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『感触的昭和文壇史』

歳を取るにしたがって記憶の量が増えて行きメモリの容量が不足してくる。メモリ不足で脳の動作が遅くなる。それをリセットして常にクリーンアップしないといけない。そうすれば脳は年を取らず脳細胞が突然変異を起こすのだそうだ。作家で晩年痴呆症になった人というのを余り知らないが、自己観察(他者観察も含む)が身についている人間はやはり脳が老いにくいのだろうか。

『感触的昭和文壇史』は「感触的」というだけあって、自らが当事者として関わった戦時下の文学運動について、自分が書き残さなければ歴史の中に埋もれてしまう、という使命感をもって書かれていることが伝わってくる。文学者ならではの表現に唸らされる箇所も多い。

和文学史を書いた批評家として当然ながら平野謙のことが多く出てくる。野口がこの本を書いた時点で平野は既に亡くなっているが、平野とは個人的にも色々と関係があったようだ。国家(軍部)による言論統制が強まった昭和15年頃からの戦時下の文壇情勢についての記述が最も迫力がある。野口はこの時期、時流に逆らって芸術派の作品を連発し、作家として頭角を現したが時機が悪く(長編小説『巷の空』は「不要不急の作」として紙が配給されずお蔵入りになり、戦後、刊行間近で出版社が倒産。作者の死後、2021年になってようやく刊行された)、昭和19年に海軍に召集され終戦を迎える頃には肉体的に衰弱し切っていた。戦後は長らくスランプに陥り、小説は書けず徳田秋声の伝記に没頭する。

平野謙は1907年(明治40年)生まれで1978年に亡くなっている。戦後文学を代表する評論家。左翼運動からの転向を経て、戦時中は中央公論に勤務、戦後「近代文学」創刊に参加。「政治と文学」を巡って中野重治宮本顕治らと論争。代表作は『島崎藤村』。この本のおかげで島崎藤村の『新生』がろくでもない小説であるという印象が刷り込まれてしまった。それ以外の見方があるということを小島信夫正宗白鳥の評論で知った。ろくでもない人間であったとしても小説そのものは別個の価値があると。

『ある批評家の肖像―平野謙の〈戦中・戦後〉』(杉野要吉、勉誠出版、2003年)という本が読みたい。平野の戦争協力の実態が暴かれているそうだ。坪内祐三の推薦本。