INSTANT KARMA

We All Shine On

I See You Never

Affirmation number one, there are no such words as me or mine.

Words of this nature were introduced into society as a control mechanism which systematically first divided the subjects individually and then as a collective.

確言1 「私」とか「私のもの」とかいう言葉は存在しません。

この性質の言葉は、まず主体を個人として分割し、しかる後に集合体としてシステマチックに扱うために、コントロール・メカニズムとして社会に導入されたものなのです。

"affirmation I & II" from "Art Official Age" (2014)

レイ・ブラッドベリ超短編『わかれ I See You Never』というのがある。

村上春樹をはじめ、いろんな人が訳しているが、自分は各務三郎の『世界ショートショート傑作選1』(講談社文庫)に収録されている訳が一番好きだ。

読むのに3分もかからない短い話だが、こんな話。

ミセス・オブライエンの家の前に二人の警官に挟まれたラミレズがしょんぼり立っていた。

ラミレズはミセス・オブライエンのアパートの良い借主だった。戦争中にメキシコからロサンジェルスにやってきて、飛行機の部品工場に勤め、しっかり稼ぎ、誰にも文句が言えない程度、お酒をたしなんでいた。

ミセス・オブライエンのキッチンではオーブンでパイが焼きあがろうとしていて、いい香りがした。警官もおいしそうな匂いに身を乗り出した。

広くて綺麗なキッチンでは、ミセス・オブライエンの子どもたちが食事をしていた。

ラミレズは不法滞在でメキシコに追い返されることになっていた。

ラミレズはメキシコに帰りたくなかった。ロサンジェルスでの生活を楽しんでいた。何も悪いことはしていなかった。

ラミレズはもう荷造りしていて、ミセス・オブライエンに鍵を手渡した。

「メキシコへ帰るのね」

「メキシコの北にあるラゴスという小さな町です。帰りたくないです」

ラミレズはキッチンの様子を眺め、隣のアパートを長い間見つめていた。

ミセス・オブライエンは旅したことのあるメキシコのカラカラに乾燥したわびしい風景を思い出した。

「とても残念だわ」

“I see you never”(「もう会えません 決して」)ラミレズはそう繰り返した。

変な英語を使うラミレズを警官は笑ったが、ラミレズが気づかないので、すぐに笑うのをやめた。

ラミレズはミセス・オブライエンの手を握って、礼を言い、警官に連れられて行ってしまった。

ミセス・オブライエンは再び食卓について、一口ステーキを食べたが、ふと手を止めた。

「今、気づいたわ。もう決して、ラミレズさんに会えないのね」

僕はいつも、このオブライエン夫人の最後の台詞を読んで泣いてしまう。

(ぜひ原文(邦訳全文)を読んでみてください。)

 

突然訪れた別離による喪失感は、すぐには実感できず、一呼吸おいてズドーンと来る。

いつもそうだ。

忌野清志郎のときも、マイケル・ジャクソンのときも。

でも、プリンスのときほどではなかった。

喪失感が大きすぎる。あまりにも突然すぎる。

ニュースを見て、現実を受け入れるまでに数時間かかった。

否、正確にはまだ受け入れていない。

 

初めてプリンスを見たのは、中学生の時、夜遅くMTVをつけていると、ものすごい熱狂的なライブの模様が映った。

ステージで小柄な男が踊りまくっていた。観客は熱狂していた。

解説の日本人が、「今ミネアポリスで人気急上昇中のミュージシャンだ」と語っていた。

それまで聴いていた音楽とは異世界で鳴っているようなサウンドだったから、ライブの熱狂も含めて強く印象に残った。

そのしばらく後、FMの「ポップス・ベストテン」のような番組を聴いていると、突然、狂ったようなギターのイントロが流れた。

チャート急上昇中です。「ビートに抱かれて」でした。と進行役の女性キャスターが告げたその曲は、またもや何か別次元から聞こえてくるような気がした。

 

生まれて初めて買ったレコードは、『パープル・レイン』だった。

映画とサントラの爆発的ヒットから1年もたたないうちに、もう新作アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』が出た。ポップでサイケデリックでファンキーで、わけのわからないところもあったが、この頃にはもうプリンスが僕の中で絶対無二の存在になっていた気がする。

