昨日から考え続けているのだが、デヴィッド・ボウイについて、よく知っているつもりだったのに、以外と何も知らないことに気づいた。
彼のリリースしたアルバムは、80年代までのものは全部聴いている。大好きな曲はたくさんある。というよりほとんど大好きだ。
ルー・リードやジョン・レノンその他のミュージシャンと共演した作品も素晴らしいものばかりだ。仲のよかったTレックスのマーク・ボランとは、グラム・ロックの一時代を築いた。
でも、デヴィッド・ボウイという人が結局何を残したのか、改めて考えてみると、よく分からない。
変わること(CHANGES)それ自体が彼のアイデンティティだったともよく言われる。
変幻自在という言葉がふさわしいアーティストとして彼以上の存在は見当たらない。
変化し続けながら、常に時代の最先端の、ヒリヒリした場所にいた。
ボウイを見ていさえすれば、時代(音楽、演劇、ファッションその他のコンテンポラリー表現一般)の一番肝心な部分は攫んでいられた。
ファンの多くが「おや?」と思い始めたのは、『レッツ・ダンス』の頃だろう。
ナイル・ロジャーズと組んで、ダンサブルで、キャッチーで、売れ線の曲を、何か吹っ切れたようにやりだした。もちろん今聴いても大傑作である。
自分にとってのボウイはやはり、「スペース・オディティ」であり、「フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年」であり、「ジギー・スターダスト」であり、「ロックンロール・スイサイド」であり、「レベル・レベル」であり、「ヤング・アメリカン」であり、「ゴールデン・イヤーズ」であり、そしてあの「ヒーローズ」までである。
「ヒーローズ」の中で彼は、「誰もが、一日だけは英雄になれる」と歌った。英雄(ヒーロー)は日々入れ替わり可能な存在になった。
その後のボウイは、超一流の中でもさらに別格のアーティストであり続けたが、唯一にして絶対の英雄ではなくなった。別にそれで構わない。最期まで最高のアーティストであり続けたのだから。
バンドではなく個人のロック・ミュージシャンとして、デヴィッド・ボウイを超える存在はいないし、これからも現れないだろう。
これは、あのニルヴァーナがライブでカバーして90年代に再び有名になった名曲だ。
THE MAN WHO SOLD THE WORLD / DAVID BOWIE
世界を売った男/デヴィッド・ボウイ
俺たちは階段の上で出くわした
昔のことについて話した
俺はそこにはいなかったが、奴は俺が奴の友達だと言った
それは俺にとってちょっとした驚きだった
俺は奴の眼をまっすぐに見つめて言った
お前はとっくの昔に、ひとりぼっちで死んだと思っていたよ
いや違う、俺じゃない
俺は自分を失ったことはない
お前がいま面(ツラ)を突き合わせているのは
世界を売った男なんだ
俺は笑って、奴と握手した それから家に帰った
俺は人影と土地を捜して、何年も何年もさ迷い歩いた
ここにいる無数の連中を目を凝らして眺めた
俺たちはとっくの昔に、ひとりぼっちで死んでいたに違いない
誰が知っているというんだ? 俺じゃない
俺たちは決して自分を見失ったことはない
お前がいま向かい合っているのは
世界を売った男なんだ
誰が知っているというんだ? 俺じゃない
俺たちは決して自分を見失ったことはない
お前がいま向かい合っているのは
世界を売った男なんだ