自殺はしないぞ」私はこんなことを考えていた。