INSTANT KARMA

We All Shine On

The Horse

山本嘉次郎監督 高峰秀子主演 映画『馬』(東宝、1941年)を観てきた。

演出助手を務めたのは若き黒澤明で、高峰主演の『綴り方教室』(1937年)でも一緒になっている。このとき黒澤は黒い絹糸で器用に「蚊」を作り、高峰の手の甲に載せるという演出をして13歳のデコに強い印象を与えた。

『馬』は昭和14、15,16年と足掛け三年の月日を費やして東北の豊かな自然の四季を背景に撮影された。今では考えられない贅沢な映画の制作スケジュールだった。

この映画を観た志賀直哉は高峰に手紙を書き、「この映画を観て、ススキの原っぱを一頭の馬がただひたすら走って行く夢を見ました」と感想を述べたという。

等々、映画を観る前からいろんな前提知識が頭に入っていたので、果たして虚心坦懐に作品に向き合うことができるだろうか、という一抹の不安もあったのだが、始まる否や自然とその作品世界に快く引き込まれて行った。

感想を一言で言えば、これはやはり「デコのアイドル映画」である。「麦秋」が「原節子のアイドル映画」であり、「セーラー服と機関銃」が薬師丸ひろ子のアイドル映画であるのと同じ意味でそうだ。ここでいう「アイドル映画」というのは、その女優のアイドル的魅力が如何なく発揮された作品として見れるという意味だ。単に代表作というのではなく、このような作品を持つ女優は幸運であると言える類の作品である。

この作品には高峰自身思い入れがあり、『わたしの渡世日記』や後のエッセイにこれ以上ないほど素晴らしい描写がされているので、それに付け加えることはまったくない。

「『馬』のストーリーは、馬好きの「いね」という農家の少女が仔馬をもらうという条件で「花風(はなかぜ)」という妊娠馬を預かって世話をするが、成長した仔馬は軍馬として陸軍に買い上げられて、戦地へ送られてしまう、という、ただそれだけの筋である。」

「花」が仔馬を出産するシーンはこの映画の白眉の一つだが、出産の過程を通して画面にひたすら映し出されるのは、「花」が陣痛に苦しむ様子を心配そうに眺め、家族に窘められながら落ち着きなくそわそわし、生まれた仔馬が立ち上がる様子を嬉しそうに眺める「いね」の表情であり、仔馬を産む「花」自身の苦しみや安堵や喜びは全てデコを通して表現されている。

デコはここで主役である「馬」を見つめる観客としての位置にあり、映画の観客はそのデコを眺めている。最近のアイドル鑑賞の仕方には、アイドルに萌えている自身がアイドルオタクであるアイドルの萌え方に萌えるというのがあるが、その構図と同じである。この構図が成立するのはアイドル映画だからこそである。

また作品中に、汽車に乗って出発する弟を馬に乗って見送るという場面があり、ここで「いね」は馬に乗って疾走するのだが、馬の大群が一斉に駆けていくこのシーンは後の黒澤映画の戦闘シーンを思わせる迫力で、万が一馬から振り落とされでもすれば即死は避けられない。さすがにドキドキして「大丈夫か?」と手に汗握った。

そして実際、デコは落馬して即死する寸前のところだったのである。

カメラの横にいた山本嘉次郎から「ヨーイ!」という声が掛った。轡を取っていた馬方がサッと画面から外れた。「ハイッ」と、また山本嘉次郎の声が掛った。助監督の銀ちゃんがいきなり馬のお尻に石を投げたからたまらない。ビックラした馬はピョン!と跳ね上がって疾風の如く走り出した。自転車じゃないからブレーキがあるわけでなし、私はどうやったら馬がとまるのかも教わっていない。私は馬の首にしがみついたが、身体は徐々に横倒しになってゆくばかり・・・。あとは落ちるだけである。いつまでたっても止まらない馬に驚いて、馬方はじめスタッフの全員が、ワアワア言いながら馬を追って駆け出してきた。馬はなおさら驚いて速力を増す。私の身体は馬の上で一回転し、目を開いてみたら馬のノドのあたりにしがみついていた。