音楽では万能だったプリンスにも、映画の才能はなかった。

しかし、大ブレイクのきっかけになった映画『パープル・レイン』は何度見ても飽きない傑作だと思う。プリンスという天才少年の抱えていた傷や葛藤がリアルに伝わってくる。「パープル・レイン」の演奏で締めるのではなく、その後に「ベイビー・アイ・アム・ア・スター」と「アイ・ウッド・ダイ・フォー・ユー」で終わるのがよかった。

映画と言えば、大学の入学試験を受けるために上京した僕は、受験前夜、新宿ピカデリー『サイン・オブ・ザ・タイムス』を見た。

見終わって、感動のあまり席を立てず、そのまま2回目を見た(当時は入れ替え制ではなかった気がする)。このまま死んで、翌日の入試に行けなくてもいいと思った。

「ラブセクシー」はプリンス流福音書のような神への礼賛で埋め尽くされていたが、プリンスが神を信じるなら、俺も信じてもいいかな、と思った。だって俺にプリンスを与えてくれたんだから、神はいるに違いないと思った。

これを書きながら、ようやく涙が出てきた。

もう二度と生きたプリンスのステージを、パフォーマンスを見ることができないと言う現実が胸に迫ってきた。どんな無理をしてでも、日本公演に行くべきだった。

先日、CS放送で、プリンスがミュージック・ビジネスに革命を起こすために戦った日々のドキュメンタリーを見た。

90年代のプリンスは、将来の音楽配信ビジネスがインターネット主流になることを確信して、そのために先駆的な行動を取っていた。大手レコード企業(ワーナー・ブラザーズ)との細かなイザコザにとことん消耗していたのだと知った。

名前を変え、ワーナーとの契約(奴隷契約とさえ呼んだ)から解放されて、エホバの信者になった。このあたりは正直彼の動きに着いていけていなかった。

2000年の「レインボウ・チルドレン」を聴いて、彼の音楽性が再び開花し、ピークを迎えたと感じた。このときの来日公演に行っておくべきだった……

 

プリンスが死んだことが未だに受け入れられない。

もし本当なら、自分の人生のある側面が終わった気がする。

この後は、それ以前とは違う世界で生きるのだという気がする。

僕にとって特別なアーチストだった。

ジョン・レノンが死んだときのことはリアルタイムでは知らないが、当時のファンはこんな気持ちだったのだろうか。

 

どういうことなのか分からない。

プリンスがいない世界で生きるというのがどういうことなのかが分からない。

プリンスは俺にとって別次元の世界との接点というか、この世を超えた違う世界からのメッセンジャーだった。

そう、神だったんだ、俺にとっては。

そのことに失ってから気づいた。

混乱しているが、何も書かないわけにもいかないから、混乱したままキーを叩いている。

I WOULD DIE 4 U / PRINCE & THE REVOLUTION

 

I'm not a woman

I'm not a man

I am something that you'll never understand

 

I'll never beat u

I'll never lie

And if you're evil I'll forgive u by and by

 

U - I would die 4 u, yeah

Darling if u want me 2

U - I would die 4 u

 

I'm not your lover

I'm not your friend

I am something that you'll never comprehend

 

No need 2 worry

No need 2 cry

I'm your messiah and you're the reason why

 

'Cuz U - I would die 4 u, yeah

Darling if u want me 2

U - I would die 4 u

 

You're just a sinner I am told

Be your fire when you're cold

Make u happy when you're sad

Make u good when u are bad

 

I'm not a human

I am a dove

I'm your conscious

I am love

All I really need is 2 know that

U believe

 

Yeah, I would die 4 u, yeah

Darling if u want me 2

U - I would die 4 u

 

Yeah, say one more time

 

U - I would die 4 u

Darling if u want me 2

U - I would die 4 u

2 3 4 U

 

I would die 4 u

I would die 4 u

U - I would die 4 u

U - I would die 4 u

 

 

女でも男でもない

君が決して理解できないもの

それが僕

 

決して君をぶたない

決して嘘をつかない

君が邪悪でもその度に君のことを許す

 

