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ホットロード感想(ネタバレなし編)

具体的なシーンごとの感想は後でネタバレ入り感想で書く。

今回はまず、能年玲奈にとってこの宮市和希という役がどうだったのかという点。

正直、彼女の身になって考えると、この役は相当な難物だったと思う。

もともとこの作品は、「あまちゃん」の前に映画化もキャストも決まっていたという。おそらく能年玲奈登坂広臣の配役が決まった時点では、公開規模もそこそこで、そんなに大々的にプロモーションするような作品ではなかったはずだ。

ところが、昨年の「あまちゃん」大ヒットにより、能年は一気に「国民的女優」と呼ばれるまでになってしまった。周囲の期待は大いに高まり、映画会社としても大ヒットを狙ってものすごい宣伝攻勢をかけることになった。

しかし、「あまちゃん」後の最初の主演作として与えられた「ホットロード」の宮市和希という役柄は、あまちゃんの天野アキとは正反対で、能年自身も感情移入しづらい役だった。

自分は原作は読んでいないが、初めてこの映画について聞いたとき、今の若い世代はいまさら尾崎豊と言われてもピンとこないだろうし、原作の愛読者はイメージを壊されたら批判するだろうし、えらく地雷になりそうな作品を選んでしまったなと言うのが正直な感想だった。

撮影に入り、「軸がぶれないように」懸命に取り組んだ能年の努力については本人がいろんなインタビューで答えているから敢えて触れない。

結果として作品はどうなったか。

譬えが古くて申し訳ないが、高校野球に譬えれば、江川卓のいた頃の作新学院のようなものだった。

文字通り作品全体を能年玲奈が支配していた。空気は彼女の存在する場所で濃密さを増し、光と闇は彼女の瞳の中に集まり、美しい湾岸や都市の夜景はすべて彼女を際立たせるためにのみ存在していた。

三木監督は「彼女のまなざしを撮っていればいいと思った」と語っているが、確かに映画を観終わった後に脳裡の中に残るものは、幾多の場面における能年の雄弁な眼差しだけだった。

これはこの映画に他の見るべきものがまったくなかったという意味ではない。

他の好ましい印象をすべて排除してしまうくらい強烈だったという意味だ。

いわゆる「青春恋愛映画」というジャンルでこれがどれほど特殊なことかよくわからないのだが、振り返ってみれば、この映画には、観客を泣かせる場面はあっても、笑わせる場面がまったくなかったように思う。

多少ユーモラスな場面があっても、能年玲奈のシリアスな存在感の前に、笑いの要素が奪われていた。観客はひたすら、能年(宮市和希)の持つ得体のしれない抑圧されたエネルギーの“重さ”に付き合っていくしかなかった。

今“重さ”と書いたが、それは重厚さというのではない。ある感情を突き詰めたところからくる張りつめた緊張感の持つ力とでもいったものだ。

自分は、『ホットロード』を見れば、能年玲奈という女優のポテンシャルが把握できる、或いは少し嫌な言い方をすれば「底が見える」のではないかと思っていた。

しかし、『ホットロード』を見た後に、今自分が能年玲奈に対して感じるのは、一層の「得体の知れなさ」とか「底知れなさ」という感覚だ。

ホットロード』の能年玲奈は、映画宣伝のためにバラエティ番組でキラキラしながら独特のスローテンポで周囲を翻弄する能年玲奈とはまったくの別人だったというだけでなく、人間の深層心理まで抉ってくるようなギラギラした存在感を放っていた。

たぶん大半の観客は「可愛い」能年に魅了されたという感想を持つのだろうが、自分には、ギラギラした「可愛くない」能年が衝撃的だった。これを見れたことに『ホットロード』の価値があったとさえ思う。

これ以上書くためには、映画の具体的な場面について言及しなければならない。

結論をいえば、『ホットロード』に主演したことは能年玲奈にとって「正解」だった、と思う。