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一万枚の日記

『六十一歳の大学生、父野口冨士男の遺した一万枚の日記に挑む』(平井一麥、文春新書、2008年)を読む。

『海軍日記』にも出てくる息子・一麦(かずみ)が60歳で勤務先を定年退職した後に、6年かけて父が生前書いていた一万ページに及ぶ日記をすべてワープロに打ち込んだという。

本書は、その日記に基づいて『海軍日記』以降の野口の生涯を、身内の視点で描いた貴重なドキュメントである。

栄養失調で復員した野口は、戦後も長い間その後遺症に苦しみ、思考力の低下もあったのか、小説が書けずに苦しんだ。十五年に及ぶ「暗黒時代」のあいだ、徳田秋声の研究に没頭し、昭和四十年に出した『徳田秋声伝』が評価され、その後『かくてありけり』などの小説で作家としても復活する。

息子である著者の目から見た作家・野口富士男は、とにかく苦しんでいる。戦争の後遺症で健康問題に苦しみ、貧困問題に苦しみ、納得のいく小説を書けないことに苦しみ続けた。

それでも一人息子を育て上げ、慶応大学を卒業させて一流の社会人にしたのだから立派だと思う。作家としては苦しんでも日本の文学には文芸協会理事などさまざまな形で貢献している。

作家としての苦悩や葛藤が日記の中で赤裸々に語られている。

もういちど、私は小説とは何かを徹底的に考え直し、そのうえで「いつも私は」を書き直さねばならないだろう。主題は悪くないという自信があるのだが、私は小説の技法を忘れてしまっている。すくなくとも、現状のままの「いつも私は」では、技法を完全に喪失していて、形骸だけのものになってしまっている。(五十四歳の日記より)

小説原稿読み返し、・・・読み返して、この作品が、いわゆる小説でない原因にようやく思い当たった。自分はあっても、他人との交渉がないことだ。小説とは、人間と人間との交渉−そこに生じる摩擦や軋轢や反目や合意や和解やを組み立てて描くことなのだ。これまで、小説が書けぬ理由をずいぶん思いつめ、考え悩んできたが、これを見つければ、書けるということを、今日発見した。仕事を終わって入浴中に、ふうッとわかった。ようやく、この年になってわかったのだ。こんな単純なことが。そして、わかれば書けるようになるのだ(五十五歳の日記より)

晩年、亡くなる前の病気や入院については、小説「しあわせ」にも描かれているが、この本でも痛々しい記述が続く。それでも夫婦であちこちに旅行したり、息子と海外に行ったり、晩年はそれなりに楽しいこともあったようで、戦争中の苦労を思えば、実りある文学者としての生涯を全うしたといえるのではないか。すくなくとも自分は野口富士男という素晴らしい作家を知ることができてとても嬉しい。

日記全体の刊行が待たれる。