War Is Over

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坪内祐三の沢木耕太郎批判に思う

坪内祐三『文学を探せ』の中で沢木耕太郎の小説『血の味』をメッタ斬りしていて凄い。文芸春秋社の雑誌で書いているのがまた凄い。

「テロルの決算」が刊行された1978年に大学に入学した坪内は、沢木のノンフィクション作品の熱心な愛読者で、特に『敗れざる者たち』を繰り返し読んだ。

だが、1980年代後半、坪内が三十代に入り、文学に対する眼がそれなりに肥えてくると、沢木の端正な文章の奥にある作為性やナルシズムそして悪しき意味での文学性が鼻につくようになってきたという。

ノンフィクション作家として輝きを失ってしまった沢木耕太郎だが、小説家として新たな可能性を持っているのではないかとの期待から、彼の書下ろし小説『血の味』を読んだのだが、その期待は見事に裏切られた。具体的な理由は小説内容に即して縷々語られるのだがここでは省略する。要するに、沢木はこの小説で主人公である十五歳の少年に仮託して、ナルシスティックに自己を語りたかっただけなのだろうと見切ってしまったのだ。

この書評を読んで、僕が沢木耕太郎に対してそこはかとなく抱いていた思いをズバリと指摘されたような気がして目から鱗が落ちた。さすが坪内祐三

しかし坪内自身が「あとがき」の中で「これは、1999年半ばから2000年末までに至る私の〈暴走〉の記録なのである」と書いているように、この本(『文學界』への連載)を書いていた頃の坪内祐三はちょっとおかしなテンションにあったようで(そのことは奥さんの回想本でも指摘されている)、『血の味』の書評を書いた次の回で「消費される言葉と批評される言葉」という異常な緊迫感のある(一種の全能感すら感じさせる)文章を書いた2000年11月25日(三島由紀夫が遺稿を書き上げたちょうど30年後の同じ日付)の四日後に、新宿の靖国通りで暴漢に襲われて瀕死の重傷を負うことになる。

この時期の坪内祐三は何かに憑かれていて(本人がそう書いている)、あの沢木耕太郎への異常に切れ味鋭い批判はその勢いで書かれたものだとすれば納得がいく気がした。