僕は君のために死ねる

君がそれを望むなら

僕は君のために死ねる

 

愛人でもない

友人でもない

君が決して把握できない何か

 

心労もない

泣く必要もない

僕は君の救世主 君がその理由

 

なぜなら僕は君のために死ねるから

君がそれを望むなら

僕は君のために死ねる

 

君はただの罪人だと聞いた

君が冷たいとき僕は君の火になる

君が悲しいとき君を幸福にする

君が悪ならそれを善にする

 

僕は人間ではない

僕は鳩

僕は君の意識

僕は愛

 

僕が本当に必要なのはただ

君が信じること

 

君のために僕が死ねることを

君が望むなら

僕は君のために死ねる

 

さあもう一度

 

僕は君のために死ねる

君がそれを望むなら

僕は君のために死ねる

2014年の「アート・オフィシャル・エイジ」を最近はよく聴いていた。

1stや2ndの、いい意味でチープな感覚が戻ってきた気がしていた。

彼は社会問題に決して目を瞑らなかった。

声高にではないが、確実に人々の心に響く方法でメッセージを伝えた。

「ウィー・アー・ザ・ワールド」には参加しなかったが、チャリティーにも熱心だった。

彼は黒人(実際には何分の1かでも、黒人の血が入っていればアメリカでは二グロとされる)であり、黒人としては奇形なほど小柄であり(身長155センチしかなかった)、ハンディキャップを背負っていたが、それを全部圧倒的な才能で覆した。

ミュージック・ビジネスに携わるどんな人間も、プリンスの天才を否定することはできない、という人がいるが、それは間違いだ。

プリンスがミュージック・ビジネス史上最大の天才であることを否定することはできない、と言い換えるべきだ。

スティービー・ワンダーも、スライ・ストーンも、デューク・エリントンルイ・アームストロングまで遡っても、彼の才能に匹敵する人間はいない。

マイルス・デイビスが言うんだから、間違いはないだろう。

彼以上に才能豊かなミュージシャンはこれからも現れないだろう。

 

プリンスの曲で何が好きかと言われたら、その日によって答えは変わる。

否、その瞬間によって変わる。

そのときに何と答えるかで、自分の体調とメンタルの調子が分かる。

今は、涙以外に何も浮ばない。

 

以前ネットで拾ったライブ評(「レインボウ・チルドレン」当時の来日公演)をそのまま転載する。

それで、今日はもうすべての活動を中止する。

2階席までビッシリと観客で埋まった武道館の観衆がその登場を待ちわびる。サックス・ソロを吹きながら、ゆっくりとステージに上がるのはメイシオ・パーカー。ジェイムス・ブラウンや、ジョージ・クリントン率いるP・ファンク軍団と、ファンクの歴史の生き証人となるグループ参加を経てきたメイシオ。そんな彼が、今ではプリンスのステージでその咆哮を響かせているというのは何とも出来すぎた話ではないか。

 

 最新作『レインボウ・チルドレン』は、彼がまぎれもなくファンク・ミュージックの申し子である事を改めて証明してみせた痛快な傑作であったが、今回ここから演奏されたナンバーが、過去の名曲群と比べ少しも遜色ある印象を抱かせなかった事は実に頼もしかった。

 

 紫がかったスーツで身を固めたプリンスが、ドラムを少し叩いた後ステージ前方にお目見え。武道館の歓声と温度は一気に急上昇。息つく間というものを与えないエンタテインメント・ショウが一気に展開されていく。アンコールに差し掛かると、ステージのみならず客席も全てライトアップしてのダンス天国状態。あの場にいた一万人が我を忘れて踊っている光景は壮観だった(まあ筆者自身もバキバキに踊っていたのだが)。オーディエンスと同じステージでダンス・パーティーを演じ場が一体となるのは黒人音楽に古くからある伝統的手法であり、それをこのような大きな場で実践してしまう所に彼の生粋のエンタテイメント性を見る思いがした。

 

