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ある女優の告白(2)

アメリカ滞在中のわたしは、わたしの演技によって観客が味わう快感をどこまで高めることができるかを夢中になって追求していました。

 

わたしはそれまでの人生経験から、自分にはなにかしら人を惹きつける魅力があることを自覚していましたが、演技力については自信がありませんでした。そこで演技について一から学ぶために、NYで各種の演技のセミナーに通う時期が足かけ2年くらい続きました。それとは別に、当時の恋人(脳神経学者アントニオ)とミラーニューロンに関する独自のトレーニングも行っていたのです。

 

Empathy(共感)という言葉はドイツ語のEinfuhlungが英訳されたもので、20世紀初頭のドイツの心理学者テオドール・リップスはこのドイツ語を、芸術作品とその鑑賞者との関係を言い表すために発案したと言われています。

 

共感が生まれるのはミラーニューロンのはたらきであり、ミラーニューロンは目の前のひとの身ぶりやことばによって活性化します。

 

ウルフ・ディムベリという研究者は、人が微笑むときに収縮させる頬の筋肉の活動は、人が幸せそうな顔を見ているときに高くなり、人が怒るときに収縮させる眉の筋肉の活動は、人が怒った顔をみているときに高くなることを発見しました。わたしたちの心のプロセスは身体によって形成され、その過程での身体運動と周囲の世界との相互作用の所産として、どのような知覚体験と運動経験を得たかによって形成されます。

 

わたしはある人がどれほど賢いか、どれほど愚かか、どれほど善人か、どれほど悪人か、あるいはその人がいま何を考えているかを知りたいとき、自分の表情をできるだけその人の表情とそっくりに作ることにしています。そうすると、やがてその表情と釣り合うような、一致するような考えやら感情やらが、頭か心に浮かんでくるので、それが見えるのを待つのです。これもミラーニューロンのはたらきのひとつです。

 

アントニオとわたしはミラーニューロンに関する最先端の知見をさらに拡張させて、映画やドラマの観客が俳優(女優)の演技に感動するとき、そこには「快感」の相互作用が起こっているという仮説をたてました。そしてアントニオとの共同研究で達した結論は、ミラーニューロンを活性化させるポイントは「快感」の「共感」にあるということでした。どんなに巧みに演じることができたとしても、演じる側に快感の伴わないパフォーマンスは決して見る者に伝わらず、共感を呼び起こさないのです。

 

わたしが海外にいる間、日本では何人もの若手女優がデビューし、それなりの人気を博していました。わたしは定期的に日本から彼女たちの主演作品を取り寄せて熱心に見ていました。

 

わたしと彼女たちはほぼ同じ年齢で、ルックスも性格もそれぞれ個性的で魅力的でした。わたしの熱心なファンは日本に依然として根強く存在してはいましたが、次第にフレッシュな女優たちへと流れていく傾向は否めません。

 

わたしは彼女たちの演技に共感できませんでした。それは彼女たち自身が演技から快感を得ていないことが分かったからでした。観客のミラーニューロンを活性化させるもっとも大切な要素が欠けていたのです。彼女たちはいずれ、数年前にわたしが辿ったのと同じ運命をたどることになるだろうと思わずにはいられませんでした。

 

わたしのいう「快感」とはナルシズムから生まれるものとは違います。ナルシズムは抽象的で孤独で、いつも恐怖と隣り合わせです。わたしのいう快感とは、中学生のわたしがジュリエットを演じながら感じたもの、役に没入すると同時に観客の眼にもなって、わたしの演技に共感する観客の心の動きをハッキリと感じ取っているような覚めた感覚のことです。そのとき「自分」はなくなります。

 

真のエクスタシーとは、自分という感覚を失うことです。最高の肉体的オルガスムスの瞬間には、自分の肉体が溶けてなくなってしまうような感覚があるでしょう(それを知らない女性は不幸です。パートナーを変えた方がいいかもしれません!)。

 

恐怖や絶望の演技によって快感を伝えることも可能です。観客が映画やドラマを見るのは快感を得るためであって、どんな内容であろうがそれは同じです。恐怖の演技が中途半端であったり、悲しみや絶望の演技が下手だったりしたら、観客は興ざめし、不快感を味わうでしょう。

 

