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ハムレット雑感

ハムレット」が書かれたのは1600年頃で、シェークスピア徳川家康と同時代人である。

今の日本人が「ハムレット」を読むには、日本語で読む場合には日本語の制約を受けるし、英語で読む場合にも時代感覚の制約を受ける。要するに、リアリティを持って読むことが難しい。

これはどんな古典にも言えることだが、特にシェイクスピアは劇場支配人として、一般大衆の人気を得ることが第一の目的で、数百年後も古典として読まれ続けるなんていうことは考えていなかったのではないかと思う。その証拠に、彼は自分の作品の権利関係にはまったく無頓着だった。今だったら著作権を主張して当然だが、書いた作品を劇場のものとしてあげてしまっている。自分の書いたもので大衆が喜んで、客が入って、劇場が儲かれば、それでよかったのだ。

観客の幅は貴族から庶民まであらゆる階層に及んだが、とどのつまりは当時の大衆に受ける作品でなければならなかった。実際彼は興業者として大成功を収め、富と名声の力で貴族の称号まで手に入れた。

1600年前後の10年くらいは、怒涛のように作品を書いた。喜劇から悲劇まで、ヒット作品を立て続けに書いた。後世の歴史家によると、「ハムレット」は、それまでの明るい調子の喜劇から、暗い悲劇時代の幕開けを告げる時期の作品らしい。

シェイクスピアには、3人の子供がいた。18歳のときに、8歳年上の女と「できちゃった結婚、をして、そのときに生まれた長女と、その直後に生まれた双子がいた。双子の内の一人、長男の「ハムネット」は1596年に11歳で夭折した。

ハムレットの有名な独白、「To be,or not to be: that is the question.」の日本語訳を巡っては、50通りものバリエーションがあると言う。

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」というのが一つの典型。

「あるべきか、あるべきでないか」というのもある。

文脈から言えば、確かに生死について語っているのだが、人間存在そのものについて思いを巡らせているとも読める。

結論的には、どちらの読み方も正しい。だからこそ「to be or not to be」なのだ。日本語では、どちらの読み方も可能にするような表現は難しい。

シェイクスピアは、至る所で、複数の解釈ができる表現を用いている。そしてそれはどちらも正しいのである。というよりも、両方の意味を含めて考えることでより一層分かるという仕掛けになっている。

ハムレットの解釈をめぐっては、いまだに定説がないと言われる。

なぜ父の亡霊は現れたのか? なぜハムレットは復讐を遅らせたのか? ハムレットは本当にオフィーリアを愛していたのか? なぜオフィーリアに尼寺へ行けと言ったのか?

しかし、もしシェイクスピアに尋ねることができたとしても、答えは出ないに違いない。

なぜなら、作品そのものが答えだからだ。

多義的な解釈を許すように書かれているからだ。真の芸術作品とはそういうものだ。

それでも興味が尽きないのが名作、「文学のモナ・リザ」と言われるゆえんだろう。