私は本来、普遍性というものは、個の体験という錨を深く垂らすことで、その錨が地底についたとき、個の独自性というものが普遍性というものに転化すると思っている。
<下巻>
藤枝静男 「私々小説」
家族(弟と母)を看取る淡々とした記述が続き、なんだ悟りすましたような小説か(「悲しいだけ」のような)と思いきや、最後に藤枝静男という作家の〈鬼の顔〉が現れる。もう小説の枠を超えて、作家の生の思いが叩きつけられている。ぼくが私小説に求めているのは、こういうものである。
大岡昇平 「歩哨の眼について」
大岡昇平といえば「野火」に代表される戦争小説や「事件」のような犯罪小説(裁判小説)の印象が強く、私小説というイメージはない。この短編は彼が南島で歩哨をしていた頃の話だが、正直に言って〈名作選〉のひとつに挙げられるほどの作品とは思えない。
島尾敏雄 「家の中」
ひたすら不穏。読んでいてこっちも病みそうになる。「死の棘」はこの不穏がもたらしたカタストロフから始まる小説だが、これはそのカタストロフに至るまでを描いている。言わば、ジェットコースターで頂上に向けてゆっくり上っていくような雰囲気がある。「死の棘」とセットにして読まれるべき作品だろう。
水上勉 「寺泊」
水上勉といえば僕の中では禅僧の略伝を書いた「禅とは何か」の印象が強い。この小説も良寛についてのものだ。水上は巻末の中村光夫との対談で、生活のために通俗小説を書くしかない生活の中で、この小説は「みそぎ」のような気持ちで書いたと述べている。確かに作家の本気度が伝わってくる。普段ポップで売れ線の曲をやっているミュージシャンが気合を入れてエルモア・ジェームスのブルースを演奏したみたいな。
安岡章太郎 「陰気な愉しみ」
傑作。少し前に感想を書いたので割愛。
庄野潤三「小えびの群れ」
庄野潤三の名前は小島信夫にハマっている頃から「第三の新人」の一人としてずっと目にしてきたが、あまり読む気になれなかった。この小説も、読んでみてちょっと唖然としてしまった。村上春樹が「若い小説家のための短編小説入門」で取り上げていたのを思い出して、急遽図書館に行って「静物」という代表作を借りて読み、なんだこれは、と再び唖然とする。逆に興味を持った。
遠藤周作 「男と九官鳥」
これは私小説ではないと思う。話としてもちょっとヌルい。もっと別の作家、別の作品を選ぶべきだったと思う。川崎長太郎とか小島信夫とか野口富士夫とかもっといろいろいるだろう。
吉行淳之介 「食卓の光景」
これもヌルい。吉行淳之介らしいと言えば言えるが、無理に入れなくてよかったと思う。これを入れるなら中村光夫自身の小説でもよかったんじゃないか(そもそもこの人私小説は嫌いなんだっけか)。
田中小実昌 「魚撃ち」
田中小実昌はとにかく有名人なので名前だけはよく知っていたが、作品を読んだのはほぼこれが初めて。面白かったので、他の作品も読もうと思った。このアンソロジーで得た発見があるとすれば、田中小実昌(と庄野潤三)であった。
三浦哲郎 「拳銃」
高井有一 「仙石原」
両方ともいい小説だと思ったが、私小説としては物足りず、他の作品も読みたいというほど惹きつけられるものがなかった。