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『人情紙風船』

(監督:山中貞雄、脚本:三村伸太郎、出演:中村翫右衛門河原崎長十郎、霧立のぼる他/PCL/1937年)

 

この映画は最初から最後まで印象に残るシーンに事欠かないのだが、中でも、〈雨の中を佇む浪人・海野又十郎〉と、〈宴会の席で爆笑する海野又十郎〉の姿が特に印象的だ。これらの場面に、職を求めて亡き父の知人である毛利に必死に取り縋る又十郎の滑稽で物悲しい姿がフラッシュバックする。

 

又十郎という男は生真面目で、同じ浪人でも、『河内山宗俊』に出てきた男達のような余裕をもった心持ちが致命的に欠けている。その妻も、夫に対する失望感と内職で紙風船を作るだけの生活への絶望感しか持っていない。この夫婦に共通するのは、武士とその妻であることのプライドと世間体への過度の気遣いで、互いに腹を割って話すことはない。『百万両の壺』の「丹下佐善とお藤」との何という違いだろう。

 

陰気な又十郎とは違って、長屋の不良住人・髪結いの新三は、長屋で首を吊った武士の通夜を口実にドンチャン騒ぎを始めるような陽気な性格の持ち主である。しかしそれは刹那的でヤケクソ気味の明るさであって、どん底の絶望と虚無を紛らわせるための「から騒ぎ」を長屋の住民たちと共に興じているに過ぎない。

 

この二人の男は、どん詰まりの状況の中で、共に〈死に場所〉を求めて彷徨っているという点で共通する。一方は無自覚に、もう一方は自覚的に。すなわち又十郎は現実を直視できず、虚しい希望に縋りつこうとし、新三は現実に一泡吹かせ、刺し違える機会を伺っている。共に最終的に待つのは破滅(死)でしかない。

 

そんな二人が映画の後半で、ある行為を協働するのだが、これも『河内山宗俊』の二人とはまったく対照的である。河内山と金子は、「人間」になるため、「人のために命を捨てる」ために共闘したのだが、新三と又十郎の場合は、新三が思い付きで犯罪行為を行い、それを偶然に事後的に知らされた又十郎が消極的に加担したというだけである。

 

だが又十郎にとっても、加担する理由はあった。新三と又十郎の間に交わされた具体的な謀議を映画は省略しているが、互いの共通の敵である〈白子屋−毛利−弥太五郎一家というトライアングル〉への復讐という点で二人の利害は一致したのである。少なくとも、金銭などの物質的動機はそこになく、背後にあったのは精神的な動機であった。だがそれは暗い絶望的なものである。

 

その復讐の最終的な結末がどのようなものになるか、新三は完全に自覚していた。そして又十郎はここでも現実から眼を逸らしていた。新三は自ら〈現実〉に「落とし前をつけ」に出て行き、後者は酔って眠っている間に〈現実〉に復讐される。

 

リアリズムに徹したプロットの中で意図的な〈あざとさ〉をもって挿入された二つの場面、つまり又十郎が現実に直面して仮面を剥ぎ取られる場面と、仮面を剥ぎ取られた又十郎の素面がこの上ない醜悪さを晒す場面は、この映画の中で戦慄するほど効果的である。そこには、リアリズムによっては表現できない〈ありのまま〉の人間の姿が強烈に露呈している。換言すれば、人間が実生活では決して見せることのない暗い深層意識を眼に見える形で表現したのがあの場面であり、観客はズブ濡れの又十郎の虚無そのものの眼から伝わる絶望に圧倒され、新三や長屋の大家と共に又十郎のあの異様な笑顔にギョッとするのである。

 

一説には、山中貞雄が召集されたのは、彼の映画の中に当局が反戦厭戦)の匂いを嗅ぎ取ったからではないかという声もあるようだ。戦時下という状況でこの映画を見たら観客はどんな感想を持つだろう、と考えてみれば、この天才が映画を作り続けることの危険性は明らかだろう。

 

この作品の封切日に赤紙が届き、山中貞雄は中国戦線に発つ。1938年9月17日、野戦病院にて病死。享年29歳。彼は従軍記のノートに遺言を残していた。

「人情紙風船」が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。負け惜しみに非ず。

そして仲間に宛てて

「よい映画をこさえてください」

と。

この言葉が、弥太五郎源七との一騎打ちの前に新三が言う「傘を届けろ」の台詞と被る。

 

山中と親交の深かったライバル・小津安二郎も戦地に送られたが、生還し、戦後の傑作を撮り続けた。それらの作品の中で日本映画史上不朽の輝きを見せたのが、山中貞雄が『河内山宗俊』のヒロインとして使うことに拘った女優・原節子であった。