 何よりも、会場にいる皆を楽しませようという意気込みがヒシヒシと伝わってきて、全ての人に笑顔が絶えなかったのがとにかく嬉しかった。やはりこの人はこの世に2人と存在しない至高のアーティストであり、エンターテイナーであり、音楽オタクであり、芸人であり、そして天才なのだ。終演のアナウンスが流れた時、ハッと現実に呼び戻されたかのようなあの感覚。まさにプリンスだからこそ与えてくれる、この上なく幸福で、同時に寂しくなってしまう瞬間だ。これほどに浮世を忘れさせ、魂を全面解放させるショウを演じてくれる人が果たしてどれだけいるというのか。武道館を出ていく多くの人々の足取りが、あまりに軽快で活き活きとしていた様子が忘れられない。

 

仙台遠征。プリンスがとにかく近い。今回の日本ツアーの詳細が発表された時点で「ZEPP仙台」というライヴハウスの名に興奮を抑えずにはいられなかったが、これほど

間近で観られるとは思わなかった。3歩も前に進めば触れられそうな位置に立つのは、まごうことなきプリンスその人である。まつ毛の上がり具合や髭の伸びる方向まで肉眼でクッキリと認識できる喜びに頬が緩む。

 

 このような小さな会場での演奏自体が異例だが、肝心の中身の方もまた特別のものとなった。白いハイネック&ニット帽という衣装に身を包んだプリンスが現れると、ZEPP仙台は絶叫の渦に包まれる。「Bambi」からはフロアのヴォルテージが一気に加速。ここから「The Everlasting Now」までのフロアの揺れ具合たるや相当なハイテンション。以降も「Purple Rain」での渾身のギターソロや、ハッピーという言葉がとにかく似合う「When U Were Mine」、「Pop Life」、仙台オーディエンスへの謝意をこの上ないファンクネスに乗せて伝えた「Sign "O" The Times」、ファルセットで美しく歌い上げるバラッド「Gotta Broken Heart Again」、ダンス大会を盛り込んだファンキー・パーティー「The Work Pt.1」…見所を挙げていったらキリが無い。ショウが進むにつれ、人生においてあまり味わえないであろう高純度の興奮と共に、涙腺を制御するのが難しくなっていく。そして歌い、叫ばずにはいられない。これほど様々な感情が自己内を行ったり来たりする体験というのはなかなかに貴重だ。

 

 バンドメンバーとのインプロヴィゼーションや、オーディエンスとのコール&レスポンスもいつも以上に肌にピシピシと伝わっていたようで、プリンス自身もだんだんとゴキゲンになっていくのがよく分かる。メジャー度に関係なく、ほとんどのナンバーで会場が大合唱となるのは、筆者自身も歌いまくっていたとはいえ圧巻。また、武道館公演では不在だったエリック・リーズも参戦。グレッグ・ボイヤー、メイシオ・パーカーとの最強ホーン編成となっていたのも嬉しい。

 

 アンコールの「Days Of Wild」終演後、客電が灯り、ステージ上でも機材の撤収が始まった。しかし観客はその場を動こうとしない。ありったけの声を出し手を叩きながらプリンスを呼び続ける。そして、さすがにもう終わりかと諦めかけたその時!何とプリンスがアコースティック・ギターを抱えてフラリと再登場。大歓声が湧き起こった。皆が一気にフロアの柵を飛び越えてステージ前に集結する。演奏されるは「Last December」の弾き語りである。優しく紡がれていくギターの音とプリンスの歌声。そしてそれを包み込む仙台オーディエンスのコーラス。全てが美しかった。明らかに予定外であったであろうこの2度目のアンコール。手を合わせ笑顔で去っていったプリンスはとても幸せそうに見えた。もちろんその姿に触れた我々については言うまでもない。

 

 19日の武道館も最高級の充実振りをたたえたステージだった。しかし、大変私的な意見だが、この日の ZEPP仙台はそれを凌ぐ極上のひとときであったと言わせて頂きたい。ここでのパフォーマンスは彼の長きキャリアにおいてもベストの部類に入るものであった事は間違いないと思う(ライヴ盤として公式リリースして欲しいくらいです)。

 