「もうダメだ!落っこって、馬のヒヅメにかかって、一巻の終わりだ!」

そう思ったとたんに、何を思ったのか、馬がトトトッと立ち止まったのである。馬方が追いついて、馬の前にまわり、スタッフのだれかが、私を抱き降ろした。あと十秒、いや、あと五秒遅かったら、私は馬のヒヅメに踏みつぶされて肋骨がグシャグシャに折れ、この世に別れを告げていただろう。・・・

私は、ショックでさすがに顔から血の気が引き、身体がガクガクと震えていた。黒澤明は私を抱きしめてしゃがんだまま、私の背中を、まるで赤ン坊をあやすように撫でたり、叩いたりして、荒い息を吐いていた。

黒澤明の、強い、しっかりとした両腕に抱かれた私は、彼の首すじにしがみつきたい気持ちを抑えながら、なんともいえない安心感に、身体の力がフニャフニャと抜けてゆくのを感じていた。

「私の渡世日記」「青年・黒澤明」より

まるでこれ自体が映画の一場面のようではないか。

死と隣り合わせの危険な体験のときに寄り添い安心感を与えてくれた男・黒澤明と、デコとの関係はこの〈裸馬暴走事件〉以降急速に親密さを増していき、まもなく悲劇的な結末を迎えることになるのだが、それはまた別の話。

だがこの映画のデコの存在感の一層の輝きに与っていたのが初恋(?)にときめく乙女心だったというのも否定できないだろう。

過密スケジュールに追われていた彼女は撮影中に倒れ、乾性肋膜と盲腸炎と診断されて荻窪の病院に入院するのだが、ベッドの上で何もかも面倒臭く、何もかもアホらしく、何もかも無駄なように思われ、自分が生きていることさえおっくうになって「このまま死んでしまいたい」と思ったという。現在でもハードスケジュールの中でメンタルを壊すアイドルがたくさんいることを考えれば、当時も今も環境は変わっていないと感じざるを得ない。まして高峰には養母の存在や彼女が扶養する(させられている)家族の問題もあった。

等々、どうしても高峰秀子のことに思いを馳せながら見てしまうのだが、この『馬』という映画を通して山本嘉次郎は何を伝えようとしたのだろうか、とも思った。

当時は太平洋戦争突入の時勢で、映画にも当然翼賛的な要素が求められていたに違いない。しかしこの作品は、馬に擬制しながら、親子が引き裂かれ、軍に徴用される悲劇を描いているとも見ることができるのである。木下恵介が戦時中に撮影した『陸軍』にも相通じるものを感じさせる。戦前最も優れた監督と言われた山中貞雄『人情紙風船の悲劇性すら連想してしまう。

「だら、行くど。」

父は、小僧の手綱をひいて、一歩踏み出しながら、振り返っていねを見た。

いねは、乾ききった目をして、呆然と立っていた。

身体を根こそぎにするような、容赦のない悲しみの中に、いねはじっと立っているのである。ドキリとして、父は思わず、足を止めた。

しかし、次の瞬間、父はあわてていねから目をそらすと、振り切るように歩きだした。

陽はすっかり西に傾いて、父と小僧の長い影が悲しく揺れた。

母も、いねも、金次郎も、つるも、無言で、それをじっと見送った。

父と小僧の姿は、しばらく峠の頂上に影絵のように姿を浮かせていたが、やがて夕方の燃える空の中へ、吸い込まれて行った。

金次郎が、

「来年も、また、軍馬つくるべな。」

と、大きな声を出した。

「そうだ、いね、お前ア、もう工場サ帰らなぐとも、良んだからな。」

母がそれを受けて、いねに話しかけた。

「静かにしてれッ!」

このいねの鋭い叱声に、母は愕然とした。

いねは、静かに、耳を澄ませて、カツカツカツと、遥かに遠く去って行く小僧の足音を聞いていた。

いつまでもいつまでも。

オホーツク海から渡って来た秋風が、静かに吹き始めた。

『馬』山本嘉次郎 著(大元社、昭和15年

あ、あと僕は違いますが、馬愛好家の方にとっては、別の意味でのアイドル映画とも言えると思いました。