週末は図書館で「本の雑誌」バックナンバーの「一私小説書きの日乗 這進の章」をコピーし、自宅でそれを打ち込む作業をしていた(全部ではなく抜粋)。
最後の日記は、今年の1月7日で終わっている。ちょうどそれが、藤澤清造の菩提寺西光寺での藤澤家代々と清造の墓の掃苔と、本堂での法要の記述で終わっているというところに、何ともいえないものを感じる。
西村賢太が亡くなったのは、この翌月、西光寺での法要を終えて帰京した直後のことだった。
何から何まで、己の人生そのものをスタイリッシュにコントロールしていったような、根が完全主義者にできてる男の美学を感じた。
そういえば、北町貫多の「根がスタイリストにできてる」というフレーズは、城昌幸の「スタイリスト」という短編小説を念頭に置いてのものだったという。
この小説は、自分の死後のことまでを設計して自殺する、文字通りの「スタイリスト」たる男の話である。
彼は、生涯、独身だった。女嫌いというわけではなく、むしろ人一倍女体を恋しがるタイプだったが、妻を持つ気はなかった。妻を持つことは、自分の生活が乱されるーー几帳面に計算された自分の生活にヒビが入ることを怖れていたのだ。
彼は、こんなことを語ったものだ。
「ぼくは、ぼくの生涯を、自由に送ってきた。何物にも束縛されず、ぼくの決めたとおりに物事を貫き通した。でも、あまりにも自由に生き過ぎたようだ。もう、そろそろ、人生をすませてもいい頃だと思う。自由に生きてきたのだから、死ぬこともまた、自分の思い通りに、自由にしてもよいだろうと思う」
彼は生前に、自らの墓を入念に設計し、用意して死んでいった。
君の思いつきは成功したぞ、とわたしはこころの中で叫んだ。