 ちなみに仙台ではレッド・ツェッペリンオハイオ・プレイヤーズのカヴァー他、パーラメントの「Do That Stuff」やブーツィー・コリンズ「Bootzilla」、ジェイムス・ブラウン「Ain't It Funky Now」といったファンク・クラシックスのフレーズが随所で顔を出していた。プリンスの音楽性を培ってきた偉大なる先達のナンバーも全て無理なくステージの中に溶け込ませ、その上で生まれるのは「プリンス」という名の唯一無比のオリジナリティ。あらゆる音楽の粋を集結させておきながら、あまりに一本気かつ模倣不可の爽快さをたたえているのはその才能ゆえか。とにかく隙というものが無かった。

 

 プリンスはやっぱり凄い。これまで幾多の作品やパフォーマンスからそんな想いは抱き続けてきていたが、今回の来日ツアーほどそれを実感した事はない。

 この人は本当にあらゆる音楽の生まれ変わりであり、現代のモーツァルトなのかもしれない。それは、日本各地でそのステージを観た全ての人が感じた事と思う。プリンスの才能は今後も枯れる事はないだろう。紫色でもゴールドでもない、現在の彼は七色に光る音楽の衣をまとった一世一代の王子だ。見切りなんてとてもじゃないが付けられそうにないぞ。

( text by Imano )

 

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=2002.11.19:日本武道館

 

 正直、客が入るのかと不安だった。来日自体が6年半ぶりだし、ここ数年のプリンスの活動に関する情報が、あまり表立って流れていなかったからだ。プリンスが真に輝いていたのは80'sで、改名だ何だとゴタゴタしていた90'sは、音楽的にも失速の一途をたどっているという見方もなきにしもあらずだった(個人的には断固反発!)。しかあし、キャパ約1万の武道館は、超満員とはいかないまでも、ほとんどの席が埋め尽くされていた。そして客の年齢層は、思ったよりも高めだった。

 

 予定時間を7分ほど過ぎたときに客電が落ち、ステージ向かって左後方に陣取るDJのプレイが。それがやがてドラムソロへとつながるのだが、そのドラムを叩いているのはなんとプリンス本人!ドラムセットはステージほぼ中央の後方にあって、前面がガラスで覆われている。そのガラス越しに陣取るプリンスは、濃い目の紫のスーツに、黒いシャツに黒のネクタイといういでたちだ。

 

 プリンスはやがてドラムセットを離れ、ステージ前方に移動。他のメンバーも姿を見せる。ドラムの右にはサックスとトロンボーンの管楽器隊。左には女性のベーシスト。その更に左にはキーボードとDJ、といった配置だ。キーボードの人だけが白人で、他は黒人メンバー。これが現在の、ニュー・パワー・ジェネレーションのメンバーか。ステージセットは、後方が大きなスクリーンになっている。そしてプリンスはギターを手にし、『Rainbow Children』へ。

 

 

 プリンスの作品は"密室的"と形容されるアルバムが少なくないのだが、もっかの新作『Rainbow Children』ほど密室性を感じさせる作品はないと思う。ライヴハウスで優雅にリラックスして聴くような音楽のように思え、これを武道館で演って果たしてどうか?という不安があった。しかしそこはプリンス、本人が持ち合わせているカリスマ性は元より、演奏そのものの迫力で圧倒。というより、武道館を自分のスタジオにでもしてしまったかのようにオーディエンスを引き込んでいる。

 

 続くはなんと『Pop Life』で、これが新作の流れを汲むようなジャズっぽいアレンジ。更にはピアノを弾きながら「hello...」「I love you...」とつぶやき、必殺の『Purple Rain』のメロディーが!映画とアルバムのヒットでスターダムにのし上がって以降、この曲は長年に渡ってプリンスのライヴ後半におけるハイライトを飾ってきた曲だったはずだ。92年のツアーのときも序盤で演奏していたが、ここでは大胆にアレンジを変えてしまい、原曲以上にドラマティックな仕上がりになっている。

 

 紫のシンボルマーク型のギターを手にしたプリンスは、体をのけぞらせながら弾いている。そしてオーディエンスを煽っては終盤のメロディーを繰り返し、ポール・マッカートニーの『Hey Jude』もたじたじなくらいに延々と演奏を続ける。なんだかんだ言って最もポピュラーなプリンスの曲だし、聴く側の熱狂ぶりもハンパではない。もちろん私だって同じで、この曲をリアルタイムで聴いていたその当時の光景や自分自身のことを思い出し、感動となつかしさの両方がこみ上げてきた。ショウは、ここで早くも沸点に達してしまった。

