昨日のお別れ会に出席できなかったかたがたのために、配付された小冊子に載っていた貴重な写真をアップしておく。このブログの読者数なぞたがかしれているのでほぼ意味のない行為ではあるが。
ちなみに、2002年(平成14年)35歳の時に七尾図書館で講演した時と2004年の清造忌の新聞記事を貼り付けておく(葛山久子氏が書いたという2005年の清造忌の記事は見つからなかった)。
2002.03.04 北國新聞朝刊
七尾市出身で大正期に文壇で活躍した作家、藤澤清造の業績を振り返る講演会「藤澤清造その人と文学」は三日、同市立図書館で開かれ、集まった三十四人は、藤澤清造研究家の西村賢太氏が語る知られざる清造の素顔に耳を傾けた。
西村氏は、清造の人生は貧しさとの闘いであったことや、母や友人の死が創作活動のばねになったことなどを紹介した。講演会の後、参加者全員で、清造が望郷の念をつづった散文「城山のほとり」を読み、清造への思いを語り合った。
2004.01.30 北國新聞朝刊
七尾市出身の作家藤澤清造をしのぶ「清造忌」=写真=が命日の二十九日、同市小島町の浄土宗西光寺で営まれ、東京や大阪などから駆け付けた関係者が清造の生涯に思いをめぐらせた。
清造は一八八九(明治二十二)年に七尾市藤橋町で生まれた。劇作家、小説家として代表作「根津権現裏」などを残したが、一九三二(昭和七)年に東京で極貧の中、凍死した。
この日は清造研究家の西村賢太さん(東京都)や、清造の作品を大阪の舞台で公演した劇団「PM/飛ぶ教室」のメンバー、や乃えいじさんらが参列し、法要のあと、清造直筆の手紙などを囲んで懇談した。