わたしは与えられた役がどんなものであろうと、その役を演じることがわたしにとって快感となるまで努力しました。それは単に役を好きになるというのではなく、役を「憑依させる」のでもありません。どう言えばいいのかよく分からないのですが、わたしはそのキャラクターそのものでありながら、けっして同一化していません。そしてそのことが得も言われぬ快感を生むのです。いわゆる「役に乗っ取られる」タイプの女優は、そのような快感を得ていないはずです。わたしが目指したのは、いわば暴れ馬を調教するごとく「役を乗りこなす」ことでした。

 

およそ2年の修行期間を経て、わたしは再び日本に戻ってきました。芸能界という生き馬の目を抜くサイクルの速い世界で、わたしの居場所はもうすっかりなくなっているのは明らかでした。でも不思議と焦りも不安もまったく感じませんでした。

 

日本に戻ったのは仕事のためではなく、アントニオと別れ、日本人の恋人ができたことが最大の理由。わたしはアントニオ以外にも何人ものパートタイム・ラヴァーと交際していましたし、アントニオも同じでした。わたしたちにとって長らく恋愛はゲーム以上のものではありませんでした。そして恋愛はミラーニューロン活性化の格好の実験場でした。外見や性的魅力で男性を惹きつけることは容易ですが、それだけではシャンパンの泡のようにすぐ消えてしまう関係しか持てない。ミラーニューロンの活性化による共感がなければ、快感を伴う恋愛関係は持続できないのです。

 

アントニオとは合意の上で別れました。お互いにステディな恋人ができたからです。そのときのわたしは日本人のパートナーを求めていました。<彼>は演劇プロデューサーという肩書も持つ俳優で、アメリカと日本を往復しながら仕事していました。日本の芸能界にも詳しかったのです。一般的な日本人男性とは違ってシャイなところがまるでなく、ガッツの塊で、仕事でもプライベートでもとっても情熱的でした。彼の尽力がなければ、わたしが日本で女優に復帰することはできなかったかもしれません。少なくとも、ずっと遅れていたことはまちがいないでしょう。

 

カムバック作品となった映画『星になれたしまだやろう』で、わたしはまだ若手でありながら日本アカデミー主演女優賞を受賞することになり、わずか1年のうちに日本を代表する女優のひとりに数えられるまでになりました。はやくも女優人生のピークを迎えたかのようでした。

 

わたしの演技は観客を虜にし、あらゆる評論家が絶賛しました。観客はわたしの演技を繰り返し見るために、麻薬に依存する中毒患者のように何度も何度も劇場に足を運ぶのでした。こんな現象は見たことがないとマスコミも驚きをもって報じました。あらゆる分野のあらゆる階層のひとびとがわたしを見ること、わたしに会うこと、わたしと個人的に知り合いになることを熱望しました。

 

しかしそのいっぽうで私生活は大荒れでした。わたしのカムバックにすべてを捧げてくれた<彼>は、わたしのチーフ・マネージャーとなり、わたしのために設立した芸能事務所の社長でもありました。でも彼はわたしの人気が高まるにつれていろいろな猜疑心の虜になり、わたしを束縛し、しばしば暴力をふるうようになったのです。

 

わたしはミラーニューロン活性化のためのエネルギーをすべて女優としての活動のために使い果たしていたので、彼との関係は早々に殺伐としたものになりました。わたしが政界の実力者の御曹司(30代半ばの好青年)に目をかけられたことが彼の嫉妬心に火をくべる最大の薪となりました。

 

別居しても、女優とマネージャーとしての仕事上の付き合いは断つことはできません。彼と別れることは、すなわち女優引退を意味していました。思い悩んだわたしは、何度か睡眠薬の多量投与による自殺を図り、そのたびに緊急入院と退院を極秘に繰り返す始末でした。マスコミに大々的に報じられないで済んだのは例の青年政治家のおかげでした。

 

そんな生活の中でも、演技することの快感は決して失われることはありませんでした。演技しているときのわたしだけが本当に生きている実感に充ち足りていて、わたしが生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間でした。でも仕事を離れたわたしはよく言って抜け殻、有体に言えば生ける屍(ゾンビ)のようでした。過度の飲酒をはじめとしていろいろと危ないことにも手をだし、いつのまにか悪い仲間も増え、生活は乱れるいっぽうでした。

 

わたしは皮肉にも人気と名声の絶頂の中で絶望的に救いを求めていました。