 

 プリンスはギター弾きに徹し、あまり派手なアクションもない。自分もバンドの一員なんだというスタンスがにじみ出ていて、メンバーのソロを引き出すこと多数。演奏をバンドに任せて自分はステージを後にというのも、1度や2度ではなかった。そして極めつけは、前方にいるオーディエンス3人を選んで上げ、ステージ上で踊らせたことだ。プリンスの現在のオフィシャルサイトはファンクラブも兼ねる形になっていて、会員はサウンドチェックが観れたり前の方の席に招待されたりという特典があるのだが、踊ったのはきっと会員の人だと思う。

 

 泣きのギターソロを含む『The Question Of U』は、90年のヌードツアーを思い出す。公演のタイミングがちょうど『Graffiti Bridge』リリース直後で、日本のファンは恐らくは世界一早くこの曲をナマで聴けたのだ。そして後でわかったことだが、メンバーと別行動だったプリンスだけが、飛行機の都合で来日が遅れたのだそうだ。公演当日の夕方に成田に着いたプリンスは、高速をクルマで飛ばしてドーム入りし、リハーサルなしのぶっつけでライヴをこなしたという。

 

 『Strange Relationship』や『Sign Of The Times』といった、名作『Sign Of The Times』からのセレクトも嬉しかった。あの革新的な2枚組は、きっと今でもプリンス自身の中で重要なポジションを占めているのだろう、きっと。更にはまさかまさか、『Dirty Mind』からの『When U Were Mine』まで!いやあ生きてて良かった(笑)。これらはいずれもジャジーかつファンキーなアレンジに仕上がっているが、原曲と曲調が異なることに不満などあろうはずがなく、それどころかこの人の懐の深さを改めて思い知らされた気分だ。

 

 本編終盤は『Take Me With U』に『Raspberry Beret』と、オーディエンスがノリやすい往年のヒット曲で畳み掛け、そして『The Everlasting Now』で終了。数分の間があくが、もちろんアンコール突入だ。その1曲目は『Last December』で、つまりはアルバム『Rainbow Children』の終盤2曲を、断続的に演奏したことになる。「come 2gether as one♪」という印象的な歌詞で締めくくられる『Last December』は、現在のプリンスの心境を最も色濃く反映した曲ではないだろうか。

 

 この後はジャムセッション風となり、またもやオーディエンスが上げられてステージで踊る。それも今度は10数人で、もうなんでもありのやりたい放題だ(笑)。プリンスの指示で客電がつけられ、ステージだけでなく客席までもが明るいライトに照らされる。そのさなかから『Peach』〜『Alphabet St.』となり、更にはギターを手放してピアノを弾くプリンス。終盤では『Love Bizzare』のフレーズもチラつかせたこのジャムセッション、30分近くは続いただろうか。こうしてプリンスは先にステージを去り、残るメンバーもひとりずつステージを去り、ライヴは終了。踊っていたオーディエンスたちも、スタッフに促されるようにしてステージを後にした。

 

 アンコールの終盤は、正直言って少しダレてしまった。オーディエンスのダンス天国を見せられるくらいなら、もっとプリンスの曲を聴きたかったなというのが本音だ。しかしそうした不満を差っ引いたとしても、この日のライヴは驚異的だった。過去のプリンスのライヴは、魅せるための演出に趣向を凝らすことが多かったが、今回はシンプルに音楽オンリーで勝負しているように見える。というか、今のプリンスのたたずまいこそが、彼が本当にやりたかったこと、表現したかったことのように思えてならないのだ。

(2002.11.21.)

