INSTANT KARMA

We All Shine On

木下古栗

木下古栗ほどエレガントに「失笑」を飼いならした作家を、ほかに知らない。

絲山秋子

 

小説がこんなところまで到達できるなんて。「GLOBARIZE」を読む前の世界には、わたしはもう戻れない。

柴崎友香

 

一読のたびに記憶を消したい。そしてまた読んで完膚なきまでに驚きたい。そういう短編集です。

津村記久子

 

我読了。呆然自失、甚大絶頂感。展開奇天烈、言語尖鋭、人格崩壊、世界転覆。震撼哄笑必至、淫行芥川賞受賞必定。以上熱烈推薦所以也。

豊崎由美

 

古栗は常に別腹です。

(松田青子)

 

すべての「意識高い系」読書人を挑発し嘲弄する、この上なくドイヒーでサイコーな文学がここに!!!(佐々木敦) 途轍もない視力を持つ位の高い魂に真っ向を射貫かれました。

町田康

 

以上が、木下古栗の新刊「グローバライズ」の帯に寄せられたコメント。

帯の表には、「生まれてくる時代を敢えて間違えた、すべての人たちへ」と記されている。 これだけ煽られれば、読まないわけにはいかないだろう、というわけで、早速短編集「ポジティブ・シンキングの末裔」と、「グローバライズ」を書店で購入。

ついでに絲山秋子の「妻の超然」もキンドルで購入。 (こっちはすぐに読了し大変面白かった。)

まだ半分くらいしか読んでいないが、精神安定剤代わりに中原昌也の小説を常用し続け、もうそろそろ薬も尽きてきたところに読む小説としては誠に適切なものという気がしている。 木下古栗について語られることは、中原昌也について語られることと基本的にほぼ重なるだろう。

にもかかわらず、自分が購入した紀伊國屋書店新宿本店では、中原昌也の作品は純文学のコーナーに(本人手書きと思しき「買って! 買って!」という身も蓋もないポップと共に)並べられ、木下古栗の作品はなぜか「エンターテイメント」のコーナーに並べられていた。 書店員による意図的または無意識的なこの配置の中に、両者の現在の立ち位置が端的に示されている。

Twitterのユーザーたちがその年に最も面白かった小説を投票する「第5回Twitter文学賞」では、2014年に国内部門で木下古栗の『金を払うから素手で殴らせてくれないか(講談社)』(海外部門で『愉楽(河出書房新社)閻連科著/谷川毅訳』)が一位に選ばれた。

これだけ見れば、木下古栗は中原昌也の純文学を「エンタメ寄り」にしたもの(にすぎない)かのようにも思える。 確かに、古栗の作品に出てくる、例えば次のような日本国憲法第9条のパロディは、マサヤ(勝手に呼び捨て)よりもほんの少し無邪気な匂いがする。

1.私は、慎みと抑制を基調とする性的自戒を誠実に堅持し、性欲の発動たる勃起と、律動による快感又は精液の射出は、性欲を解消する手段としては、永久にこれを放棄する。 2.前項の目的を達するため、漫画写真映像その他の猥褻物は、これを保持しない。私の交接権は、これを認めない。 (「受粉」より)

その分だけ、哄笑を喚起するエネルギーは昌也より力強い(時としてベタな宴会芸の方が練ったネタよりも大きな笑いを誘うように)。 しかし「純文学的叙述力」(そういう言葉があるとすれば)という点では、古栗の筆力は昌也を軽く凌駕している(もっとも昌也の近作は初期作品に比べれば確実にその文章や構成はぐんと洗練されたものになっている)……。 あ、文芸批評じみたことを書き始めると、襤褸(ぼろ)が出るからこの辺にしておこう(ブログの世界にもセミプロ的な人がたくさんいるので)。 要するに今日言いたいことは、 「フルクリを読もうぜ! 特にマサヤ好きのすべてのロクデナシ野郎どもは是非!」 以上。