INSTANT KARMA

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詰将棋の世界

今日は藤井聡太氏が詰将棋解答選手権で4連覇ということで、自分も詰将棋の本を図書館で借りまくったりしている。

詰将棋という一人遊びをおぼえたのは小学生のときだった。そしてそのときから、永遠の夏休みが続いている。 夏休み―ただひたすら遊ぶ毎日。その記憶がしみついて、今でも抜けない。同じ遊ぶにしても、徹底的に遊ばなければ遊びじゃない。 わたしの親父は、よく「人間は何のために生まれてくるのか」という問題を語りたがった。親父の説によれば、結局人間もただの生物であり、子供を残すために生まれてくるのだという。そして親父は、その言葉どおりに、子供を残して死んだ。 わたしも、半分くらいは親父の説に賛成する。そして残りの半分は、遊ぶために生まれてくるのではないかと思っている。遊びをせんとや生まれけむ。あるいは、ホモ・ルーデンス。 わたしにとって、詰将棋は我が子のようなものだ。だから、この作品集はわたしが生きた確実な証拠である。わたしが死んでも、詰将棋は残る。

(「盤上のファンタジア」若島正 まえがき より)

その奥深さは限りがない。 すべての詰将棋作家にとっての聖典であるこの本も味わえるようになりたい。

無双・図巧は後世へメッセージを発信し続けている。それは受信者が居るからである。 私も後世へメッセージを発信したい。受信者が居ると信じて。 文面はこうである。 詰むや 詰まざるや 詰まざるや 詰むや この繰り返し とこしえに

(「ゆめまぼろし百番」駒場和男 あとがき より)