INSTANT KARMA

We All Shine On

N/M/N/K

先週末、"Hair Stylistics For SALE” Masaya Nakahara Collection Garage Sale が行われ、その際に以下のアナウンスがあった。

(以下XのアカウントV.I.N.Cent Radio@VincentRadioより転載)

 

1月に中原昌也さんが倒れたくさんの支援が立ち上がりました。

わたしはその中でbandcampを立ち上げ友人達と資金を集めました。支援していただいた皆様には本当に感謝の気持ちしかありません。

集まったお金で入院費などの支払いができました。なんとか一命を取り留めリハビリ病院に転院、入院前の生活に戻りたいとリハビリを開始しました。
しかし、ご家族やパートナーにも事情があり面倒を見ることは難しく施設に行くしか選択肢がない状態になってしまいました。

夏前から高齢のお母様に代わり手続きなどを引き継いだわたしは
本人と面会し

仕事をしたい、みんなに会いたいと言う彼の願望をどうにかしようと決めました。

しかしどうすれば良いからないまま退院しなくてはならない日が近づきました。
そんな中24時間型の介助を受けながら街で暮らす、という生き方を教えてもらいました。
すぐにレスザンtvの谷口さんを紹介してもらい 退院して単身独居する、という選択をしました。
中原さんが住める部屋を探さなくてはなりません。
しかしながら今の中原さんが単身独居するのに貸してくれる部屋など見つからず本当に大変でした。谷口さんとわたしで30件近い不動産屋を周り断られ続けました。友人たちからたくさんの知恵と力を借りました。なんとかギリギリに(退院2日前!)部屋を借りられてやっと新しい暮らしがスタートしました。

今回荷物を整理しなくてはならない理由はまず長年借りていた倉庫の賃料未払いが続き1月中に立ち退きしなくてはならないこと。住んでいた家の荷物を預けるために新しく倉庫を借りているため、みんなから集まった支援金が倉庫代に消えていってしまっている現実があります。

全ての荷物をみながらみんなでどうするかを考えました。
機材に関しては壊れているものはジャンク扱いモジュラーなどはいまの中原さんには使えないと判断しました。機材はとにかく汚く友人達がボランティアで掃除してくれて動作確認できるものはしています。
CDは今回荷物の仕分けのために部屋を提供してくれた田中さんが仕分け精査してくれました。色んな人が中原さんのために動いてくれています。

今回のフリマでは中原さんが大事なものは売らないので安心して欲しい。残されたレコード、大事なCD.音楽制作のための機材たち。
それをどうやって管理していくのかがこれからの課題です。預かっても良いよ、とみんなが言ってくれます。でもそれだと今までと同じでまたこういう事になってしまう。

身体を治しリハビリをして作品を作るしかないと思います。

現在、わたしは単身独居した中原さんが自立して生きていけるよう重度訪問介護の資格をとり谷口さんの事業所に所属し介助という立場でサポートしています。

本人に許可の元売却しています。
新しい中原昌也の活動のための資金にさせてください。

牧野佳世

退院したという知らせを見て勝手に安心していたのだが、状況は思ったより厳しいようだ。

それでもこうして色んな人のサポートがあるというのは彼の日頃の人徳のなせる業だと思う。

リハビリによる回復と創作活動の復活を願ってやまない。

無責任ですまないけれど、ふと心に思い浮かんだ詩を掲げたい。

ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす

吉本隆明「ちひさな群への挨拶」(「転位のための十篇」より)

 

芥川賞作家・西村賢太さんの墓が… 七尾の西光寺、山門やお堂など倒壊

中日新聞 2024年1月10日 05時05分 (1月10日 11時07分更新)

2年前に54歳で急逝した芥川賞作家の西村賢太さんの墓がある石川県七尾市小島町の西光寺が、地震で深刻な被害を受けたことが分かった。寺の山門や墓、地蔵堂などが倒壊。2月5日に三回忌の節目を迎えるが、復旧に向けた先行きは不透明だ。


あの日、高僧英淳住職(71)は寺で檀家(だんか)と話をしていた。激しい揺れと津波警報に驚き、外に飛び出すと「ぼうぜんとした」。築100年余りの本堂は形を保っていたが、土台がゆがみ、畳がめくれ上がっていた。墓石は崩れ、もともとは七尾城の城門だったと伝わる山門もつぶれていた。


境内では、地元の七尾出身の作家、藤沢清造(1889~1932年)の墓もあり、西村さんの墓と寄り添うように並んでいた。しかし、2人の墓は地蔵堂に押しつぶされるような状態で横倒しに。西村さんは藤沢の「没後弟子」を自任し、藤沢の月命日に七尾での墓参りを欠かさず、生前墓も建てていたが、無残な姿になった。


高僧住職は今、弟と避難所で過ごしながら、少しずつ寺の片付けを進める。「賢太さんの墓もつぶれてしまった。再建には3、4年かかるだろう」。跡継ぎはいないが「あと10年くらいは長生きしないと。命があるだけありがたい」と前を向いた。(大野沙羅)

西村の生前にこれが起こっていたら、賢太はどうしただろう、などと考えてしまう。

 

こういう事態を知った時、一ファンにできることは何なんだろう、と考え込んでしまう。

 

国会図書館オンラインで見つけた西村賢太の祖父の写真