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=2002.11.22:Zepp Sendai

 武道館で観ているときも、コレをZeppで観れるのかあと何度も思ったものだ。そしてついにその当日となり、実際中に入ってみてその狭さに改めて驚き、喜びを噛み締める。個人的には、ポール・ウェラー以来約2年ぶりとなる仙台遠征だ。ファンクラブの会員が先に入場して前の方を占拠してはいたものの、整理番号が比較的早かった私は、ステージ向かって右側の前3列目という、願ってもないポジションを確保した。

 場内に流れていたBGMが、6時半を過ぎた辺りからいつのまにかDJプレイへと突入。これが30分近く続き、スタッフがステージ両サイドにあるお香に火をつけた。すごい匂いだ。どうやらこれがスタートの合図のようで、まもなく客電が落ちる。ドラムセットの方に歩み寄っていくのはプリンス本人・・・ではなく、正規のドラマーだった。そうしてドラムソロが始まり、続いては超絶テクニックを誇る女性ベーシストが登場。更には管楽器隊もという具合に、徐々にメンバーが現れては演奏に加わった。札幌公演からサックスが1人増え(マッドハウスのエリック・リーズ)、3人編成になっている。

 こうして、ライヴはジャムセッション風にスタート。ステージは武道館のときのように巨大なスクリーンも装飾もないが、しかしその分目の前での見事な演奏力をじかに感じることができる。ジャズインストは10分以上続き、やがてステージ右側の袖の方からひょっこりとプリンスが登場。白いパンツに白いタートルネックのセーター。そして白いニット帽にサングラスという姿だ。男の私が言うのも変だが、「かわいい」と思ってしまった。

 

 プリンスもジャズインストに加わってギターを弾き(この構成というか演出は、まるでジェームズ・ブラウンのライヴみたいだ)、やがて管楽器の音色が冴える『Xenophobia』へとつながれ、曲の切れ目を作らずに今度はハードなリフの『Bambi』へ。ギターだけでなく繊細にしてパワフルなウラ声も健在で、場内は狂喜。プリンスの初期の作品はほとんどがウラ声オンリーで歌われているが、それから20年以上が経っているのに少しも錆びついていない。更にはジョンスペのようなリフが響くが、よく聴き定めてみると、コレはレッド・ツェッぺリンの『Whole Lotta Love』だ!そしてこの曲もウラ声で歌うプリンス。なんて人だ。

 

 武道館では「トキオ〜」を連呼していたように、ここでは「センダイ〜」と何度も言うプリンス。正直、武道館のときは予想以上にオーディエンスの年齢層が高かったので、いくらココがライヴハウスといえど、もしかするとおとなしい雰囲気に陥ってしまうのではという心配もしていた。のだが、オーディエンスの熱狂ぶりはハンパではなく、前方はすし詰め状態。プリンスを間近で観られるという幸福感を、みな噛み締めているのだろう。

 

 もちろん、私だってそうだ。『Purple Rain』ではスケルトン型のキーボードでイントロを弾き、中盤はヴォーカル、後半は紫のシンボル型ギターをかきむしり〜となるのだが、今までは東京ドームや武道館、横浜アリーナという、大きな会場で聴いてきたこの曲を、こんなに間近で聴けるなんてー、という感動で理性がふっ飛びそうなのだ。

 

 プリンス側もハコがライヴハウスというのを意識してなのか、セットリストをがらりと変えてきた。今回のツアーの顔とも言える『The Rainbow Children』を大胆にも外してしまい、本編後半やラストを飾っていた『Take Me With U』『The Everlasting Now』も、早々に演ってしまった。『1+1+1=3』では、プリンスとの掛け合いで「I love funk music♪」を合唱。続く『Housequake』では、イントロ部分を楽器やSEではなく、プリンスがボイスパーカッションでこなし、DJスクラッチの仕草も披露する。

 

 武道館のとき以上に曲と曲との切れ目をほとんど作らず、演奏しっぱなし。しかし中盤でプリンスは袖の方に消え、ニュー・パワー・ジェネレーションだけの演奏がしばらく続く。少しして生還したプリンスは着替えていて、今度は黒のスリーブレスのシャツに黒のぴったりパンツ、そして黒のベレー帽姿に。先ほどまでの真っ白から、今度は真っ黒へ。そしてその胸元には、「NPG」のネックレスが光っていた。

 

 

