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私小説名作選(上)

中村光夫編「私小説名作選」(上下巻、講談社文芸文庫を読んだ。

せっかくなので感想を記したいが、「名作選」との言葉通りいずれも文壇の大家による名品ばかりなので、作品の客観的な価値とは無関係に、あくまでも今の自分がどう感じたかというに過ぎない(そもそも客観的な価値とは何か、というめんどくさい議論はしない)。はじめに全体的なことについていえば、収録作品の中には私小説なのかどうか疑問に思うものもあった。女性作家が一人もいないことも気になった。

<上巻>

田山花袋少女病

田山花袋といえば「蒲団」、「蒲団」といえば自然主義文学の代名詞という具合に学校では習ったものだが、この「少女病」という小説は最後に主人公が死んでしまうことでもわかる通りフィクションであって厳密には私小説とはいえない。もっとも、明らかに作家自身をモデルにした妻子持ちの中年男が通勤電車の生き帰りに乗り合わせる若い女性に心惹かれるみっともない心持ちを正直に書いているのは後の私小説の源流ともいえるのであろう。今読んでも面白く、設定を現代にしても読めるが、もう一工夫しないと作品としては素朴すぎて成立し難いだろうと思った。

 

徳田秋声「風呂桶」

「津島はこのごろ何を見ても、長くもない自分の生命を測る尺度のような気がしてならないのであった。」という出だしの一行からラストまで一気に畳みかけるように書かれていて、ギクシャクした気持ちを持て余す一家の主の心境がリアルに伝わる(とにかく〈不快〉なのだ)。PC的に厳しい今の世ではDV小説の烙印を押される内容だがそんな世の中でいいのだろうか。この文章の味わいを楽しむ。文学とはそういうものではないのか。スターリン体制下の社会主義リアリズム論のような妖怪が二十一世紀の資本主義社会で再び台頭しつつある中でそんなことを思う。

 

近松秋江「黒髪」

以前にも読んだし、近松秋江の世界はこの作品を含めた連作全部を読んで初めて堪能できる。感想は過去のブログのどこかに書いた。

 

正宗白鳥「戦災者の悲しみ」

これはエッセイ(随筆)なのか私小説なのかと考え始めると出口なしの堂々巡りに陥るのでそうした議論は避けたい。正宗白鳥はこういう小説風の作品よりもやはり評論の方が面白いことを再確認する形になった。

 

志賀直哉「城の崎にて」

古典中の古典なので何のコメントも感想もない。未読だが、豊崎由美という書評家が「これのどこが面白いのか」と嚙みついた内容の本があると聞いている。豊崎由美の書評は常々参考にさせてもらっているが、「生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。」とあの文体で書きつけた志賀直哉を批判するならせめて太宰治くらいの切羽詰まった姿勢がないと読む気がしない。

 

嘉村礒多「崖の下」

以前読んだ作品で、嘉村磯多といえばこれ、というより、私小説とはこれ、ということになるのだと思う。ザ・私小説。これが収録されているから葛西善蔵は敢えて入れなかったのか。

 

梶井基次郎檸檬

遠い昔に読んだ記憶しなかったので改めて再読したが、たしかに古典の名にふさわしい。ほとんどショート・ショートといってもいいくらいの短さなのだが、これ以上長くなるといけない、というギリギリのところで終わっているのがいい。私小説というより散文詩じゃないだろうか。

 

太宰治「富獄百景」

以前よく読んだので読み返さなかった。太宰の場合、私小説と呼ぶにはその上に何枚もの膜が被され、加工されすぎていて、素直に私小説と呼ぶのが憚られる気がする。少なくともぼくが私小説に求めるものは太宰の中には希薄である。

 

梅崎春生突堤にて」

戦時下という背景で、釣りに興じる男たちの表面上は何ということもない逸話が巧みに語られている。私小説というより時代の一側面を切り取ったスケッチと思う。

 

井伏鱒二「鯉」

太宰の師匠、という認識で、その作品にまともに目を通したことはなかった。身辺雑記風のひとつの私小説の典型といえる短編で、こういう文章に個人的にとても憧憬を感じる。同じことは以下に続く尾崎一雄上林暁にも言える。

 

尾崎一雄「虫のいろいろ」
上林 暁「ブロンズの首」

以前どこかに書いたので感想は割愛。

 

木山捷平耳学問

木山捷平は、これから読んでみたいと思っている作家の一人だが、この作品のように戦争体験をユーモアを交えながら語る作風のようなので、まだ読むタイミングではないのかなと思った。

 

和田芳恵「接木の台」

「暗い流れ」や数々の渋いエッセイで愛読する作家のひとり。

この私小説も、渋い。いい。


井上靖セキセイインコ

井上靖には私小説家のイメージはないので、当分自分から進んで読むことはないと思っていた。この短編も、私小説というにはフィクションが入りすぎて、ただの〈小説〉になってしまっている気がした。