INSTANT KARMA

We All Shine On

根津裏

老子第58章に云う、

禍の中には必ず福が寄り添うているし、福の足元には必ず禍がかくれている。これが禍の極、これが福の極と誰にも決められるものではない。むしろこれを正そうとしない方がいいのだ。

正しいものを正しいと求めた結果が、かえって変奇なものになってしまうことがあり、善だと思って求めてそれが妖ひとなることもある。だから聖人は方正を貴んでも人為によってこれをつくらない。清廉を貴んでも、人為によってこれを為さしめない。直きを貴んでも人為によって伸ばそうとはしない。光を貴んでも人為によって輝かそうとはしない。

ここに引用した老子の文句は伊福部隆彦の『老子眼蔵』という本から採ったものだが、彼は生田長江権藤成卿を師と仰いだ。伊福部隆輝と名乗り文芸評論をしていた頃に藤澤清造の『根津権現裏』を称賛したと西村賢太の小説に書いてあった。上記の本に寄れば、彼は奥さんと喧嘩した後や、借金で困窮している友人を訪ねる道行や、原稿料の集金のために出版社に通う道の途上で無為自然の極意を悟ったのだという。

 

根津と言えば、自分が嘗て、毎日のように通っていた或る建物があった筈だが、どんな風に通っていたのか全く忘れてしまった。ある日、根津駅からその建物に向かって歩いている時に、いきなり後頭部をガツンと殴られたような衝撃があって、振り返ってみたらカラスが頭上でカーカー鳴いていたことだけは覚えている。

その建物から、一定の頻度で、タクシーに乗って郵便局に行き、大量の封筒を窓口に出したのも覚えている。あのときの郵送料はどうやって支払ったのだったか。料金別納のゴム印をひたすら押し続けたような気がするが、具体的な記憶はない。一緒に行った男性が創価学会の熱心な活動家だったことや、その人から島田雅彦の『自由死刑』という本がすごく面白いから読め、と言われて借りたのを覚えている。

その建物の中で、モーニング娘。矢口真里の姿を見た気もする。いい年をした多数の男女が昼間からウダウダとやることも無さげにクダを巻いていた雰囲気を何となく覚えている。彼らの職業は教師だったのではないかと思う。

僕はそこでもひたすら翻訳をしていた。それは、それがやりたかったからというより、暇でどうしようもなくて、そんなことでもしていなければ気が狂いそうだったからに違いない。

その部屋は二階で、一階には別の部屋があって、そこにいた人の中に、物柔らかでスラっとした女性がいた。灰色のジャージを着て、青いジーンズ姿のことが多かった。一度倉庫か何かのような場所に二人で入っていき、その人が脚立に上って高い場所に行くのを見上げた記憶がある。

またある夜、事務室で二人が遅番の勤務をしていたとき、そろそろ帰りましょうか、という時間になり、一緒に出るために、その人が出納簿に何かを書いているのを隣に立って待っていた。その人は焦って文字がうまく書けなかった。細かく震えながら何度も「御免なさい」と言った。似たような記憶が、小学生の時にあった。クラスの女番長のような子から、ペンを貸して、と言われて貸すと、ノートに漢字の練習を書き始めた。僕は隣に立ってそれを見ていた。彼女はいつまで経っても書くのを止めなかった。「もう一寸待って」「もう一寸」「御免ね」と何度も言っているときと同じ匂いを、その人から感じた。