 『Strange Relationship』のときには「今まで誰も聴いたことのない、ラジオステーションから」というフリがあり、またまたウラ声発揮の『When U Were Mine』は、武道館のとき以上に切れがあり冴え渡っているように思えた。アリーナとライヴハウスでは、感じ方が違って当たり前とはいえ、だ。『Sign Of The Times』では、ラストでギターをハウリングさせたままステージを去ったプリンス。これで終わったか?・・・と思いきや、少しすると生還し、『Gotta Broken Heart Again』へ。原曲をはるかにしのぐ、ヴォリューム感たっぷりの歌い上げに、ただただ酔いしれるばかりだ。

 

 本編ラストは『The Work Pt.1』で、ここで恒例?のダンス大会が。サックスのエリック・リーズやメイシオ・パーカーが、前列に陣取るオーディエンスから7〜8人を選んで、ステージに上げる。プリンス自らがひとりずつ指名して踊らせるのだが、日の丸扇子を仰ぎながら踊る男や、手袋をしている女性組などがそれなりに奮闘。ひとりぎこちない兄ちゃんがいたのだが、彼はなんと変なオジサンの踊りをした。これにはさすがのプリンスもウケたようで、そしてあろうことか、プリンス本人も加わって変なオジサンの踊りをしたのだ!一歩間違えばぶち壊しになりかねなかったところだが、結果オーライだね。

 

 真っ暗となった場内で、当然の如くアンコールを求める拍手と歓声が。この日は終始勢いで押しまくっていたので、アンコールなしで終わるんじゃないかという想いもよぎったのだが、メンバーは再登場してくれた。『Pop Life』から『Rise Up』へとつなぎ、前回の来日では必ず演奏されていた『Days Of Wild』へ。これがまたまた延々と続き、場内が熱狂の渦に包まれたまま、終了した。

 

 これで終わりか、それとも更なるアンコールはあるのか・・・?真っ暗な状態がしばし続いたので、期待を抱きながらの拍手が続く。がしかし、客電がついてしまい、その想いはあっさりと引き裂かれてしまった。拍手はなおも止まないが、ステージにはスタッフが出てきて機材の片付けを始め、「本日の公演はこれで終了しました〜」という呼びかけも始まる。この日のライヴ、確かに凄かった。しかし、最早これまでか。これ以上のものを求めるのは、酷だと言うのか・・・?

 

 黒い人影が、ふらっとステージに現れた。

 

 漆黒のコートをまとい、バンダナの上からベレー帽をかぶっている。

 

プ、プ、プリンスだ!!!

 

 出てきたっ。プリンスは、再び私たちの前に出てきてくれたのだ。スタッフのひとりに耳打ちし、持っていたセミアコースティックギターにプラグを挿す。他のスタッフは慌ててステージから退散し、再び場内は暗転した。

 

 プリンスという人は、アーティストとしてのプロ意識を高いところに設定してきた人だと思う。特にライヴの場においては、オーディエンスを満足させることを第一に考え、実行し続けてきた。しかしその意識が高すぎるあまり、ショウに対する組み立てを徹底的に突き詰め、その枠から外れるようなことはしない人だと、ずっと思ってきた。それが覆った。それがひっくり返った。この日この場に集まったオーディエンスが、プリンスの心を震わせ、そして動かしたのだ。

 

 

 バンドはなし。歌うはプリンスひとり。しかし、そんなことはどうでもいい。というより、逆にこの姿ほど貴重で、そして愛しいものはない。セミアコで『Last December』を切々と歌い、かすかに微笑みを浮かべるプリンス。いったい、どれだけの時間だったのだろう。わずか3分程度のようだった気がするのだが、だけどその3分はとてつもなく深く、そして限りなく美しいひとときだった。今度は、私たちがプリンスに心を震わされたのだ。

 

 コレを観なければ、絶対に後悔する。そう鼻息を荒くしての、仙台参戦だった。そしてフタを開けてみれば、ライヴは想像をはるかに超えたものになった。ライヴハウスという狭い空間で、ステージを間近にしてプリンスの一挙手一投足を拝み、音楽を体感する。それだけでも充分過ぎたというのに、最後の最後にはとんでもないドラマがあったのだ。『Last December』は、アルバム『The Rainbow Children』のラストトラックにして、プリンスの現在の心境を色濃く反映した内容になっていると思う。そしてこの日の夜、この曲は私の心の中にも刻まれ、忘れられない曲になった。

(2002.11.23.)