INSTANT KARMA

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ある女優の告白(14)

わたしのかつての恋人兼マネージャー兼芸能事務所社長のXは、その後作家に転身し、ベストセラー小説を連発していました。彼の原作小説は次々に映画化され、すべて大ヒット。カリスマ原作者の名をほしいままにしていました。

 

Xは生まれ育った地元のサッカークラブに入団していたこともあり、小学六年生とのときにサッカーの強い公立中学へ進学するため、地元の公立小学校に転向したというほど、大のサッカーファンでした。だから国会中継の番組で、彼の達者な司会ぶりをよく目にした方も多いでしょう。兄の影響もあって14歳から芸能活動を志し、その結果有名事務所に所属。モデルから俳優への道を目指すようになりました。高校生の頃から雑誌『ニューウエイブマガジン』などでモデルとして活動。20歳で『冒険者カストロ』を読み作家の船戸与一に影響を受け、頻繁に海外に旅立ったお蔭で、英語も堪能。

 

テレビのバラエティ番組によく登場し、スポーツで鍛えた運動能力で、何かと言うと流暢な英語を捲し立てながらトイレにしゃがむような深い中腰になり、強烈なシャウトをかましながら、涼しい笑顔でサッと立ち上がるのが定番の芸で、番組でのタレントたちの会話中に絶妙なタイミングで、これをやるとスタジオやテレビの前の老若男女が大喜びして、場内割れんばかりの拍手喝采のバカ受け状態になる。

 

しかしその一方で、黒い噂が絶えなかったのも事実です。薬(覚せい剤)の使用や、逮捕の可能性などの黒い噂の他にもうひとつ、ブラジル人の女性の金縛りに関する噂がありました。

 

ブラジル人を金で買ったX。おそらくSMプレイで買ったと言われており、さんざんブラジル女性に暴行を加えた作家Xは、それだけでは満足せずに、なんとブラジル人女性に金縛りをかけたという噂なのです。この黒い噂はこれだけでは終わらず、ビデオ録画で盗撮されており、Xはこのビデオで数千万脅迫されていた・・・とも言われていました。

 

テレビや映画で温厚な表情を見せる作家X。少なくともファンの人から見れば、作家Xがブラジル人女性の金縛りはイメージできないだろうし、したくもないでしょう。

しかし、Xの奇行の噂はブラジル人だけではなかったのです。それは夜の街の黒い噂となっており、なんでもXは都内のSMクラブの女性に暴行を加えた上、『600万払うから金縛りさせてくれ・・・』と懇願していたという内容でした。週刊誌の内容では、それがきっかけでXの金縛りという奇行は話題になり、あれだけの金持ちながら出禁になっていると言うのです。夜の店で出入り禁止になるのは、よほどのことなのでしょう。仮に・・・、本当だとしたら、Xの作家人生をも左右する黒い噂かもしれません。

 

ここでは、本当にXが薬を使用していたか?否か?については議論はしません。

しかし、仮にXが本当に薬を使用していたとなったとき、その理由の背景にどうしてもXのブラジル人にまつわる脅迫という黒い噂が見え隠れするのです。ASKAの場合も、飯島愛との浮気現場が録画されて、それをネタに脅迫されている恐怖心を紛らわすために薬に手を出したと報道されていました。そう考えると、XもASKA同様、性癖がビデオに録画されて、その内容を脅迫される恐怖心から薬に手を出した・・・とは考えられないでしょうか? 大病を患って薬づけとの報道のあったXですが、彼のキーワード「薬」が病気の治療用の薬であることを望むばかりでした。

 

ところが、そんなXが、あるレギュラー番組の収録に現れず、それ以来行方不明になったとのニュースが日本中を駆け巡りました。マネージャーがマンションを捜索したところ、特に争った跡もなく、部屋に愛車の鍵も残されており、安否が心配されました。屈強な肉体をもつ人間に暴力を振るわれて脅され、目隠ししたまま車で運ばれ、どこか人気のないさびしい場所に監禁されたまま放置されているのかもしれません。

 

わたしは『アントニークレオパトラ』の舞台稽古に加えて、各種媒体へのプロモーション出演に忙殺される毎日でしたが、共演者の中に、わたしが気になったY子という若手女優がいました。

 

容姿はそれなりに優れ、演技も中々のものを見せていたのはよいとして、いかにも地方から出てきた若い田舎娘と言った感じで、主体性のない、常に流されやすい性格だと周囲から低く思われていて、悪い大人たちにとっては利用しやすい格好の人材のように見えました。

 

心配になったわたしは、ある日稽古が終わった後、Y子を食事に誘いました。

 

わたし 「人々はみな機械よ。外からの影響だけで動いている機械なのよ。彼らは機械として生まれ、機械として死ぬ。野蛮人だろうが、知識人だろうが関係ない」

 

Y子 「人間は機械であることをやめることはできるのですか」

 

わたし 「それにはまず機械を知る必要がある。機械が自分を知れば、それはもう機械ではなくなる。少なくとも、以前のような機械ではなく、すでに自分の行動に責任をもちはじめている」

 

Y子 「人間は自分の行動に責任をとっていないということですか」

 

わたし 「人間は責任をとる。機械が責任をとらないのよ」

 

生まれたときから「機械人間」の社会ができていたとすれば、外部からの知識や情報をインプットしなければ動けない人間が育つのも致し方ありません。そこには主体的な行動が伴わないから、体験を通しての実感もありません。それは情報を発信している側も同様で、自分の体験からものを言っているわけではなく、寄せ集めの情報や、頭の中だけで構築した机上の空論、もっといえば根拠そのものが怪しい情報もまかり通っているのが実情です。現代人が生きる上でぶつかる多くの悩みの深層は、こんなところにあるのかもしれません。

 

主演女優であると同時に演出も指示していたわたしは、稽古で、共演者に「こうしてほしい」という指示はほとんど出しません。自発的に起きてくることを重視したいからです。本人にゆだねてしまうと抵抗が起きたりするけれど、それはそれで面白い。抵抗が葛藤として、いっそういやらしさを醸し出す場合もあるし、人間はこんな反応をするんだという新たな発見もあります。わたしが作りたい芝居は「機械のカラミ」ではなく「人間のドラマ」なのです。

 

舞台をやりはじめてから、わたしはずっとそんなやり方をしています。「ぶっつけ本番」「出たとこ勝負」は現場のみならず、わたしの生き方そのものでもあります。ですから、失敗も数え上げれば切りがありません。でも、痛い思いをしたぶん、身をもって何かを学ぶことにはなります。もしも自分への自信があるとすれば、わたしにとっては体験を通して得たものしかありません。それは外部から入れた知識や情報ではないからです。

 

とかく現代人は考え、そして悩むことが多いけれど、自分の心に忠実になり考えないまま行動を起こしてみるのも、たまにはいいものです。きっと責任はしっかり取らされるでしょうが、それは「人間」にしかできないことなのですから。